商品は、F-TOYS(エフトイズ コンフェクト)から2012年に発売された『1/144 WORK SHOP Vol.24 U.S.ATTACKER COLLECTION 攻撃機コレクション』より『02.F-15Eストライクイーグル S.デモンストレイター』になります。
外箱・ブリスター開封済みの未組立品になります。ノーマルとシークレットの両方のリーフレットもあります。
ストライクイーグルのシークレットは、NATO軍のヨーロピアンワン迷彩が施されたデモンストレイターです。この機体は1980年のファーンボロ航空ショーに参加したストライクイーグルのプロトタイプになります(※マクダネルダグラス社が勝手に開発)。
◆趣味のF-15E(71-0291)
精悍なリザード迷彩でイギリスのファーンボロ航空ショーに現れたF-15Eデモンストレイター。この機体、来歴が面白いのでちょっと解説。
1969年にF-4ファントムの後継機としてF-X(後のF-15)の開発が始まります。この時代のアメリカはお金持ちだったので、F-15の試作機は全部で20機作られ、様々なテストに用いられました。
0291号機は、F-15の試作12号機(この時点の型番はTF-15A)として製造されました。2機作られた複座型のF-15試作機の2号機になります。
1973年10月に初飛行し、その後、複座型の様々なテストに供されます。
そしてこの機体、F-15のオプション装備として開発されたコンフォーマルタンク(エアインテークの外側に機体にぴったりと貼り付く形で装備される外付け燃料タンク。後にF-15Eの標準装備になる)の試験に使われます。
0291号機は、翌年の1974年には、NATO各国にF-15を販売する為、ヨーロッパツアーに出かけます。74年9月にはイギリスのファーンボロ航空ショーで展示(1回目)。コンフォーマルタンクを装着し、燃料をたくさん積める0921号機は外国に行くのに便利だったのです。
1976年に、米軍でのテスト&外国への売り込み任務を終えた0921号機は、製造元のマクダネルダグラス社にデモ機&テスト機&実験機として払い下げられます。
1976年はアメリカ建国200周年。めでたいので0921号機は白ベースに青・赤のラインを引いたバイセンテニアル記念塗装に塗り替えられ、販売促進の為、ヨーロッパへ。再びファーンボロ航空ショーに参加します(2回目)。
この年、バイセンテニアル塗装のまま日本にも飛来し、日本がF-15Jを導入するのに一役買ってます。
F-15のバイセンテニアル塗装の写真や模型は、この0921号機になります。
そして0921号機は、ここで終わりませんでした。
当時、アメリカの戦闘爆撃機のF-111が寿命を迎えつつあったので、マクダネルダグラス社では0921号機を大改造し、戦闘爆撃機仕様のF-15を勝手に作ってました。
戦闘爆撃機仕様のF-15は1980年のファーンボロ航空ショーに参加し(3回目)、その圧倒的な爆弾搭載量と爆弾を満載した状態での機動力を見せつけます。
翌年の1981年。0921号機は空軍に戻り、エドワーズ空軍基地配備となりました。そしてF-16XLと次期戦闘爆撃機の座を争い、1984年に勝利! ストライクイーグルとして開発が始まります。0921号機はLANTIRNポッド(赤外線ポッド)の試験や兵器システムの開発に従事します。
もうこの辺りで終わって良さそうなものですが、0921号機は、まだ終わりませんでした。
1991年。0921号機は、機首に新型のレーダー、偵察カメラを搭載し、データリンクシステムを備えた偵察型のRF-15に改造されます。
F-4ファントムの偵察型のRF-4Eと同じような事を狙ったのでしょうが、さすがに高価な高性能戦闘機F-15の偵察型は米軍に採用されませんでした。
その後、0921号機は、整備隊によるF-15の整備訓練の教材として使われた後、2002年にサウジアラビアに売却され、サウジアラビアの空軍博物館に展示してあるのだそうな。
試作機として作られ、バイセンテニアル塗装で世界中を回り、ストライクイーグルのプロトタイプに改造され、偵察型に改造され、最終的にサウジアラビアで余生を送っているとゆー。F-15の中でもかなり特異な経歴を持つ機体になります。