
F3928【MIKIMOTO 1899】ミキモト 美しいアコヤ真珠7.8~3.9mm SVネックレス 長さ48cm 重量19.17g バチカン幅6.75mm
【タイトル】
明珠在掌(めいしゅざいしょう) MIKIMOTO 1899 黎明の煌めき。世紀を超えし和光同塵の美、日本の魂を宿すアコヤ真珠の連なり
【セールストーク】
この一連のネックレスは、単なる宝飾品ではございません。これは、日本の近代が産んだ「美の結晶」であり、世紀を超えて受け継がれるべき文化遺産です。
今から一世紀以上前の1899年、御木本幸吉が銀座に初の真珠専門店を開いた、まさにその黎明期。世界がまだ日本の真珠の価値を知らなかった時代に、このネックレスは生み出されました。ご覧ください、7.8mmから3.9mmへと流れるように連なるアコヤ真珠のグラデーション。一つとして同じもののない、自然が生み出した不揃いな形と、内側から淡く発光するような柔らかな干渉色。これこそ、現代の均質な真珠にはない、生命感溢れる「和光同塵」の美しさです。
特筆すべきは、来るべき新世紀の芸術様式「アール・デコ」の萌芽を感じさせる、精緻な透かし彫りが施されたシルバー製のクラスプ(留め具)。当時、欧米で流行の最先端であったデザインをいち早く取り入れながらも、その細工には日本の伝統的な職人技が息づいています。中央にあしらわれた一粒の真珠が、全体の品格をさらに高めています。裏面に刻まれた初期の「M」のマークは、世界のMIKIMOTOへと飛躍する、その原点にある誇りと情熱の証左に他なりません。
長さ48cmという、デコルテを優雅に彩る絶妙なサイズ感。ブラウンのレザージャケットに合わせればモダンでシックな装いに、大阪のおばちゃんが大好きなアニマルプリントと合わせれば大胆で洗練されたスタイルを演出します。
このネックレスを手にすることは、日清戦争に勝利し、欧米列強と肩を並べんと国力を尽くした明治という時代の気概と、我々日本人が世界に示すべき「美の魂」そのものを継承することを意味します。歴史を纏い、物語を語るこの「掌中の珠」を、ぜひ貴女のコレクションにお加えください。
芸術小説『光の珠、黎明の夢』
序
明治も三十二年の歳月を重ね、帝都東京は、さながら制御を失いし巨大な生命体の如く、無秩序なる膨張と変容の只中にあった。その空気は、期待と焦燥、誇りと不安とが奇妙に混淆した、一種、熱病にも似た昂ぶりを帯びている。西の空に陽が傾き始めると、瓦斯灯が一つ、また一つと、ぼんやりとした橙色の光を灯し始め、煉瓦造りの西洋館の影を道に長く引き伸ばす。その傍らでは、墨を流したような黒壁の商家が依然として軒を連ね、人力車の軽快な車輪の音と、時折響く馬車の蹄の硬質な響きとが、新旧の時代の軋みとなって我々の耳朶を打つのであった。
我は、その日もまた、我が国の美術の行く末を案じつつ、上野の森を抜けて、不忍池のほとりを漫ろ歩んでいた。池の水面は、夕暮れの光を鈍く反射し、まるで古びた銅鏡のようであった。数年前、我々は清国との戦に勝利を収めた。東海の小国と侮られていた日本が、眠れる獅子と恐れられた大陸の帝国を打ち破ったという事実は、国民に未曾有の熱狂と自信をもたらした。街には「祝捷会」の提灯が溢れ、子供たちは軍歌を高らかに歌った。下関にて結ばれた講和条約は、莫大な賠償金と、遼東半島という新たな領土を我々にもたらすはずであった。しかし、その束の間の勝利感は、ロシア、ドイツ、フランスによる冷酷なる三国干渉によって、無残にも打ち砕かれた。遼東半島を清国に返還せよという、屈辱的な要求。我々は、巨大なる軍事力の前に、煮え湯を飲まされるが如く、それに従うしかなかった。「臥薪嘗胆」の四文字が、新聞紙上を飾り、国民の脳裏に深く刻み込まれたのは、その後のことである。
