シモン・ゴールドベルクの芸術
1. J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調 BWV.1046
2. J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調 BWV.1047
3. J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV.1049
シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
アロイス・メリヒャル(指揮)
録音:1933年(1)、1932年(2)、1933年(3)
日本と縁の深かったヴァイオリニストで指揮者のシモン・ゴールドベルク。
20歳でフルトヴェングラーに絶賛されたゴールドベルクは、多くの音楽家たちから高い評価を受けていました。その演奏スタイルは非常に思慮深く、情感表現のコントロールに秀でたもので、決して下世話にならないスタンスが印象的でもありました。
【ゴールドベルク・プロフィール】
1909年ポーランドに生まれたゴールドベルクは、幼少期からワルシャワでヴァイオリンを習い始め、8歳のときにベルリンで高名なカール・フレッシュの門下生となり、12歳でワルシャワでコンサート・デビュー、センセーショナルな成功を収めます。
その後、16歳でドレスデン・フィルのコンサート・マスターとなり、20歳のときにはフルトヴェングラーに請われてベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任、同時にヒンデミットのヴィオラ、フォイアマンのチェロとの組み合わせで「アマール弦楽三重奏団」を結成して室内楽分野でも活躍します。
しかし1934年になるとナチス政権が樹立。フルトヴェングラーの抗議もむなしく、ユダヤ系ポーランド人だったゴールドベルクはベルリン・フィルを退団させられてしまい、演奏活動にも支障をきたすようになった為、ロンドンへと移り住むことに。
ロンドンではリリー・クラウスとめぐりあい、意気投合した二人は演奏会のほか、レコーディングにも取り組み、さらに世情不安な中、世界ツアーまでおこないます。
ツアー中、1936年には日本を訪れ、1938年にはアメリカでもデビューを果たす彼らですが、アジア・ツアー中の1942年、ジャワ島滞在中に、進撃してきた日本軍の捕虜となってしまい、終戦まで抑留生活を余儀なくされることに。
戦後は再び渡米し、1951年からアスペン音楽学校で教え(1965年まで)、指揮者としての活動も開始。1953年にはアメリカに帰化しますが、1955年になるとオランダ室内管弦楽団を結成して音楽監督に就任、以後22年間に渡って同楽団と密接な関係を保つ一方、室内楽でもカザルス、ゼルキンとトリオでの演奏活動をおこない、アスペン音楽祭の委員も務めるなどして活躍します。
1969年になるとイギリスに居を移し、1977年からマンチェスター・カメラータの指揮者を務めていますが(1979年まで)、1978年からは再びアメリカに戻り、ジュリアード音楽学校で教えるほか、エール大学やカーティス音楽院、マンハッタン音楽学校などで教授活動を展開。
やがて、日本人ピアニストの山根美代子との結婚を機に、1990年には日本に居を構え、新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者に就任し、多くのファンを魅了、1993年7月19日、富山県大山町で84年の生涯を終えることとなります。(HMV)
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