希少本 別冊太陽 江戸 細密工芸尽し 加賀前田家蒐集 百工比照 江戸時代超絶技巧の微小工芸 写真解説
印籠 根付 煙草入れ 煙管 櫛 簪 化粧道具 刀装具 提重 矢立 雛人形 雛道具 加茂人形 江戸小紋
細工の図案集 金工 漆芸 牙角工 江戸の名工 印籠師 根付師 装剣金工
1989年
150ページ
平凡社
約29×22×1cm
写真カラーページ多数、テキストページモノクロ
※絶版
江戸時代の、印籠・根付を中心に、煙草入れ、煙管、櫛、簪、化粧道具、刀装具、鐔、目貫、笄、小柄、縁、頭、提重、矢立、雛人形、雛道具、賀茂人形などの細密工芸をフルカラーで多数収録。特に印籠や根付、煙草入れ等の名作の数々には、寸法や技法、在銘、図案などの解説も掲載。
テキストでは江戸工芸の技術、江戸の名工・印籠師と根付師、装剣金工等も多数解説。
大きなカラー写真で細部まで見ることができ、贅沢な内容の大変有用な一冊です。
(見出しより)
極小の空間に、森羅万象や機智や洒落などを凝縮して、ひとつの完結した世界をつくりだそうとする感性と技術は、生活の実用から装飾へ移り変わるなかで、美的に洗練され、完成されていった。江戸時代中期以降、このような発想のもとに、さまざまな細工工芸品が生みだされた。可能なかぎり小さく造形したり、また微細の中に独特の美的宇宙を想い描くという美意識や遊びの精神は、必ずしも日本人だけの感受性とは思われないが、とまれ、現代、このような感性や技芸が、次第に失われ、絶えようとしてはいまいか……。
【目次】
豊饒なるミクロコスモス
江戸時代の微小工芸 文・西山松之助
印籠・根付 解説・荒川浩和・関戸健吾
生活の中の高度な美意識 粟津則雄
個性が凝縮された小さな器 コシノジュンコ
煙草入れ・煙管 岩崎均史
桂文楽の煙草入れ 柳家小満ん
櫛・簪・化粧道具 樋口清之
女人が想念を走らせた挿し櫛 坂東玉三郎
刀装具 鐔・目貫・笄・小柄・縁・頭 解説・檜山正則
鍔について 津本陽
提重・矢立
雛人形・雛道具・賀茂人形
江戸小紋・浮世絵
細工の図案 内田欽三
江戸工芸の技術
漆工芸・木竹工・牙角工など荒川浩和
金工 原田一敏
江戸の名工
印籠師と根付師 荒川浩和
装剣金工 小笠原信夫
細工職人の現代 編集部編
江戸小紋・浮世絵・鼈甲細工・根付
特別企画
加賀前田家蒐集
百工比照 解説・東澄子
ほか
【掲載作品 一部紹介】
面と唐子象牙彫り根付 秀正 作
南蛮人母子牙彫根付
黒人黒檀製緒締 象螺鈿蒔絵印籠 小川破笠 作
鬼の花見図嵌装壷型香炉
道成寺黄楊彫根付 珉江 作
縄に鼠象牙彫根付 小笠原一斎、懐玉斎 合作
五万歳黄楊彫根付 忠利 作
■印籠・根付
印籠とその形態・印籠の歴史
稲穂蒔絵印籠 銘「稲川 作」
武将象嵌印籠(部分)銘「奈良壽随 梶川 作」
唐子堆朱印籠 銘「薩藩宮付彫有川定躬 作」 根付 菊堆朱瓢形
鍾馗鬼遣漆絵印籠 銘「蒔絵師 義」 根付 牙台鍾馗鬼鏡蓋
唐人物唐子螺鈿蒔絵印籠 銘「杣田久光」 根付 山水楼閣蒔絵合子形
雀のお宿蒔絵印籠 名「古満寛哉」根付 太鼓登人物牙彫 銘「玉山」
恵比須大黒嵌装印籠 銘「一秋」 根付 魚木彫鮫皮貼
頼光鬼退治蒔絵印籠 銘「梶川 作」 根付 鬼面木彫
業平東下蒔絵印籠 銘「梶川 作」 根付 茄子蒔絵 銘「梶川」
亀甲花文螺鈿印籠 根付 面寄木彫
飛鶴蒔絵印籠 根付
松に蝉蟷螂蒔絵印籠 銘「其俊」 根付「切端木形」
花籠虫蒔絵印籠 根付 桜蝶嵌装象牙鏡蓋
百合蜻蛉蝶堆彩印籠 根付 屈輪堆朱饅頭形