以来、我が国は、富国強兵の道を、狂気にも似た速度で突き進んでいる。清国からの賠償金は、その大半が軍備の拡張と、官営八幡製鉄所の建設のような重工業の育成に注ぎ込まれた。北の地では、巨大なる熊、ロシア帝国が、満州の野に不気味な影を落とし、シベリア鉄道の敷設を急いでいる。南の海では、米西戦争に勝利したアメリカが、フィリピンとグアムをその手に収め、太平洋の新たな覇者として名乗りを上げた。遠くアフリカの地では、大英帝国がボーア人との泥沼の戦いに足を取られていると聞く。世界は、帝国主義の野心が渦巻く、巨大な闘技場の様相を呈しており、我々日本もまた、その嵐の中から目を背けることは許されない。来年には、花の都パリで、新世紀の幕開けを告げる万国博覧会が開催されるという。我が国もまた、国威発揚の絶好の機会と捉え、工部省や農商務省が中心となり、出品する工芸品や美術品の選定に躍起になっている。
しかし、と我は思うのだ。果たして、我々が世界に示すべき日本の「力」とは、軍艦や大砲の数のみであろうか。西洋の模倣に過ぎぬ工業製品を並べ立てることが、真の国威発揚に繋がるのであろうか。否、断じて否である。我々が真に世界に誇るべきは、この国の風土と歴史の中で、千二百年以上に亘って育まれてきた、独自の美意識、その精神性そのものではあるまいか。雪舟の水墨に宿る、森厳なる宇宙の静寂。光琳の金蒔絵に観る、絢爛たる生命の讃歌。利休が、僅か二畳の茶室に見出した、無限の精神の広がり。これらこそ、西洋の合理主義とは全く異なる価値観の上に成り立つ、我々東洋の叡智の結晶である。
しかるに、今の世はどうだ。美術学校の若者たちは、ただ闇雲に油絵の具をカンヴァスに塗りたくり、石膏の無味乾燥な人体像を写すことのみに汲々としている。建築家たちは、ギリシャの神殿かゴシックの教会かを、何の脈絡もなくこの日本の地に再現しようと試みる。彼らの眼は、遠い西洋にのみ向けられ、自らの足元に横たわる、豊穣なる美の鉱脈に気づこうともしない。ああ、美はどこへ行った。魂はどこへ消えた。我が胸中は、鉛色の冬空の如く、重く、冷たく、垂れ込めていたのである。
その日、我は一人の男と会う約束があった。横浜の港に近い、異人居留地の喧騒から僅かに外れた、ささやかな商館にて。その男の名は、寡聞にして知らなかったが、伊勢志摩の海にて、貝の体内に人為的に核を入れ、真の珠を作らせるという、前代未聞の企てに成功せし人物だと、さる実業家から紹介を受けていた。好事家や、旧来の宝石商の中には、彼の産み出す珠を「養殖」という言葉で呼び、天然のそれとは似て非なる「紛い物」であると、公然と蔑む者も少なくなかったと聞く。しかし、我はむしろ、その発想そのものに、旧弊を打破する新時代の息吹を感じずにはいられなかった。自然の摂理に、人間の意志と知恵とを介在させて、新たなる美を創造する。それは、古き伝統に安住することなく、かといって西洋の猿真似に終わるのでもなく、この国の自然と人間との共同作業によって、世界に未だ存在しなかった価値を生み出そうとする、崇高なる試みではないのか。
あるいは、この男こそが、我が探し求める「生きたる美」の在り処を知る者やも知れぬ。軍事力でもなく、経済力でもなく、世界の人々の心を静かに、しかし深く捉えることのできる、新たなる日本の力の可能性を、その掌中に握っているやも知れぬ。そんな、微かにして切実なる期待を胸に、我は馬車を降り、潮の香りが微かに漂う、その商館の扉を叩いたのであった。
第一章 志摩の海の、光の雫
扉を開くと、そこは、西洋文明の香りが充満する空間であった。壁には英国製の、落ち着いた深緑色の地に金唐草の文様が施された壁紙が貼られ、床にはペルシャのものと思しき絨毯が敷かれている。部屋の中央には、黒光りするマホガニーの重厚な机が鎮座し、その上には水晶のインクスタンドと、最新式であろう米国のレミントン社製のタイプライターが置かれていた。開港以来、この横浜という土地は、日本の近代化の玄関口として、ありとあらゆる西洋の文物を受け入れてきた。その縮図が、この一室に凝縮されているかのようであった。
