
「商品説明」等々が長文で大変申し訳ございませんが、取引トラブルを避ける為、ご面倒かとは思いますが、最後までお読みください。
[取消・キャンセル]はお受け出来ません慎重にお考えの上で責任あるご入札を宜しくお願い致します。
(商品説明の下部に「追加画像」を添付してありますので ご確認のうえ応札願います。)
取扱い商品の都合上 鑑定書(認定書・極め書き)の無い物についての「商品説明等々」はあくまでも当方の「主観」で説明していますので「参考説明」程度にお考えください。
また 当然の事として「使用感・経念感」はあます。そういった事や「経年・使用」の時代経過の状態を気になさる方
また神経質な方は ご入札を控えて頂いたほうが 宜しいかと存じますので入札をご遠慮 お願いします。
(尚 説明解釈等々の過ち 記述の誤り等々はご容赦願います。「解釈の過ち・記述の誤り」等々があった際には「画像」での確認の方を優先してお考え下さい。)
サイズ約(cm)「茶碗」 口外径 16×16 高さ 7・9 高台外径 7・9×7・9 重量 332g (家庭料理用秤にて計測) 時代桐箱サイズ 17・2×16・2 高さ 12・7
(慎重に測っていますが あくまでも参考寸法とお考え下さい)
この度の「鶴に秋草の図」の「茶碗」は明治から大正頃の「六代(七代)錦光山宗兵衛」の作陶と思われる「茶碗」で胴下部に「錦光山」と「金彩」で高台に「錦光山」と「陶印」のあります。
「保存桐箱」入で箱蓋の表に「草花鳥文・錦光山宗兵衛」と「張り紙」の「墨書」があります。
柔らかな陶肌に「親子鶴」と思われる「三羽の鶴」を上部に配し「秋草」を「金銀彩」と様々な「色絵」でバランスよく「彩色」して「絢爛豪華」に且つ「品位」高く仕立ててあり。
「見込み」には「金彩」を散らし「二匹」の「魚」を配した、見栄えする豪華な出来栄えの「茶碗」であり「色合い・陶質」も良く見事です。
「茶碗」の胴下部に「錦光山」と「金彩」で高台部に「錦光山」と「長角型の印譜」があります。
100年以上は経過する「時代物」としては「出来栄え保存状態」共に「最上々」の「茶碗」です。「桐製保存箱」が付いています。)
初代「錦光山宗兵衛」は小林源右衛門といい、正保二年に「粟田口」に開窯」し仁清風の美陶を作る二代は徳右衛門で三代「」が元禄年間に「青蓮宮」より「錦光山」の号を賜わり以後これを名乗っています。
「錦光山」と称したのは「彩絵」の仁清風色絵を得意とし、宝暦五年から徳川将軍の「お茶碗」の御用達を受け毎年「お召茶碗」を納めています。四代五代も「喜兵衛」を名乗り御室焼の写しなどを上手に焼く。
六代目の「宗兵衛」が明治五年に「帯山与兵衛」と共同して京都陶磁器の海外進出をはかった最初の人です。次いで「七代宗兵衛(昭和二年没)」がさらにどぎつい派手な「色絵金銀彩」に成功し外国人に歓迎された。
「美術家名鑑・日本陶器の鑑定と観賞」の「六代・七代錦光山宗兵衛」部分の「参考コピー」をお付けします。
明治初期から昭和初期時代の「六代・七代錦光山宗兵衛」の「錦光山」と在銘で「長角型の印譜」のある「桐製保存箱」入りですから 当然の事として若干「使用感・経念感」はありますが
当方見る限り 問題になる様な傷みは一切有りませんが 少なくとも100年以上の時代を経た物である事をご理解のうえ応札願います。
(画像でご確認し ご納得のうえ 応札願います。)
発送は ゆうパック60サイズ 着払い(元払い)にて発送致します。宜しくお願いします 。
入札及び落札後のキャンセル・返品は基本的にお受け出来ません。画像を多数入れてありますので、よくご確認のうえ 疑問点は質問して 責任を持って応札をお願い致します。
詳しくは画像をよく確認のうえ 以上の記載内容・画像をご確認し御納得いただき お取引していただける方のご入札お待ちしております。
(2025年 9月 23日 17時 54分 追加)
茶碗 鶴に秋草の図.六代(七代)錦光山宗兵衛.桐箱入.金銀彩色絵.絢爛豪華也.100年以上の時代物・仁清風色絵清水焼.粟田焼.京焼. この度の「鶴に秋草の図」の「茶碗」は明治から大正頃の「六代(七代)錦光山宗兵衛」の作陶と思われる「茶碗」で胴下部に「錦光山」と「金彩」で高台に「錦光山」と「陶印」のあります。
「保存桐箱」入で箱蓋の表に「草花鳥文・錦光山宗兵衛」と「張り紙」の「墨書」があります。
柔らかな陶肌に「親子鶴」と思われる「三羽の鶴」を上部に配し「秋草」を「金銀彩」と様々な「色絵」でバランスよく「彩色」して「絢爛豪華」に且つ「品位」高く仕立ててあり。
「見込み」には「金彩」を散らし「二匹」の「魚」を配した、見栄えする豪華な出来栄えの「茶碗」であり「色合い・陶質」も良く見事です。
「茶碗」の胴下部に「錦光山」と「金彩」で高台部に「錦光山」と「長角型の印譜」があります。
100年以上は経過する「時代物」としては「出来栄え保存状態」共に「最上々」の「茶碗」です。「桐製保存箱」が付いています。)
初代「錦光山宗兵衛」は小林源右衛門といい、正保二年に「粟田口」に開窯」し仁清風の美陶を作る二代は徳右衛門で三代「」が元禄年間に「青蓮宮」より「錦光山」の号を賜わり以後これを名乗っています。
「錦光山」と称したのは「彩絵」の仁清風色絵を得意とし、宝暦五年から徳川将軍の「お茶碗」の御用達を受け毎年「お召茶碗」を納めています。四代五代も「喜兵衛」を名乗り御室焼の写しなどを上手に焼く。
六代目の「宗兵衛」が明治五年に「帯山与兵衛」と共同して京都陶磁器の海外進出をはかった最初の人です。次いで「七代宗兵衛(昭和二年没)」がさらにどぎつい派手な「色絵金銀彩」に成功し外国人に歓迎された。
「美術家名鑑・日本陶器の鑑定と観賞」の「六代・七代錦光山宗兵衛」部分の「参考コピー」をお付けします。