牡丹鎌倉彫印籠 根付 石榴鎌倉饅頭形
菜花芥子蝶蒔絵印籠 銘「古満巨柳 作」 根付 梅花彫四分一饅頭形
小松引千両蒔絵印籠 銘「常加」 根付 銀杏寄牙彫
芒野蛍蒔絵印籠 銘「寛哉」 根付 文字蒔絵牙饅頭形
万年青蝶蒔絵螺鈿印籠(部分)
水草鷺蒔絵印籠 銘「野村久圭 作」 根付 草鞋蛙木彫
魚藻嵌装印籠 根付 坊主蛸彫牙饅頭形 銘「壽玉庵」
群馬蒔絵印籠 銘「常川 作」 根付 馬木彫
象人物蒔絵印籠 根付 菊虫彫牙台鏡蓋
鯨蒔絵印籠 根付 貝尽牙彫
稲束箕雀蒔絵印籠 銘「観松斎」 根付 摺子木女木彫 銘「雪斎」
柏木菟螺鈿印籠 部分 根付 蝶牙彫
粟鶉蒔絵印籠 銘「梶川 作」 根付 粟鶉木彫 銘「岡友」
山月飛雁蒔絵印籠 銘「胡民」 根付 兎牙彫
蜻蛉蛤鯉嵌装印籠 根付 鯉木彫
欽唐革貼薬籠 根付 面寄木彫
印籠形仏龕 根付 牙台大仏耳掃除彫鏡蓋
象堆黒印籠 根付 人物唐花堆朱瓢形
鶴亀霊芝蒔絵印籠 根付 背洗人物木彫
虫尽蒔絵印籠 根付 茄子蒔絵
松獅子蒔絵嵌装印籠 根付 獅子木彫 銘「民谷」
網代槍蒔絵印籠 銘「可交斎」 根付 蓮蒔絵竹製
美人初夢蒔絵牙製印籠 銘「羊遊斎 作」 根付 蝶蒔絵牙製饅頭形
唐草獅子丸文蒔絵煙草入形印籠 根付 山水蒔絵水滴形
貝合蒔絵印籠 根付 七宝蒔絵饅頭形
■根付
根付は、帯に下げる小物がずり落ちないようにする留具にすぎないが、江戸時代には、蒔絵師、欄間師、挽物師、面打師などの職人が、木や動物の角、牙、玉石などに、人物や動物、風物などを木彫、螺鈿、象嵌、蒔絵など当時のあらゆる工芸技法を用いて、細密工芸にまで高め、ファッションの目立たぬところで粋を競った。
石橋 古満寛哉・寿玉 合作 黄楊・漆
羅漢 明鶏斎法実 作 黄楊
鮭 小川破笠 作 杉・螺鈿
鶏合せ 懐玉斎 作 象牙
十牛図 大原光広 作 象牙
羅生門(茨木) 森田藻己 作 黄楊
親子猿 石川光明 作 象牙
百花百草 懐玉斎 作 象牙 懐玉斎の最高傑作。中が薄くくりぬかれている。
三番叟 法実 作 黄楊
四睡(表・裏) 鈴木東谷 作 象牙・黄楊・黒檀・珊瑚
鶏 正直 作
竹取物語 鈴木東谷 作
お多福 加納鉄哉 作
羅漢 三輪 作
福助 小野陵民 作
親子亀 森田藻己 作
猿と蟹 一光斎 作
能 法実 作
牡丹 森田藻己 作
獅子舞 龍圭 作
虎 友一 作
烏天狗 南木 作
能面八種 鈴木宝山 作
辻占売 法実 作
舞楽 法実
面と唐子 秀正 作
鍾馗 舟月 作
細工の図案 内田欽三
図案集の成立 光琳 工芸図案下絵集
出版物としての図案 万金産業袋 蒔絵大全
有名絵師と図案下絵 抱一下絵集 原羊遊斎 所持 北斎 今様櫛きん雛形
秘伝と近代化の中の細工 一宮長常 彫物画帖
土屋元親 鏨工画集
■煙草入れ・煙管
たばこ入れ
江戸庶民の装身具 岩崎均史
印伝革提げたばこ入れ 根付 象牙・浪に月彫り鏡蓋
旧 桂文楽コレクション
金唐革腰差したばこ入れ
古渡臙脂地菱丸模様更紗腰差し煙草入れ
古渡動物手更紗腰差したばこ入れ
木綿散縫提げ煙草入れ
黒桟留革提げ煙草入れ
菖蒲革腰差し煙草入れ
桂文楽の煙草入れ 柳家小満ん
小豆革腰差し煙草入れ
本駒菖蒲革腰差し煙草入れ
縞柄木綿腰差し煙草入れ
布団革腰差し煙草入れ
黄楊七福面尽くし筒 利山藻晃 作
ほか
■櫛・簪・化粧道具
髪飾りと江戸文化 樋口清之
八橋図象牙櫛
蔓草文様蒔絵団扇形象牙簪
月に雁葦文様鼈甲蒔絵櫛
女人が想念を走らせた挿し櫛 坂東玉三郎