しかし、その豪奢な机の向こうに座し、我を迎えた男の姿は、その洋風の設えとは、全くと言ってよいほどに不釣り合いなものであった。男は、くたびれた木綿の着流しを無造作に身に着け、その顔や腕は、伊勢の海の強き日差しと潮風によって、赤銅色に焼き上げられている。その掌は、まるで古木の根の如く節くれ立ち、無数の細かな傷跡が刻まれていた。それは、書斎でペンを握る手ではなく、荒波の中で舟の艪を操り、幾万の貝殻と格闘してきた者の手であることは、一目見て明らかであった。だが、その朴訥として、野にある岩の如き男の貌の奥から、一対の眼光が、剃刀の如き鋭さで、我を射抜いた。その瞳は、我が嘗て奈良の古寺で対面した、仏師運慶が鑿を振るいし金剛力士像の、あの阿吽の眼光にも似て、揺るぎない信念と、容易ならざる意志の光を宿していたのである。
「先生、ようこそおいでくださりました。伊勢の海から参りました、珠作りの者でございます」
野太い、しかしどこか人懐こさを感じさせる声であった。その言葉には、卑屈さも、また尊大さも微塵も感じられなかった。ただ、己の生業に対する、飾り気のない、素朴な誇りが滲んでいる。我は深く一礼し、彼が勧める革張りの椅子に腰を下ろした。ぎしり、と椅子が軋む音が、妙に大きく部屋に響いた。
卓上には、黒い天鵞絨(ビロード)の布に、大切そうに包まれた、桐であろうか、白木の長方形の箱が一つ、静かに置かれている。おそらく、これこそが、彼が我に見せたいと云う、その「珠」なのであろう。彼は、多くを語らなかった。ただ、静かな、しかし確信に満ちた所作で、その白木の箱の蓋を取った。そして、中から現れた天鵞絨の布を、ゆっくりと、さも神聖な儀式を執り行うかの如く、開いてみせた。
瞬間、我は、息をすることを忘れた。
そこに横たわっていたのは、一本の、真珠の首飾りであった。しかし、それは、我が見慣れてきた、西洋の王侯貴族がその富と権威を誇示するために身を飾る、あの冷たく、尊大で、完全無欠なる宝飾品とは、全くその趣を異にするものであった。それは、宝飾品というよりも、むしろ、生命そのものが結晶したかのような、不可思議な存在感を放っていた。
それは、まるで、夜明け前の、静寂に包まれた志摩の海の色そのものを、誰かがそっと掬い上げ、一本の絹糸に通したかのようであった。その光は、ダイヤモンドの如き、刺すような、挑戦的な輝きではない。蝋燭の炎の如き、月光の如き、自らの内側から滲み出るような、柔らかく、深く、そしてどこまでも優しい光であった。
我は、身を乗り出し、その一条の光の連なりを、食い入るように見つめた。一つとして、同じ珠はない。中央に鎮座する、最も大いなる珠でさえ、完璧な球体ではなかった。その表面には、僅かな凹凸があり、まるで呼吸をしているかのようだ。そこから留め具へと向かうにつれて、珠は次第にその大きさを減じ、繊細で可憐な表情へと変化してゆく。その連なりは、数学的な正確さによるグラデーションではなく、寄せては返す波の如く、あるいは山の端にたなびく霞の如く、自然界にのみ存在する、予測不能にして、完璧なるリズムを奏でているかのようであった。
そして、その色。我は、これほどまでに複雑で、深遠なる「白」という色を、未だかつて見たことがなかった。それは、単なる白ではない。純白の絹の地に、まるで名手の絵師が、極めて淡い絵の具を幾重にも塗り重ねたかのように、様々な色が秘められている。ある珠は、生まれたての桜の花びらの如き、かそけき紅をその内に宿し、またある珠は、雨上がりの竹林を思わせる、清冽な青緑色の光を帯びている。そして、それらの珠が、光を受ける角度を変えるたびに、まるで生きているかのように、その表情を刻一刻と変化させるのだ。虹の七色が、その小さな球体の表面で、生まれ、戯れ、そして消えてゆく。これぞ、日本の海が、日本の空が、そして、うつろい易き日本の四季の心が育んだ、「干渉色」と呼ばれる、幽玄の輝きであろう。
「先生」と、その男は、静かに、しかし確信を込めて語り始めた。「これらは皆、我が故郷、志摩の海で、あのアコヤという名の、小さな貝が、その命を削り、その身の内で、何年もかけて育んでくれた、光の雫でございます。傷一つない、まん丸の珠を作るのは、それはもう、至難の業でございます。嵐が来れば、丹精込めて育てた貝は一夜にして全滅し、赤潮が流れ込めば、海は死に絶えます。貝の体内に核を入れるという、この前代未聞の行いは、多くの者から、自然の摂理に反する、神をも恐れぬ所業だと罵られました。何度も、何度も、全てを投げ出して、百姓に戻ろうかと考えました。なれど、私は、諦めきれなかった。そして、幾千、幾万の失敗の果てに、こうして、貝は我々の想いに応えてくれたのでございます」
