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【CD-R盤】 シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 OP.47 カルウォヴィチ/ヴァイオリン協奏曲 イ長調 OP.8 * ガリーナ・バリノワ(Vn) アレクサンドル・オルロフ指揮モスクワ放送交響楽団 *キリル・コンドラシン指揮ソビエト国立交響楽団 1952年, 1949年2月28日、モスクワ ライヴ録音(MONO) 旧ソ連の女流バリノワによるシベリウスとカルウォヴィチのヴァイオリン協奏曲。 新たなマスターによる再発売。旧盤と同様にドイツ在住ロシア人による音源提供で、エアチェックではなく放送局保管音源のコピーとの思われるが、旧盤よりオリジナルに近い世代の音源からのコピーと思われ、音質は大幅に向上している。 オリジナル音源の録音経緯については後述するように不明確な点もあるものの、いずれも聴衆を入れずに行ったセッション(スタジオ)録音でテープに収録されている。当音源はレンジが広く歪みが大幅に解消され、ヴァイオリンもつややかで、特にシベリウスは1947年とは思えない良好な音質。ディスク化に当たっては、周波数レンジが高域が12kHz止まりだったため、ソフトウェアで仮想的にCD規格上限20kHz程度まで拡大、音質を損ねない範囲でヒスノイズを低減、一部乱れがあった周波数バランスを微調整、テープの損傷によるポップ・ノイズの除去等を行った結果、不満なく鑑賞できる音質とすることができた。 ガリーナ・バリノワ(1910〜2006)はサンクトペテルブルク(レニングラード)生まれ。 父は弁護士でアマチュア音楽家、母のマリアはピアニストでサンクトペテルブルク音楽院教授という音楽的環境の元で芸術的才能を早くから発揮し、4歳からパウル・コハンスキ,ヨゼフ・アクロンらに師事、10歳でバッハ,メンデルスゾーン,グリーグ,サラサーテの重要作品など、同年齢の子供たちとはかけ離れたレパートリーを演奏したという。 1924年から2年間、パリのエコール・ノルマルでジャック・ティボーにも教えを受け、帰国後は本格的に演奏活動を開始、1937年全ソビエト音楽コンクールで第3位となったが、スターリン自身はバリノワの演奏を最も気に入っていたといわれる。その理由によるものか、1945年7月スターリンの要請を受け、第二次世界大戦終結の際のポツダム会談終了後、会談の場だったベルリン郊外ツェツィーリエン宮殿における公式晩餐会後の記念演奏会に、エミール・ギレリス,ヴラディミール・ソフロニツキーと共に出演(これに対抗してイギリスからグリラー弦楽四重奏団,アメリカからユージン・リスト,スチュアート・カニンが出演した)、ソ連を代表するヴァイオリニストとして活動した。 バリノワは25曲の協奏曲を含む300曲以上のレパートリーを持っていたと言われ、一晩の演奏会でバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの3つの協奏曲を演奏したこともあるという(少年時代のメニューインと同様だ)。1954年の「プラハの春」音楽祭や中国ほか旧共産圏諸国でも公演するなど多忙な演奏活動を行い、レコーディングも78回転SPを含め10数点以上存在する。 モスクワ・フィルとは度々共演し、1933年から1960年までほぼ毎シーズン登場、バッハ,モーツァルト(第4番),ベートーヴェン,ブラームス,グラズノフ,メンデルスゾーン,チャイコフスキー,シベリウスの協奏曲を演奏したという。特にチャイコフスキーについては、ガウク(1936年),エリアスベルク(1941、1942年),ザンデルリンク(1947年),ムラヴィンスキー(1948年),ハイキン(1949年),ロジェストヴェンスキー(1955年)と計8回演奏。1960年にバリノワが最後に共演した作品は奇しくも当ディスクに聴くカルウォヴィチのヴァイオリン協奏曲だった(指揮はスヴェトラーノフ)。 また1946年から1951年にかけては、ソロ・リサイタルがモスクワ音楽院大ホールで4回開催され、、小ホールのオープン後は1955年までリサイタルを毎シーズン行った。小ホールではニコライエワ,ロストロポーヴィチとのトリオなど、さまざまなアンサンブルの一員としても演奏した。 但し、1956年からモスクワ音楽院(1958年准教授、1967年教授)で教育に携わるようになり、活動の中心が演奏から教育に移っていったらしい。その頃から入れ替わるように、オイストラフ父子やコーガンなどが国際的にコンサートやレコーディングで大活躍し始めることになるが、バリノワが40歳代後半という演奏家としての円熟期にキャリアを中断してしまったことは残念なことであった。バリノワ本人としては多忙な演奏活動・演奏旅行を嫌ったのとも想像される。また、マリア・グリンベルクのようにソ連国内では高い評価を受けていても、国外(特に西側)へのツアーが制限された演奏家は数多く、バリノワもその一人だったのかも知れない(偶然だがバリノワとグリンベルクはともに夫がスパイ容疑で銃殺刑となっている)。 ちなみにカルウォヴィッチ(1876〜1909年)はポーランドの作曲家。 ヴァイオリン協奏曲は後期ロマン派・民族楽派風で親しみやすい作品。 LPではウィウコミルスカのポーランド・ムザ録音が知られているが、上記のように、バリノワはモスクワ放送響との最後の共演でも同曲を取り上げており、得意とする作品だったのだろう。 当ディスクの音源はその録音経緯が不明と先に述べたが(当音源そのものは放送局由来と思われる)、カルウォヴィチについては1951年に録音され、1952年にオールド・メロディア・レーベルでLP発売されており、一応はレコード発売を前提に録音されたように思える。 一方、1947年録音のシベリウスについては、確実に存在する最初のLPは1985年発売となっており、レコード化を前提としない放送録音だった可能性がある。しかし、シベリウス(1957年没)が存命中にバリノワによる同曲のレコードを聴いて絶賛したという記述もあり、1950年代後半までにごく少数のLP(SP?)がプレスされた可能性は否定出来ない。当時のソ連では、国営レコード会社メロディアと放送局それぞれの録音チームが別個に存在していたはずだが、レコード発売のためのセッション録音,放送用スタジオ録音,コンサートのライブ録音等の音源が区別されることなくレコード化・発売される傾向にあり、当ディスクのシベリウスとカルウォヴィチのオリジナル音源が当初どのような目的で録音されたか不明である。 いずれにしても録音の形態を問わず、共産党当局の権限が強い当時のソ連では、演奏家の立場は軽視され、彼らが録音のプレイバックを聴き、著作物の発売・放送を承認する権利は事実上存在しなかったから、おそらく通し演奏の一発録りで、明らかにミス以外は修正なしという、ライブ録音に近い形式で録音されたのだろう。 カルウォヴィチのLPは米ウェストミンスターでもライセンス販売されたが、珍しい作品の録音であるという評価が優先し、かつ競合盤が少ないこともあって演奏自体の価値は注目されなかった。 一方、シベリウスも一般に入手可能だったLPは先の1985年発売メロディア盤、CDは1994年発売チェコ・マルチソニック盤(モスクワ・ラジオのライセンス)のみであり、その存在が広く一般に知られているとは言いがたい状況である。しかし仮に、1950年代中頃までにシベリウスのLPがソ西欧諸国に流通していたら、ハイフェッツやヌヴー、ウィックス盤等と並んで同曲の代表的レコーディングに数えられたに違いない。 商品詳細
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