以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです～～
序章：指輪とオークション
指先の冷えが、私の意識をディスプレイの光から現実へと引き戻した。時刻は深夜二時。外は静寂に包まれ、古びた木造アパートの床が時折、家鳴りを立てるだけだった。私の部屋だけが、キーボードを叩く音と、微かな興奮の熱気に満ちている。
「よし、こんなものかな」
画面に表示されているのは、大手オークションサイト『』の出品ページ。祖母の遺品整理で見つけた、一つの指輪の詳細を打ち込んでいた。
商品名には、こう記した。
『B3015【フランス製】美しい大粒ガーネット 天然絶品ダイヤモンド 最高級18金無垢ユニセックスリング』
写真は、昼間のうちに一眼レフで何枚も撮ったものだ。黒いベルベットを背景に、重厚な18金のリングが鎮座している。中央に据えられた大粒のガーネットは、深淵を思わせるほどの赤。まるで、燃え盛る炎の最後の煌めきだけを、永遠に閉じ込めたかのようだ。
商品説明文を、私は何度も推敲した。
『サイズ12、重さ11.2g、縦幅10.6mm。湧き上がるレッドカラーの煌めきがシックなガーネットのゴールドリングでございます。ガーネットを活かしたボリューム感のあるデザインです。石目表示はございません。フランスのホールマーク入』
この一行一行に、私は魔法をかけるように言葉を紡いだ。単なる商品の説明ではない。この指輪が持つ、声なき物語を伝えたかった。祖母はこれをどこで手に入れたのだろう。フランス製、という言葉の響きだけで、私の想像は遥か中世のヨーロッパへと飛翔する。武骨でありながら洗練されたデザインは、男性が着けても女性が着けても、きっと映えるだろう。『ユニセックス』という言葉は、だからこそ入れたかった。
「湧き上がる、レッドカラーの煌めき…」
自分で書いたその一文を、私は特に気に入っていた。まさに、そんな言葉がふさわしい。光を受けるたびに、石の奥底から、まるで生命を持つかのように赤い光が溢れ出してくるのだ。サイドに埋め込まれた小さなダイヤモンドたちも、その主役の輝きを健気に、そして上品に引き立てている。
鑑定書の画像もアップロードした。『NGL』、ノーブルジェムグレーディングラボラトリーと記されたカードには、『天然ガーネット』『脇石＝天然ダイヤモンド』の文字が誇らしげに印刷されていた。
開始価格は、少し迷って1円に設定した。この指輪の価値を本当に理解してくれる人に、その価値を決めてほしかったから。
すべての項目を最終確認し、私は震える指で「出品する」のボタンをクリックした。その瞬間だった。
部屋が、真っ白な光に包まれた。
いや、違う。光は部屋からではない。私の手元、パソコンのディスプレイからだ。画面の中の、あのガーネットの指輪が、信じられないほどの輝きを放っている。
「えっ…？」
目を細めても、光は収まらない。それどころか、ディスプレイの境界を越えて、現実の世界に溢れ出してくる。赤い光と白い光が渦を巻き、私の体を包み込む。重さ11.2gの金の感触、縦幅10.6mmの確かな存在感が、なぜか私の右手の薬指に宿るのを感じた。
浮遊感。
意識が遠のいていく。
最後に聞こえたのは、オークションサイトのサーバーが新しい出品を記録する、軽やかな電子音だけだった。
第一章：灰色の空と泥の匂い
冷たい。硬い。そして、ひどく不快な匂い。
最初に感じたのはそれだった。腐った藁と、家畜の糞尿、そして湿った土が混じり合ったような匂い。ゆっくりと瞼を開くと、視界に飛び込んできたのは、薄汚れた麻布の天井だった。
「…どこ、ここ」
掠れた声が自分の喉から出たことに驚き、私は勢いよく身を起こした。途端に、全身の節々が軋むように痛んだ。見渡すと、そこは粗末な小屋の中のようだった。土間の上に藁が敷かれ、申し訳程度の寝床になっている。壁は石と泥を塗り固めたもので、隙間風が容赦なく吹き込んできた。