彼の言葉は、もはや商人の口上ではなかった。それは、大いなる自然への畏敬と、生命への感謝に満ちた、祈りの言葉にも似ていた。
「世の宝石商たちは、まん丸で、傷一つない珠こそが至上であると申します。なれど、私は、そうは思いませぬ。ご覧くだされ。この、一つ一つの、不揃いな形、この僅かな歪み、この『えくぼ』と呼ばれる、ささやかな窪み。これらこそが、この珠が、厳しい自然の中で、必死に生き抜いてきた証なのでございます。工場で機械が作り出す、寸分違わぬ球体には、この温もりはございませぬ。この、一つ一つの珠の内にこそ、一つの命が宿っておるのでございます」
我は、息を呑んだ。生きておる証。一つの命が宿る。その言葉は、まるで雷鳴の如く、我が脳髄を打ち、我が胸の奥深くに眠っていた、ある確信と、期せずして、しかし必然的に、共鳴したのであった。
第二章 不完全の内に宿る、完全なる美
我は、嘗てより、我が国の美の本質とは何か、という問いを、繰り返し自らに投げかけてきた。西洋の美が、しばしば「完全性」と「対称性」への渇望の上に成り立っているのに対し、我々東洋、とりわけ日本の美意識は、全く異なる地平に立っているのではないか。その思索は、我をして、一つの結論へと導いた。それは、「不完全なるもの」への崇拝、という思想である。
西洋の美の源流を遡れば、古代ギリシャの神々の彫像に行き着くであろう。かのミロのヴィーナスにせよ、サモトラケのニケにせよ、その肉体は、人間の理想的な均衡と比率を追求した、数学的な完璧性の化身である。ルネサンスの巨匠たちが描いた聖母像は、神々しいまでの調和と静謐に満ち、バロックの建築は、圧倒的なまでの対称性と装飾によって、神の絶対的な権威を可視化しようと試みた。彼らにとって、美とは、混沌たる自然界を超越し、人間の理性が構築し得る、秩序と調和の理想郷であったのだ。
しかるに、我々日本の祖先たちは、美を、それとは異なる場所に見出してきた。例えば、華道の世界。我々は、満開に咲き誇る、完璧な姿の花を、必ずしも最上とはしない。むしろ、今まさに開かんとする蕾や、既に盛りを過ぎて、静かに散りゆく姿の内に、生命の移ろいという、より深い真実と、来たるべき未来への約束、あるいは過ぎ去りし過去への追憶といった、時間的な広がりを見出すのである。一つの花器に生けられた花、葉、そして枝は、決して左右対称に配置されることはない。その非対称な構成の中にこそ、活き活きとした生命の躍動と、見る者の想像力を掻き立てる「間」が生まれるのだ。
あるいは、我々が愛してやまぬ、茶の湯の道はどうであろうか。千利休は、完璧に均整の取れた、中国伝来の唐物の名器よりも、僅かに歪み、土の温もりを留めた、高麗や楽焼の茶碗にこそ、侘びの真髄を見出した。意図的に不完全に作られた茶室は、その質素で非対称な空間の中に、無限の宇宙の広がりを暗示させる。客人は、不完全な器を手に取り、その手触りや重みを感じながら、一碗の茶を喫する。その行為を通じて、人は、自らの不完全さを受け入れ、不完全なるが故に美しい、この世界の真理と一体となるのだ。全てを語らず、全てを飾り立てず、余白と余情を残すことによって、観る者の心を内側から静かに揺さぶり、その魂と対話をさせる。それが、我が国の芸術の、比類なき奥義ではなかったか。
今、我が目の前にあるこの一連の真珠は、まさにその、我々が古来より育んできた「不完全の美」の、明治という新しき時代における、新たなる顕現であった。もし、ここに並ぶ珠が全て、測ったように寸分違わぬ大きさ、寸分違わぬ形、寸分違わぬ色であったとしたら、それは確かに、西洋的な価値観においては「完璧」な品物であるやもしれぬ。しかし、それは同時に、生命の躍動を失った、冷たい工業製品の列なりに過ぎず、我々の魂に深く響き渡ることは決してあるまい。
