マーキュリー・リヴィング・プレゼンス
「リヴィング・プレゼンス」と名付けた独自の録音方法でLP初期からステレオ全盛期にかけて約350枚のアルバムを制作したマーキュリー社。
その演奏会場で聴いているような臨場感を見事に再現した録音は、現在でも圧倒的な存在感のある名録音として髙い評価を受けています。
バイロン・ジャニス
ムソルグスキー:
・組曲《展覧会の絵》 (ピアノ独奏版)
ドラティ指揮
ミネアポリス交響楽団
ムソルグスキー:
・組曲《展覧会の絵》 (管弦楽版)
作曲家の友人であった建築家の遺作展に着想を得たムソルグスキーの組曲《展覧会の絵》は、様々な絵画やスケッチ、デザインの内容をピアノで綴った傑作です。
そのピアノ曲をラヴェルが卓越した管弦楽技法を駆使して色彩的で華麗な作品に編曲したオーケストラ版は、現在では原曲以上にポピュラーになり広く親しまれています。
このアルバムにはジャニスによるピアノ版と、ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団によるオーケストラ版を収録しています。
1959、60,61年録音
【バイロン・ジャニスとは】
1928年、ポーランド、ロシア系の両親のもとペンシルヴェニアに生まれたバイロン・ジャニスは、4歳からピアノを学んで早くから才能を発揮、8歳でリサイタルを開くと、会場に来ていた有名ピアノ・デュオで名教師のレヴィン夫妻から高く評価されて2年間教えを受けることとなり、続いて、夫妻の弟子のマーカスに6年間師事、その後、ジュリアードに進んでロジャー・セッションズに作曲と和声の教えを受けてもいます。
ジャニスの名が一躍有名になったのは、14歳のマゼールが指揮するピッツバーグ交響楽団と共演してラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏したときのことでした。演奏を聴きに来ていたホロヴィッツがジャニスを気に入り、楽屋を訪れて、自分の少年時代を思い出すなどと称賛し弟子にすると約束、以後、4年間に渡って教え、その後は家族のように親しい交流が続きました。
その間、当時ホロヴィッツが録音をおこなっていたRCAに、ジャニスもレコーディングをおこなうようになり、以後、1960年にマーキュリー・レーベルに移籍するまで、ソロやコンチェルトのセッションをおこなうこととなります。
ちなみにその1960年には、米ソ冷戦雪融け文化交流の一環として、アメリカ人として初めてソ連を訪れて演奏会を開き、大きな成功を収めていましたが、その後、1970年代には病気のため表舞台から去っています。
※マーキュリー・リヴィング・プレゼンスコレクターズ・エディションからの分売です。
コンディション良好。
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