自分の体を見る。着ているのは、ゴワゴワした生成りの粗末なワンピース。手足は泥と煤で薄汚れている。そして、私の手は…驚くほど小さく、華奢になっていた。
パニックが脳を揺さぶる。何が起きた？私は自宅のアパートで、に指輪を出品していたはずだ。あの光は何だったんだ？
その時、ふと右手の薬指に重みを感じた。
見ると、そこには見間違えようもなく、あの指輪がはまっていた。
『B3015【フランス製】美しい大粒ガーネット 天然絶品ダイヤモンド 最高級18金無垢ユニセックスリング』
私の小さな、汚れた指には不釣り合いなほど、そのリングは堂々とした輝きを放っている。18金の重厚なゴールド。中央で深紅の光を宿すガーネット。サイドで控えめに煌めくダイヤモンド。サイズ12のはずなのに、まるで誂えたかのように私の指にぴったりと収まっていた。
「夢…？でも、この感触は…」
重さ11.2g。指輪の確かな重みが、これが現実だと告げているようだった。
その時、小屋の扉が軋みながら開いた。逆光の中に、大柄な女性のシルエットが浮かぶ。
「ジャンヌ！いつまで寝てるんだい！さっさと水を汲んでおいで！」
鋭い声。だが、言葉が分からない。フランス語…？いや、もっと古い響きを持っている。なのに、なぜか、その言葉の意味が頭の中に直接流れ込んでくるような、不思議な感覚があった。
女性は私の顔を覗き込み、眉をひそめた。
「なんだい、その指輪は。どこで盗んできたんだい！」
「ち、違…」
言葉を発しようとして、私は再び絶句した。自分の口から出てきたのは、流暢な、しかし自分のものではない言語だった。まるで、生まれながらにこの言葉を話していたかのように。
混乱する私から、女性…おそらく、この体の母親なのだろう…は、強引に指輪を奪い取ろうとした。しかし、指輪はびくともしない。まるで、私の指に根を張ったかのように。
「なんて子だい！いいから、さっさと仕事をしな！」
母親は諦めたようにそう吐き捨てると、私を小屋の外へと突き飛ばした。
外に出て、私は息を呑んだ。
どこまでも広がる、灰色の空。貧しい農村。石と木でできた家々が点在し、泥濘んだ道を痩せた鶏が歩いている。遠くには、鬱蒼とした森と、簡素な教会の尖塔が見えた。空気は冷たく、煙の匂いがした。
21世紀の日本ではない。それは確かだった。
人々の服装、建物の様式、そしてこの空気。私の頭の中にあった歴史の知識が、警鐘を鳴らす。ここは、中世のヨーロッパだ。
呆然と立ち尽くす私に、村の子供たちが遠巻きに石を投げてきた。
「悪魔憑きだ！」
「森で変な指輪を拾ってきたんだ！」
私は咄嗟に指輪を庇うように手を握りしめた。どうやら、この体…『ジャンヌ』は、森でこの指輪を拾い、それから高熱を出して数日間寝込んでいたらしい。そして、目覚めた時には、私という別人格が宿っていた。典型的な、異世界転生。小説やアニメでしか知らなかった出来事が、私の身に起きていた。
状況を整理しよう。私は日本の女子高生で、祖母の形見の指輪をオークションに出品した。そして、その指輪と共に見知らぬ少女『ジャンヌ』の体に乗り移ってしまった。ここは、おそらく中世フランス。指輪がその証拠だ。鑑定書は無いが、あの『フランスのホールマーク』が、この場所との繋がりを示唆していた。
これから、どうすればいい？
元の世界に帰る方法は？
そもそも、なぜ私がここに？
答えの出ない問いが頭を巡る。ただ一つ確かなのは、この右手の指輪だけが、私と元の世界を繋ぐ唯一の絆であり、そしてこの過酷な世界で私を守ってくれるであろう、唯一の力だということだった。
私は、指輪の中央に鎮座する大粒のガーネットをじっと見つめた。
『湧き上がるレッドカラーの煌めき』
その石の奥底で、何かが静かに脈打っているような気がした。