しかし、この珠たちは、違う。一つ一つが異なる出自を持ち、異なる苦難を乗り越え、異なる個性をその身に宿している。ある珠は誇らしげに胸を張り、ある珠は慎ましやかに俯き、またある珠は隣の珠にそっと寄り添っているかのようだ。それらが、一本の強靭な絹糸によって結ばれ、一つの共同体を形成する時、個々の不完全さは、むしろ全体としての、より高次な、そして有機的な調和へと昇華される。それはさながら、異なる身分、異なる思想を持つ人々が、しかし「日本」という一つの目に見えぬ絆によって結ばれ、一つの国家を形成している、我々の社会の縮図そのものではないか。多様性の中にこそ存在する、真の統一と調和。これぞ、聖徳太子の昔より、我々が理想としてきた「和」の精神そのものであり、西洋の帝国主義が振りかざす、力による画一的な支配とは、根本的にその哲学を異にする、東洋の叡智ではあるまいか。
「伊勢の男よ」と、我は、我にもなく、深い感動と共に、静かに口を開いた。「貴殿は、ただ美しい珠を産み出したのではない。貴殿は、この国の海と、この国の土と、そしてこの国の人間の魂とが一体となって、日本の美の、新たなる形を、この世界に産み落としたのだ。日清戦争の勝利に浮かれ、三国干渉に打ちひしがれ、西洋列強の影に怯え、我々が自らの拠って立つべき場所を見失いかけている、まさにこの時代に。この、伊勢志摩の海から生まれた、名もなき光の雫は、我々に、自らの内なる海にこそ、誇るべき美の、そして力の、尽きせぬ源泉があることを、何よりも雄弁に、静かに、しかし力強く、教えてくれている」
男の、日に焼けた貌が、驚きと、そして微かな戸惑いとによって、見開かれるのを、我は見た。彼にとって、それは、生活を懸けた、必死の商売の種であったやも知れぬ。しかし、この混沌たる時代の転換点に立つ、一人の思索者の眼には、それが、歴史の必然が生み出した、一つの奇跡の如き象徴に見えたのである。
我は、許しを得て、そっとその首飾りを掌に取った。ひんやりと、しかし、どこか生命の微かな温もりを留めた、不思議な感触であった。十九グラム余りというその質量は、単なる物質の重さではない。それは、アコヤ貝という小さな生命が、その身の内で凝縮させた、生命そのものの重みであり、また、この伊勢の男と、彼を支えた名もなき職人たちの、幾多の夜の苦難と、幾多の朝の希望とが結晶した、物語の重みでもあった。我は、その小さな珠の連なりの中に、日本の、そして東洋の、新たなる美の夜明けを、確かに予感していた。
第三章 銀の留め具に観る、日本の魂
我が視線は、珠の一つ一つが放つ、幽玄なる光の戯れを飽かず眺めた後、やがてその連なりをたどり、その終端に位置する、小さな留め具(クラスプ)へと、吸い寄せられるように至った。首飾りの主役が真珠であることは言うまでもない。留め具は、その機能を果たしさえすれば良い、脇役的存在に過ぎないと、普通ならば考えるであろう。しかし、我は、この極めて小さな部品の中にこそ、この首飾りの、いや、この明治という時代の精神性が、驚くべき密度で凝縮されていることを発見し、再び深い感銘を受けずにはいられなかった。
それは、銀で作られた、精緻極まる細工物であった。その全体の意匠は、一見して、欧州で今まさに、世紀末の退廃と新世紀への期待の中で生まれつつある、新しい芸術様式の影響を色濃く受けていることが窺えた。ベルギーの建築家、ヴィクトール・オルタが設計したタッセル邸の、あの植物の蔓のようにうねる鉄の曲線。あるいは、フランスのナンシー派の工芸家たちが、ガラスや家具に好んで用いる、昆虫や草花の有機的なモチーフ。後に「アール・ヌーヴォー(新芸術)」と呼ばれることになる、その生命感に満ちた流麗な様式は、まだ我が国では一部の建築家やデザイナーが紹介し始めたばかりであったが、この留め具の設計者は、その最も新しい息吹を、驚くべき感性で嗅ぎ取り、取り入れている。
だが、我をして真に感嘆せしめたのは、そのモダンな意匠の中に、我が国の伝統的な職人技が、完璧なる調和を以て融合されていた点である。主たる技法は、透かし彫りであった。それは、平安の昔より、仏師が仏像の光背を彫り、刀工が刀の鍔を飾り、金工師が簪(かんざし)や帯留めを作る際に用いてきた、我が国が世界に誇るべき、繊細にして強靭なる金属工芸の技である。この、親指の先ほどの大きさしかない銀の板の中に、まるで夏の朝の蜘蛛の巣の如く、あるいは、冬の窓に凍りついた雪の結晶の如く、極めて細い銀の線が、複雑にして、しかし破綻のない見事な構成美を以て、張り巡らされているのだ。その文様は、西洋由来の幾何学的なパターンでありながら、どこか、我々が見慣れた唐草文様や、流水文の、流れるようなリズムをも感じさせる。