金銀珊瑚櫛
金銀珊瑚びらびら簪
携帯用化粧道具
ほか
江戸時代の技術
漆工芸の技術 荒川浩和
金工の技術
江戸の名工 印籠師と根付師 荒川浩和
印籠・根付などには、豊かな発展をとげた江戸工芸のさまざまな技術が集約されているといってよい。蒔絵師、金工はまた優れた印籠を造り、根付職人として活躍した欄間工、からくり師さえいたという。
専門の印籠師、根付師として独自の創作に技を尽くした人々、そして余技として印籠・根付に芸をたくした人びと…その名を残した名工を総覧する。
装剣金工 小笠原信夫
町彫りの創始者 横谷宗珉
奈良派の三名人 利寿・安親・乗意
京都の名工 一宮長常
江戸最後の職人 加納夏雄
■刀装具 鐔・目貫・笄・小柄・縁・頭
刀装具の時代の流れ 檜山正則
月下雁図鐔 今井永武 作
象の図鐔 光弘 作
渓流水鳥図鐔 一乗 作
蝶の図鐔 伯応 作
波鯉図鐔 安親 作
虎図鐔 天光堂秀国 作
旭日桜図鐔 天光堂秀国 作
ほか
鐔について 津本陽
蝙蝠図目貫 宗與 作
牛若天狗図目貫
粟ノ図目貫
月兎図目貫
鬼負図小柄
仁王図小柄
ほか
錠前図笄 古金工派 作
這龍図笄 傍後藤 作
楽器図笄
鶏図頭・縁
藻に鯉図頭・縁
水草鷺図頭・縁
■提重・矢立
しのぶ草蒔絵矢立 泰真 作
秋野兎蒔絵矢立 胡民 作
葦鷺蒔絵矢立 梶川 作
月に秋野三味線形蒔絵矢立 松花斎 作
月に雁蒔絵矢立 観松斎 作
枝垂桜蒔絵矢立 幸阿弥長考 作
梅松葉蒔絵矢立 梶川 作
柳蛍蒔絵矢立 半六 作
青貝入三味線形矢立
青貝入分銅形矢立
奴凧蒔絵矢立 池田泰真 作
雷神太鼓を吊る図蒔絵矢立 柴田是真 作
冊子散らし蒔絵矢立 梶川 作
■雛人形・雛道具・賀茂人形
細工職人の現代
「根付師」糟谷一空
ほか
■江戸小紋・浮世絵
江戸小紋の型紙
浮世絵 毛彫りの妙技
■加賀前田綱紀蒐集 百工比照 江戸時代工芸の貴重なコレクション
引手、釘隠、金具類、ほか
印籠師
江戸時代の記録で、印籠師について触れている例としては、元禄三年(一六九〇)に刊行された『人倫訓蒙圖彙』が古いと見られ、「所々に住す」とあり、一七世紀後半の様子が察せられる。すでにあげた『装剣奇賞』によれば、「印籠工 其名きこえざるもの幾百人といふ事を知らず」とあり、この書の刊行された天明元年(一七八一)頃になると、数えきれない程の印籠師が活躍しており、それはまた印籠の需要流行を物語っている。この書には「印籠工名譜」として三七名の名が記されており、「名有て氏しれず 氏のみ称して名のきこえざる等すべて名姓字號にかゝはらず いひなりにまかせてこれをあつむ」と但書があるように、梶川家や占満家のように将軍家御抱の印籠師の家系があるとともに、その略伝はいうまでもなく、姓や名さえも不明確な工人も少なくなかったと察せられる。以下主な印籠師をあげておく。
梶川家/印籠師としては代表的な家系で、初代彦兵衛が寛文年間(一七世紀半ば)に徳川将軍家の扶持を賜わり、門人久次郎が業を継ぎ、代々印籠蒔絵師として仕えた。久次郎は寛文・大和頃(一七世紀後半)に活躍し、古今第一の名人と称され、内部に刑部梨地や平目地を用いた豪奢な作風であったという。梶川系の印籠は伝統様式の蒔絵を伝え、「梶川」の銘に朱描壺印を記したものが多い。他に「文龍斎」「松翠」「桃秀」等の銘が見られるが、これらは梶川の支流であろう。