第二章：赤き石の導き
この世界に来てから、数週間が過ぎた。
私は『ジャンヌ』としての生活に、必死で適応しようとしていた。朝は早く起きて水を汲み、家畜の世話をし、畑仕事を手伝う。食事は硬い黒パンと薄いスープだけ。夜は藁のベッドで凍えながら眠る。衛生観念など存在しないに等しく、誰もが泥と垢にまみれていた。
村人たちの態度は冷たかった。私が森から戻って以来、どこか様子がおかしいこと、そして何より、私の指で異様な輝きを放つ指輪を気味悪がっているのだ。特に、村の神父は私を見るたびに眉をひそめ、十字を切った。
「その指輪は悪魔の道具やもしれん。神に祈り、手放しなさい」
何度もそう言われたが、私にはできなかった。これだけが、私が『私』である証なのだ。
そんなある日、事件は起きた。
村に、数人の兵士が馬に乗ってやってきたのだ。彼らの鎧は汚れ、顔には横暴な色が浮かんでいる。イングランドの紋章を掲げた彼らは、この地を支配する占領軍だった。百年戦争。私の乏しい歴史知識が、その単語を脳裏に映し出す。ここは、イングランドとの長きにわたる戦争で疲弊しきった、15世紀のフランスなのだ。
兵士たちは、村長に有無を言わさず食料と税の徴収を要求した。今年の凶作で、村には蓄えなどほとんどない。村長がそれを訴えると、兵士の一人が無慈悲に彼を殴り倒した。
「口答えか、フランスの豚め！」
村人たちは恐怖に震え、誰も何も言えない。私も物陰から、息を殺してその光景を見ていた。悔しさと、無力感で唇を噛みしめる。
その時だった。
私の薬指にはまるガーネットの指輪が、不意に、じわりと熱を帯びたのだ。
「え…？」
見ると、ガーネットの深紅が、まるで血液のように脈打っている。そして、私の頭の中に、直接、映像が流れ込んできた。
――― 兵士の一人が、村の少女に手を伸ばす。抵抗する少女の父親。逆上した兵士が、剣を抜く。悲鳴。赤。赤。赤。―――
「…っ！」
あまりの鮮明なビジョンに、私は息を呑んだ。これは、未来？これから起こること？
指輪の熱は、危険を知らせるように、ますます強くなっていく。どうしよう。私に何ができる？非力な少女が、武装した兵士に敵うわけがない。
でも、このままでは、人が死ぬ。
私の足は、考えるより先に動いていた。
物陰から飛び出し、兵士たちの前に走り出る。
「お待ちください！」
兵士たちが、一斉に私を見た。訝しげな、そして侮蔑に満ちた視線。リーダー格の男が、嘲るように言った。
「なんだ、この小娘は。命が惜しくないのか？」
「お願いです！この村には、もう何もありません。どうか、お慈悲を…」
私の必死の訴えも、彼らには馬の耳に念仏だった。リーダーの男は私を睨みつけ、そして、私の右手に光る指輪に気づいた。彼の目が、卑しい欲望にぎらついた。
「ほう、随分と良い物を持っているじゃないか。その指輪を寄越せ。そうすれば、今日のところは見逃してやろう」
やはり、そうなるか。私は咄嗟に右手を後ろに隠した。
「これは…これは、だめです！」
「小娘が指図するな！」
リーダーが馬から降り、私に歩み寄ってくる。絶体絶命。村人たちは、誰も助けてくれない。ただ、遠くから怯えた目で見ているだけだ。
男の汚れた手が、私に伸びる。
その瞬間。
指輪のガーネットが、閃光と呼べるほどの強い光を放った。
『湧き上がるレッドカラーの煌めき』――オークションページに書いた、あの言葉が脳裏をよぎる。しかし、今、この輝きはシックなどという生易しいものではない。それは、怒りと拒絶を込めた、激しい生命の奔流そのものだった。
「ぐあっ！」
男は、まるで目に見えない力で突き飛ばされたかのように、数メートル後方に吹き飛んだ。何が起きたのか分からず、他の兵士たちも、村人たちも、そして私自身も呆然とする。
リーダーの男は、尻餅をついたまま、信じられないという顔で私を見ていた。