そして、その精緻な透かし彫りの、まさに中心に、全体の調和を統べる、絶対的な一点として、小さな、しかし周囲の銀の輝きに決して負けることのない、凛とした光を放つ一粒の真珠が、慎ましやかに、しかし確固として、鎮座しているではないか。それは、あたかも、この留め具そのものが、西洋という広大なる世界(銀の意匠)と、日本という一点(真珠)との関係性を象徴しているかのようであった。西洋の進んだ文化や技術を積極的に受け入れつつも、その中心には、決して揺らぐことのない、日本の魂とも言うべき核を、静かに、しかし断固として、守り続ける。これこそ、我々がこの明治の世において、国家として目指すべき理想の姿、「和魂洋才」の精神そのものではないか。
我は、その留め具を裏返してみた。そこには、アルファベットの「M」の文字を、アール・ヌーヴォー風の曲線で意匠化した、小さな、小さな刻印が、深く、鮮明に刻まれていた。おそらく、この珠作りの男、御木本(みきもと)という、その名の頭文字を、自らが産み出す珠の、品質を保証する紋章としたものであろう。アルファベットを用いるという行為そのものが、彼の視線が、もはや国内に留まらず、遠く西洋、ひいては世界という広大なる市場へと向けられていることの、野心的な宣言である。しかし同時に、自らの名を刻むという行為は、己が生み出したるものに対して、絶対的な自信と、終生変わらぬ責任を負うという、古来よりこの国の職人たちが受け継いできた、高潔なる矜持の証左に他ならない。
「この留め具も」と、伊勢の男は、我が視線に気づき、少し照れたように言った。「東京の、腕利きの銀細工師に、何度も図面を引かせ、作らせたものでございます。珠の美しさを損なわず、それでいて、丈夫で、着けやすく、外しやすい。そして何より、これ自体が、一つの小さな美術品であるように、と。金(きん)を使えば、もっと華やかになりましょうが、それでは、このアコヤの珠が持つ、奥ゆかしい光を、かえって殺してしまう。銀の、この、いぶしたような、落ち着いた輝きこそが、日本の珠には最も似合うのだと、私は信じております」
彼の言葉に、我は、深く、深く、頷いた。なんと見事な美意識であろうか。彼は、商売人でありながら、最高の芸術家でもある。和と洋。伝統と革新。自然の造形と、人間の作為。主役と脇役。その全てが、この一本の首飾り、いや、この小さな留め具という小宇宙の中に、奇跡的とも言えるほどの、完璧な均衡を保ちながら、共存している。それは、我々が、来るべき二十世紀において、どのような文化を創造し、どのような国を築き上げていくべきか、という、極めて重大な問いに対する、一つの、光り輝く答えを示しているかのようであった。
我は、この留めg具を作った、名もなき銀細工師の姿を、心に思い描いた。彼は、薄暗い工房で、小さな鏨(たがね)を手に、息を殺し、視力を酷使しながら、この微細な銀の線と格闘したに違いない。彼の名は、歴史に残ることはないであろう。しかし、その技と、その心は、この銀の細工の中に、不滅の魂として、永遠に生き続ける。これこそが、柳宗悦が後に「用の美」と呼ぶことになる、名もなき職人たちによって、連綿と支えられてきた、日本のものづくりの、真髄ではあるまいか。
第四章 生活に根差す美の未来
伊勢の男との邂逅と、彼の掌中の珠が放つ静かな光は、我が胸中に長らく渦巻いていた思索の霧を、さながら朝日の光が晴らすが如く、一つの明確な形へと導いてくれた。それは、美とは何か、という哲学的な問いに留まらず、その美が、これからの日本の社会において、如何なる役割を果たすべきか、という、より切実で実践的な問いへの、一つの答えであった。