古満家/初代休意(?~一六六三)が徳川将軍家の蒔絵師となり、三代休伯(?~一ヒー五)以下代々業を伝えた。蒔絵師・塗師の家系として知られ、印籠の銘には「休伯」「巨柳」「寛哉」等の銘が多い。巨柳は五代休伯の門人で、安永・大明頃(一八世紀後半)に活躍し、巨柳斎と号し、木村七右衛門というが、古満の姓を許され。余暇に機関人形を作ったという。寛哉(一七六七~一八三五)は坂内重兵衛といい、巨柳の門に入り、占満の姓を許され、坦叟・坦哉と号し、狂歌もよくした。二代寛哉は江戸末期の人。
小川破笠(一六六三~一七四七)/もと伊勢の人で、後江戸に出て俳諧を学び、土佐派の絵もよくした。通称を平助といい、宗宇・笠翁・卯観子・夢中庵と号した。漆芸にも長じ、蒔絵に陶磁・牙・堆朱・鉛・錆上等を併用して独特の装飾を行なったので、後世これは破笠細工と称された。門人の望月半山が二代破笠を称した。
塩見政誠(一六四六~一七一九)京都の人。通称を小兵衛といい、研出蒔絵の名手として聞こえ、後世その作は塩見蒔絵と称された。春政はその父といわれ、他に「政景」「秀政」等の銘があり、或は同系と見られる。
山田常嘉/はじめ寺田氏で、常加・常嘉斎と号す。徳川家の命により、幸阿弥長房とともに印籠・香箱等を作る。江戸南塗師町に住み、代々業を伝える。
尾形光琳(一六五八~一七一六)/京都の呉服商雁金屋の子で、元禄年間の画家として知られ、宗達・光悦の風をしたい、独自の装飾的様式を展開して、琳派と称された。光琳の蒔絵といわれる作品で確かな銘のあるものは見られず、印籠には針描銘の作が数例あり。今後の研究課題の一つである。
田付孝則/田付家は京都の蒔絵師として知られ、寿秀の名が見られる。孝則もその系統と思われるが、江戸で活躍し、狩野派の絵をよくしたという。他に「せう女」の名も記されているが詳細は不明。
飯塚桃葉/明和・安永頃(一八世紀後半)に活躍した印籠蒔絵師。通称を源六といい観松斎と号す。阿波の蜂須賀家より下駄に蒔絵をするよう求められ、我が蒔絵は印籠にすべきもので、いか程の黄金を積まれても下駄には蒔絵をしないとその非礼を怒り、断ったという。蜂須賀候はその気節に感じ、後に扶持を与え、御抱えの蒔絵師とした。江戸に住み、子孫も業を伝えて観松斎を号とした。
野村九圭/江戸の人。次郎又と称し、印籠の名手といわれる。弟の樗平は次郎兵衛と称し、これも印籠師として知られた。源三郎休甫は占満巨柳の門人で、九圭の家を継いだ。
幸阿弥因幡/江戸の人。蒔絵の上手といわれ、圓阿弥丹後と並び袮された。
上田宗悦/京都の人。元禄年間に光悦蒔絵を模した。他に江戸の土田半六の名も見られるが、同系か不明。
刑部太郎/江戸の人。刑部梨地の考案者ともいわれるが、詳細は不明。
友忠/京都の人で、和泉屋七右衛門といい、根付師であり、象牙で印籠を作り、竹林の七賢人や竹に虎を彫るのを得意とした。
蒔絵師市兵衛/大坂の人。「貝人さび印籠師なり」と記されているので、漆に砥粉を混ぜた錆漆を用い、これに螺鈿を併用した特殊な装飾であったと思われる。
清兵衛/大坂の人。その作はバラ印籠と称されて大いに珍重された。これは重ねの上下や表裏をバラバラにしてもどれでも合うところから名づけられたものである。宝永頃関東に召されたが、途中箱根で病歿す。因に、『装剣奇賞』の昔者が江戸で印籠の鑑識について、このバラ印籠のような組合わせができるのは、梶川や古満の上作を目利きする要点として口伝されたという。
山本春正/初代は歌や漢学をよくし、漆芸にも巧みで、遂に蒔絵師となり、代々春正と称して京都で活躍した。五代以降は名占屋に移り、江戸末期まで業を伝えた。
