【概要|Overview】
これは、りりィが日本語の歌声を携えてハリウッドの音響密室に侵入した、きわめて異質で美しい越境の記録である。
【構造|Auditory Architecture & Memory Drift】
本作《Love Letter》は、1975年2月、ハリウッドのEldorado Recording Studiosで録音され、その後The Custom Fidelity Company Inc.にてマスタリングおよびラッカー・カッティングが施されています。つまり、録音から音の最終処理までがアメリカ西海岸のスタジオ環境で完結しており、その工程全体が作品の音響的肌理と深度に大きく寄与しています。
A面は、ファンク/ソウル的なグルーヴを基調としつつ、ClavinetやRhodes、ARPストリングスの精密な配置が「速度のある空間」を形成。A2「So-6-You」やA3「I'm A Lost Time」は、グルーヴの中に声が滑り込むように設計されており、聴取者の内的時間を微細にズラします。A4「Diamond」では、ストリングスが半透明な壁のように空間を仕切り、記憶と感情の領域を分け隔てるかのような錯覚を呼び起こします。
B面では、よりエモーショナルな構成が現れ、B1「Seeing Happiness」ではスロウで湿度の高い演奏のなかに、ヴァイオリンが意識の後景に滲むように響きます。B2「San-Ra」ではハモンドオルガンのうねりが精神の奥底に直接訴えかけ、B3「Like A Stranger」は名状しがたい異国の微睡をまとったバラッドへと滑り込みます。全体を貫くのは「重ね録り」ではなく「録音空間そのものを記録する」という態度です。
この作品は、単なる「海外録音の和モノ」ではなく、音楽的にも構造的にも、「記録された越境」であると捉えるべきです。
【文脈|Contextual Field Notes & Latent Influence Mapping】
1975年という時点において、りりィがLAで録音を行うということ自体が、日本の音楽産業における制度外の選択でした。しかし彼女は、ただ外部のスタジオ環境にアクセスしたのではなく、「日本語で歌う声」が、西海岸の音響構造とどのように干渉し得るかという問いに向き合ったとさえ言えるでしょう。
クレジットには、Bill DashiellやKen Yoshida、Nobu Saitoら熟練の現地プレイヤーが集結し、演奏面においても確実な密度と流動性が両立されています。プロデューサーには「バイ・バイ・セッション・バンド」との記載があり、主体を個人名ではなく集合名詞的匿名性で示すこの構造も、「誰かが作った」というより「何かが生まれた」という感覚を強化します。
A5「Sweet Memory」のクレジットに「Translated by Tony Nishimura」と記載されていることから、言語変換・文化翻訳というテーマも本作に深く関与していると考えられます。これらの要素は、PortisheadやStereolabが後年構築した「音響の多言語性」や、シティ・ポップの逆輸入的評価の原型としても見直されるべきでしょう。
総じて、本作は「録音地の選択」そのものが作曲行為と不可分だった時代の、ひとつの完結点に位置する作品です。
【状態|Material Condition】
【留意事項|Terms & Logistics】