美は、決して、美術館のガラスケースの中や、画廊の白壁の上に、あるいは寺社の薄暗い堂宇の奥に、権威的に鎮座し、人々から隔絶されていてはならぬ。そのような美は、もはや生命を失った、美しい骸に過ぎぬ。真に生きたる美とは、我々の生活の中に深く根差し、日々の暮らしの中に溶け込み、人々の心を内側から静かに潤すものでなくてはならない。一杯の茶が渇きを癒すように、一輪の花が部屋を彩るように、そして今、この一本の首飾りが、人の肌に触れ、その温もりを得て、更なる輝きを増すように。
我は、この珠の連なりが、やがてどのような運命を辿るのかに、想いを馳せずにはいられなかった。おそらくは、華族の令嬢か、あるいは新興財閥の若き令夫人の、その白き頸(うなじ)を飾ることになるのであろう。彼女は、それを身に着けて、鹿鳴館の後継とも言うべき帝国ホテルの夜会に出席するやもしれぬ。あるいは、観劇のために新築なった歌舞伎座の桟敷席に座るやもしれぬ。街には、三越呉服店が「デパートメントストア宣言」を発し、陳列式の新しい販売方法で人々の度肝を抜くのも、もはや時間の問題であろう。洋装の貴婦人たちは、そのような新しい空間で、この珠の輝きを、羨望の眼差しで集めるに違いない。
だが、我の想像は、そこに留まらなかった。この珠の美しさは、決して、特権階級だけのものではない。日清戦争後の好景気は、都市部に、新たな中産階級とも言うべき人々を生み出しつつあった。官吏、教師、銀行員、会社の事務員。彼らの妻や娘たちは、まだ多くが和服で生活しているが、その装いの中にも、少しずつ、西洋の風を取り入れ始めている。洋傘を差し、革のハンドバッグを持ち、髪にはリボンを結ぶ。雑誌『女学世界』などを熱心に読み、新しい時代の女性として、知性と教養を身に着けたいと願っている。
そのような、名もなき、しかし時代の確かな担い手である女性たちが、例えば、結婚という人生の大きな節目に、あるいは、夫のささやかな成功を祝う記念の日に、少しだけ背伸びをして、この珠の首飾りを手に入れる、という未来はあり得ないだろうか。それは、彼女にとって、単なる装飾品ではないであろう。それは、新しい生活への希望の象徴であり、慎ましくも満たされた、幸福な家庭の証であり、そして何よりも、一人の女性としての、ささやかな誇りの表明となるに違いない。彼女は、それを特別な日にだけ、大切に身に着ける。そして、時が経てば、やがて自らの娘へと、その珠に込められた想いと共に、受け継いでゆくのだ。肌に触れ、体温を吸い、持ち主の人生の記憶をその内に宿しながら、珠は、時と共に、その輝きを、物質的な価値を超えた、物語の深みへと変えてゆく。なんと、素晴らしいことではないか。
芸術が、生活から乖離し、一部の専門家や、富裕な好事家の独占物となった時、その文化の生命は、必ずや枯渇し、衰退する。我は、改めてそのことを確信した。我々が、この明治の世に、そして来るべき新世紀に為すべきは、難解で高邁なる芸術論を振りかざすことではない。この珠の首飾りの如く、人々の日常に、ささやかな、しかし確かな喜びと、精神的な豊かさをもたらす「生きたる美」を、一つでも多く、この世に創り出し、広めていくことなのだ。そして、その美を通して、世界の人々に、軍事力や経済力だけではない、日本の、真に誇るべき心の豊かさを、その文化の奥深さを、伝えてゆくことなのだ。
この伊勢の男は、高等な教育を受けた訳でもなく、芸術の理論に通じている訳でもないであろう。しかし、彼は、その実践を通して、我のような思索家が、書斎の中で言葉を弄して追い求めている真理の、まさにその核心を、その節くれ立った掌で、力強く掴み取っている。彼は、難解な言葉を使わず、ただひたすらに、美しき珠を作るという、その一点に、己の生涯を捧げている。その、ある意味で愚直とさえ言えるほどの情熱と、揺るぎなき信念こそが、何千語の美辞麗句よりも、遥かに雄弁に、美の本質とは何かを物語っている。
我は、辞去するにあたり、その伊勢の男に向かって、深く、深く、頭を下げた。それは、単なる儀礼的な挨拶ではなかった。それは、新たなる時代の、真の芸術家に対する、一人の同志としての、心からの敬意の表明であった。