清水源四郎/江戸の人で、名工といわれた。その印籠は「桐の間」と称して珍重されたというが。「恐れ多ければ其よしをしるさず」とあり、謎めいた記述である。
椎原市太夫/金沢の人。清水源四郎の門人で、加賀印籠と称される独特の作風は、やさしく綺麗な蒔絵で、中でも彼の作は特に優れており、有名であったという。前川利常に召抱えられ、藤蔵・友之進・市之丞の三子も蒔絵をよくし、代々印籠師として業を伝えた。
杣田/富山の青貝師仙田清輔によって、十七世紀後半頃から行なわれた技法は杣田細工と称され、切貝や切金による精細な装飾が特色である。光正・光明兄弟が知られている。
芝山/下総芝山の大野木専蔵によって十八世紀紀後半に行なわれた技法は、彫貝・鼈甲・染象牙・角等を嵌装して華麗な装飾を行なったもので、芝山細工と称される。江戸に移り、芝山仙蔵と称酢。印籠には「政之」「易政」
佐野長寛/京都の人。長浜屋治助といい、高麗の帰化人張寛の五世の孫で、黒漆塗の名手とされた。歿年に異説がある。『装剣寄賞』の温故長寛は江戸の人で、覚々斎と号したが、両者の関係は不明。
原羊遊斎(?~一八四五)/江戸の人。久米次郎または登次郎と称し、保交山・更山と号す。在銘の印籠がかなり見られる。
白井松山/江戸の人。可交斎と号し、江戸末期に活躍す。
堆朱楊成/室町時代以来堆朱を伝えた家系。元の張成と楊茂の名を取り、代々楊成と称した。十代長是が徳川綱吉の御用を命ぜられ、代々将軍家の御用を勤めた。
玉楮象谷(一八〇五~六九)/高松の人。通称を爲三といい、象谷・蔵黒と号した。中国の彫漆・存星や南方のキンマ・籃胎漆器の技法を取入れ、高松漆器の基礎を築いた。藩主松平頼恕に召抱えられ、玉楮の姓を賜わった。
中
山胡民/江戸の人。原羊遊斎の門人で法橋となる。祐吉と称し、泉々と号す。
柴田是真/江戸の宮彫師市五郎の子で、順蔵と称し、令哉・枕流亭・対柳居と号した。十一歳で古満寛哉に蒔絵を習い、小川破笠の技法や青海波の法も取入れ、漆絵で一風を作った。帝室技芸員となり。幸阿弥伊勢・池田泰真その他多くの弟子を育成した。
根付師
根付が用いられるようになったのは、印籠・巾着・煙草入れ等の提物の使用よりはやや遅れ、さらに様々の形象を表わした形彫根付の流行は七世紀後半頃からと推測される。根付の製作については、前出の『人倫訓蒙圖彙』に「角細工」として象牙を鋸で切断している図が描かれ、二人挽轆轤や輪切り・環状・六角形の断片・琴柱形・笄・刷毛・三味線の撥等に混って、小粒の断片も見られ、或は根付用かと思われる。角細工師は笄・櫛拂・掛落・根付・緒締・挽蓋・火薬人れ等を作る工人で、寺町通その他所々にあると記されているので、一七世紀後半(中略)専門の工人の存在は明らかでない。『装剣奇賞』には「根付工」について、「近世これを刻して名を得し人少なからず今其工の巧拙にかかわらず名稱を録し間其象を図して鑑賞に便す」と記し、五四名の根付工をあげている。
これらの中には絵師一一名・欄間工三名・入歯工一名・仏師・塗師・機関師・面師・鋳物師各一名おり、さらに神道者や修験者も見られ、兼業や余技として根付を作る者がかなりいたことが察せられる。一方、専門の根付工もすでに活躍していたことが推察され、名の聞こえた工人もいた様子である。材質・技法別に見ると、木彫八名、象牙や鯨の牙の牙彫三名、牙木彫兼用四名、角工一名、金工二名、手頭が象牙で衣服に黒檀を用いる者一名、藤編一名、彩色専門七名、塗一名、面根付一名となっている。また、地域別に見ると、大坂一二名、京都七名、紀州五名、江戸六名、泉州二名、尾張・伊勢・美作各一名、不明六名となっている。関西に比べて江戸の根付師の名が少ない感じがあるが、或はこの書が大坂で刊行されたという事情によるものかもしれず、または江戸における根付師の活躍の時期がこれより遅れているかどうか問題とすべき点である。主なる根付師を左にあげておく。
