*** 商品詳細 ***
『秋山庄太郎』
~昭和写真 全仕事~
☆・著者:秋山庄太郎
・1982年・152頁・\:2,000円・約:A4ワイド判
・本の状態:表紙少々汚れ・本文は普通
・発行:朝日新聞社
☆・女優など・俳優・映画監督・文筆家
画家と作品/政治家・パリにてなど
秋山庄太郎の写真の世界:文岡井輝夫
漂泊のの叙事:田中雅夫
自伝:【男の財産は友である】~この言葉に実感がある
・写真図版有り/年譜
『花 歌、墨』
~花に酔い 花に詠う~
☆・著者:秋山庄太郎・写真集/詩:こやま峰子/書:金子:卓義・解説有り
・1982年・85頁・\:3,800円・約:A4判
・本の状態:表紙少々汚れ(ハードカバー)帯紙破れ補修・本文は普通
・発行:日本経済新聞社
☆・略歴
- 1946年- 終戦後6500円でローライフレックスを購入し、東京都京橋区銀座(現・中央区銀座)
- 稲村隆正らと写真館「秋山写真工房」を開設、これが本格的に写真家の世界に飛び込むきっかけにはなったが客は来なかった。
- 1947年(昭和22年) - 借金が嵩み秋山写真工房を解散したが、この際ローライフレックスは25000円で売れたと
- 林忠彦の推薦で近代映画社写真部に入社する。林・石津良介らと写真集団「銀龍社」を結成する。
- 1950年(昭和25年) - 日本写真家協会の創立会員となる。
- 1951年(昭和26年) - 近代映画社を退社し独立。フリーカメラマンとなる[2]。林忠彦と「二人展」(東京銀座・松島ギャラリー) を開き、注目を集めた。
- 1953年(昭和28年) - 林忠彦・早田雄二・大竹省二と共に二科会写真部の創立会員となった。
- 1955年(昭和30年) - 東京都港区麻布今井町(現・港区六本木)にスタジオを構え、原節子などの女優を中心に撮影した。
- 1958年(昭和33年) - 日本広告写真家協会創立会員となった。
- 1966年(昭和41年) - 日本写真専門学院(現・日本写真芸術専門学校)の講師となった。
- この頃より花の写真をメインに手がけるようになった。
- 1971年 - 株式会社秋山写真工房を設立し初代社長となった。日本広告写真家協会会長、日本写真家協会常務理事に就任した。
- 1972年 - 日本写真家協会監事となった。
- 1979年 - 日本写真専門学院の院長に就任。日本広告写真家協会会長を辞任し名誉会長となった。
- 1980年(- 「花の会」を高橋扶臣男らと結成し会長となった。
- 1982年- 日本写真専門学院が日本写真芸術専門学校となり初代校長となった。
- 1994年- 全日本写真連盟副会長に就任。日本デザイナー学院校長就任。
- 1997年 日本写真協会副会長に就任。
- 2003年 林忠彦賞の審査中に心筋梗塞のため倒れ、死亡した。享年82。
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◎・篠路:S50806.2023.1.16