「伊勢の男よ。今日は、我に、得難きものを見せていただいた。いや、深き教えをいただいた。この珠の輝きは、我が進むべき道を、そして、この日本という国が進むべき、もう一つの道を、明るく、確かに、照らし出してくれたように思う」
男は、多くを語らず、ただ黙って、しかし満面の、皺くちゃの笑みを以て、我が言葉を受け止めてくれた。その、日に焼け、潮風に刻まれた貌は、さながら、幾多の苦難の末に、自らの体内に、この世のものとは思われぬほどに美しい真珠を育んだ、老いたるアコヤ貝そのものの如く、尊く、そして美しく、我の眼には映ったのである。
終章 世紀を超えて、この珠を手にする者へ
時は、流れゆく。川の水が、二度と同じ岸辺を洗うことがないように、時代もまた、刻一刻と、その姿を変えてゆく。
あの日、横浜の、潮の香りがする商館の一室で、我が出会った一本の首飾り。その珠の連なりは、その後、幾多の人の手を渡り、幾多の時代の光と影とを、その身に映しながら、永き旅を続けてきたことであろう。
二十世紀という、人類が未だ経験したことのない、希望と、そして絶望の世紀の幕が開けた。我が国は、北の帝国との乾坤一擲の戦(日露戦争)に、辛くも勝利を収め、遂に列強の一員として、世界にその名を刻んだ。その束の間の栄光の時代を、この珠は、ある貴婦人の胸元で、誇らしげに見ていたやもしれぬ。
やがて、大正という、束の間の、しかし爛漫たる民主主義の花が咲いた時代が訪れる。モダンガールたちが、断髪の髪を揺らし、銀座の街を闊歩した。この珠は、そんな新しい女性の、自由の象徴として、その首を飾ったこともあったろうか。
しかし、その後に訪れたのは、暗く、永い、冬の時代であった。帝都を、一瞬にして瓦礫の山に変えた、関東大震災の劫火。世界を巻き込んだ、大いなる恐慌の嵐。そして、大陸の泥沼へと足を踏み入れ、遂には、世界中を敵に回して戦った、あの、狂気の如き大戦。爆弾が雨の如く降り注ぐ夜、この珠は、持ち主と共に、防空壕の闇の中で、息を潜めて、その微かな光を保ち続けていたに違いない。
焦土の中から、我々の父や母は、不死鳥の如く立ち上がった。奇跡と呼ばれた経済の復興、そして、世界が驚嘆した高度経済成長。この珠は、その目まぐるしい時代の変化を、ある家庭の、桐の箪笥の奥深くで、静かに見つめ続けてきたのかもしれない。そして、浮かれに浮かれた泡の如き好景気の時代を経て、失われた十年、二十年と呼ばれる、長い停滞の時代をも、耐え忍んできた。
その間、この珠を生み出したMIKIMOTOという名は、幸吉翁の夢が結実し、世界中の誰もが知る、日本が誇る至高のブランドへと成長を遂げた。日本のアコヤ真珠は、国境を越え、人種を越え、世界中の女性たちの、永遠の憧れの的となった。
そして今、この一世紀以上の、我々人間の尺度では計り知れぬほどの、永い、永い時を旅してきた首飾りが、奇跡のように、貴女の眼の前にある。
どうか、その珠を、ただの古い装飾品として見るのではなく、その一つ一つの球体の内に、耳を澄ませてみてほしい。そこに、明治の海の、荒々しくも清浄な、潮の香りを感じるであろうか。日清、日露の戦役の、遠い砲声を聞くであろうか。大正デモクラシーの、華やかな喧騒を聞くであろうか。そして、大戦の、悲しい祈りの声を聞くであろうか。
どうか、その銀の留め具の、精緻な細工を、光に翳してみてほしい。そこに、名もなき銀細工師の、ひたむきな魂の輝きと、明治という時代の、「和魂洋才」の理想に燃えた、若き日本の、気高い息遣いを見るであろうか。
これを身に着けるということは、単に、その物理的な美しさで、自らの身を飾るということではない。それは、御木本幸吉という、一人の不屈の男の夢と、彼と共に、この珠を育んだ、伊勢志摩の海と、自然と、そして、この珠が越えてきた、日本の近代史そのもの、その全ての喜びと、悲しみと、祈りと、希望の物語を、その身に纏うということなのである。
この「明珠」は、今まさに、貴女の「掌中」に在る。
願わくば、この、幾多の時代の記憶を吸い込んだ、生命の光の連なりが、貴女自身の人生という、新たなる、そして何ものにも代えがたい、尊い物語を、これから先、幾久しく、美しく、そして力強く、照らし続ける、不滅の光とならんことを。
(了)