吉村周山/大坂の人。通称は周次郎、諱は充興、探僊叟と号す。性川充信に絵を習い、法眼に叙せられる。中国の『山海經』『列仙傳』中の仙人や奇怪な像を好んで作り、蝦蟇仙人・龍仙人・鉄拐や関羽・鍾馗等の遺例が多い。檜の古材を用い、胡粉彩色を施す。『装剣奇賞』に「世に贋物多しといへども能画の所爲なれば企及べからず」と記されているように、当時すでにこれを模する者や偽物も出ていた様子である。吉村周山はその作に銘を入れなかったが、大坂長町の九郎兵衛は周山の後継者と称し、周山風の根付を黄楊木で作って銘を入れたので、「長町周山」と蔑称されたという。因に、海外における根付のオークションでは、周山の作品は1千万円単位になるといわれる。
雲樹洞院幣丸/大坂の人。一八世紀後半頃。神道者(中略)素彫で彩色は殆どないが、稀に薄彩色の作もある。
小笠原一斎/紀州の人。天明頃に根付の名工と称される。作風は象牙や鯨の眼を用いた細密な素彫で、当時すでに入手困難であったという。
三輪/江戸の人。八世紀後半。江戸根付の祖と袮される。広森勇閑といい、紀伊国屋庄左衛門と通袮す。余技として根付を作り、檜や杉材は磨滅しやすいので、桜や唐木を用い、紐通し孔に染象眼や染角を嵌入した。他に三輪と称する根付師が三、四名いる。
和流/江戸の人。三輪の弟子といわれ、三輪風の根付を作った。
根来宗休/大坂の人。一八世紀後半頃。入歯工の名手で、根付も巧みに作った。
又右衛門/紀州の人。一八世紀後半。出来のよい根付は紀州又右衛門の作といわれる程、名手とされた。
雲甫可順/大坂の人。一八世紀後半。修験者で、唐人物の奇怪な根付を作ったというが、氏名も余り確かではないという。
岷江/伊勢津の人。一八世紀後半。木彫であるが、いわゆる機関根付を種々考案し、例えば達磨の眼がぐるぐるひっくり返るようなものが巧みで、大いにもてはやされ、当時すでに偽物が作られたという。
友忠/京都の人。一八世紀後半頃。和泉屋七右衛門という。牛を彫るのが得意で、特に関東でもてはやされ、偽物が多く作られた。
爲隆/名古屋の人。一八世紀後半頃。喜多右衛門と称す。一流の根付師といわれ、特に衣文を浮彫で高く表わす手法を用い、新風を作った。
河井頼武/京都の人。一八世紀後半頃。仏師で、非常に綺麗な根付を作ったが、必ず一癖あって興を添えたという。
舟月/大坂の人で、後江戸に移る。一八世紀後半。姓は樋口といい、狩野派の絵師で法眼に叙せられた。根付に巧みで、江戸では雛人形店を開いて好評であったが、後江戸払いとなり、大坂に移って面根付を作り、特に阿福を得意とした。二代以降は江戸で舟月を名のり、明治まで業を伝えた。
佐武宗七/大坂の人。一八世紀後半頃。欄間師で、木彫牙彫の根付も作り、特に彩色を得意とした。
柳左/江戸の人・一八世紀後半頃・挽物師で、掛落根付の名手といわれ、蒔絵の印籠につけても傷がつかないというので好評であった。一説に饅頭形根付を空洞にして透彫したものを「柳左根付」と称するのは、この人の考案とされる。
正直/京都の人。一八世紀後半。牙彫・木彫等各種の根付に優れ、大いにもてはやされた。他に伊勢の国の鈴木新助も正直を名のり、十二支を得意とした。門人の三宅長五郎が二代を継ぎ、その子が三代正直を称した。
