荻 太郎(おぎ たろう[注 1]、1915年2月28日 - 2009年9月2日)は、日本の画家、絵本作家。
<来歴>
愛知県北設楽郡稲武町(現・豊田市)に生まれる。ほどなくして岡崎市に移り住む[2][3][4]。
1932年、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。上京し、川端画学校に学ぶ。1934年、東京美術学校油画科入学、在学中に南薫造、猪熊弦一郎から指導を受ける。1937年、第2回新制作派協会展に初入選、以後出品を重ねる(1947年に会員となる)。1939年、東京美術学校油画科を卒業する。
1941年、第6回新制作派協会展で新作家賞受賞。
1951年、第2回選抜秀作美術展。以後同展の他、日本国際美術展、現代日本美術展などにも出品した。1958年、ピッツバーグ国際近代絵画彫刻展(カーネギー・インスティテュート)に出展する。
1964年、第3回国際形象展に出品し、以後出品を重ねる。神奈川県立近代美術館の「戦後の現代美術展」にも出品した。1965年には、国立近代美術館京都分館の「具象絵画の新たなる展開展」に出品。
1967年、和光大学人文学部芸術学科教授となる。
1978年、渋谷東急本店で個展を開催した。1979年、第3回長谷川仁記念賞を受賞する。
1988年、第3回小山敬三美術賞を受賞する。郷里に近い刈谷市美術館で個展を開催した。
2001年、「岡崎ゆかりの洋画家荻太郎・中根寛二人展」が郷里の岡崎市美術博物館で開催される。同美術館では2003年に個展を開催している。2002年、第8回中村彝賞を受賞。
2009年9月2日、死去。94歳没
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1940 | 2080 | 2080 | 2650 | 2490 |
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