亀谷肥後/大坂の人。一八世紀後半頃。名は平助といい、もと機関師(からくり師)で、入歯工となり、根付もよくした。
清兵衛/京都の人。一八世紀後半。木彫を得意とし、優れた木彫根付は本人の作ではなくても「清兵衛彫」と称されてもてはやされた。当時彼の偽物が多く作られたという。
出目右満 江戸の人。一八世紀後半。面師出目家の系統で、二郎太夫という。余技とし面根付を作り、「天下一」の銘を冠した。これに対抗して出目左満も「天下一」と銘を入れたが技量は遙かに劣る。面根付の創始者は出目栄満と伝えるが確証はなく、出目系は面根付以外は作ら
なかった。
豊島屋伊兵衛/大坂の人。一八世紀後半頃。銀や銅の針金で一楽編のように金編の吸殻空け根付や瓢箪形根付を作った。
唐物久兵衛/堺の人。一八世紀前半頃。鋳物師で、掛落根付・吸殻空け根付等を唐金の鋳物で作った。根付には在銘の作が見られないが、仏具その他に銘が施され享保一九年の銘も見られる。
一楽/堺の人。一八世紀後半頃。土屋望籐軒と称す。籐や藤蔓で編んだ提物を作り、一楽編と称され、瓢箪形の根付等も作った。
中山大和女/江戸の人。一八世紀後半頃。象牙の掛落根付に獅子や龍を細密に彫り表わした。天明(一八世紀後半)以前の根付師中では、唯一の女性。
一旦/鳥羽の藩士。江戸末期の人で、後名古屋や岐阜に移る。明治一〇年頃歿。木彫で人物・動物を得意とし、特に猩々が優れていた。自作の根付を懐中に入れて常時磨いていたという。
一光斎(一七六三~一八三四)/江戸の人。斎藤伊太郎といい、鬼神・人物・動物等を得意とした。
田中岷江(一七三五~一八一六)/伊賀国の人。岩右衛門と称し、忠光・惇徳と号す。津藩の御用褂となり、彫刻師であるが、機関根付もよくす。
政蘆/姓は岩間、金蔵・金右衛門と称し、葛龍軒・葛龍子・諌鼓堂・幹支間・巣蜂斎。寿墨と号す。金工の直随の門人であるが、木彫漆塗の根付もあり、「政ヨし」の銘を付す。
長井蘭亭/出雲の人で、京都に住み、牙彫を得意とする。寛政頃。
山口友親(一八〇〇~七三)/江戸の人。竹陽斎と号す。牙彫を得意とし、北斎漫画風の根付を作る。二代三代も友親を称す。
大原光廣(一八二三~七五)/尾道の出身で、大坂に住み、牙彫を得意とする。愚子・徳鄰斎・切磋堂と号す。
小野陵民/江戸末期から明治時代にかけて、牙彫を得意としたが、詳細不明。
尾崎谷斎/江戸末期から明治にかけて、主として角彫の根付を作り、独特の唐草を彫り、谷斎と称された。惣蔵と称し、玉陽
斎光雛の門で四年間象牙彫刻を学ぶ。根付では生計が立ち難く、幇間となって赤羽織を着たところから「赤羽織」と自称した。紅葉の父。
山田法賓(?~一八八七)/江戸の人。伊左衛門といい、明鶏斎と号す。幕府の御家人で、写実的で緻密な作風の根付を作り、名工といわれる。
懐玉斎正次(一八七二~九二)/大坂の人。安永家の養子となり、後実父の清水吉兵衛を襲名。木彫・牙彫とも得意で、偽物も多い。銘は「懐医堂」「正次」「懐玉」「懐玉斎正次」等。
以上の他に、江戸末期から明治時代にかけて多数の根付師が輩出しているが、詳細不明の者が多い。一方、彫刻家の石川光明・旭玉山・森川杜園、漆工の柴田是真・池田泰真・金工の土屋安親、陶工の尾形乾山・三浦乾也等の根付も見られる。
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