「ま、魔法か…？悪魔め…！」
彼は恐怖に顔を引きつらせ、慌てて馬に飛び乗ると、仲間たちと共に一目散に村から逃げ出していった。
後に残されたのは、静寂と、村人たちの畏怖の視線。
誰もが、私と、私の指でいまだ微かに赤い光の残滓を揺らめかせている指輪を、恐ろしいものでも見るかのように見つめていた。
神父が、震える声で呟いた。
「…聖なる奇跡か。それとも…」
私は、自分の右手に視線を落とした。ガーネットの熱は、もう収まっている。だが、石の奥底には、先ほどまでとは比べ物にならないほどの力が渦巻いているのが感じられた。サイドにあしらわれたダイヤモンドたちが、まるで星々のように瞬いている。
これは、ただの指輪じゃない。
この石は、未来を視せ、そして持ち主を守る、不思議な力を持っている。
フランス製、最高級18金無垢リング。祖母の遺品。そして、私をこの時代に呼び寄せた元凶。
私は、この力をどう使えばいいのだろう。
ただ生き延びるため？それとも…。
私の脳裏に、歴史の教科書で見た、一人の少女の姿が浮かび上がった。
同じ『ジャンヌ』の名を持つ、フランスを救ったとされる、聖女。
まさか。そんな、大それたこと。
しかし、私の心の奥底で、何かが静かに、しかし確かに、動き始めていた。この力は、そのために与えられたのではないか、と。
第三章：シノンへの道
村での一件以来、私を見る村人たちの目は、畏怖と、そして微かな期待の色を帯びるようになっていた。私を悪魔憑きと呼ぶ者はいなくなった。代わりに、『奇跡の少女』と囁く声が聞こえるようになった。
指輪の力は、あの日以来、より鮮明に私に語りかけるようになっていた。ガーネットは時折、未来の断片を幻視させ、ダイヤモンドは微かな治癒の力を発揮して、私の小さな怪我を癒してくれた。それは、この過酷な時代を生き抜くための、強力な武器だった。
私は、毎晩のように指輪に祈りを捧げた。元の世界に帰してほしい、と。しかし、指輪は沈黙したままだった。まるで、この世界で私に果たすべき役割があるのだと、告げているかのように。
そして、ある夜。私は鮮明な夢を見た。
夢の中で、私は戦場にいた。掲げられているのは、百合の紋章。フランスの旗だ。そして、一人の青年が、苦悩の表情で玉座に座っている。彼はまだ王冠を戴いていない。王太子、シャルル。
『彼を、ランスへ』
指輪が、私の心に直接語りかけてきた。
『彼を戴冠させ、真の王とするのです。それが、フランスを救う唯一の道』
夢から覚めた私は、汗びっしょりだった。
ランス。歴代のフランス王が戴冠式を挙げる聖なる場所。しかし、そこは今やイングランドとその同盟軍の支配地域にある。王太子シャルルは、ロワール川の南、シノン城に逼塞していると聞く。
無謀だ。一介の村娘が、王太子に謁見し、軍を動かすなど。
だが、指輪の意志は、あまりにも強く、明確だった。
私は決意した。
この力を、自分のためだけに使うのではない。この時代の人々を、苦しみから救うために使うのだ。それが、私をこの世界に導いた、この指輪の本当の目的なのかもしれない。
私は、村を出る準備を始めた。両親（この世界の）は、最初こそ猛反対したが、私が指輪の奇跡について語ると、最終的には神の思し召しかもしれないと、涙ながらに送り出してくれた。
旅の供は、たった一人。村の青年で、兵士の一件以来、私を信奉するようになったピエールだ。彼は腕っ節が強く、忠実だった。
「ジャンヌ、君が聖女であると、俺は信じている」
シノンへの道は、想像を絶するほど過酷だった。無法者たちが跋扈し、敵兵のパトロールが絶えず巡回している。何度も危険な目に遭ったが、そのたびに、指輪が私を救ってくれた。
ガーネットが事前に危険を察知し、幻視として見せてくれるのだ。
『三叉路を右へ。左には、待ち伏せがいます』
『今夜、この廃屋に野盗が来ます。早く離れなさい』
指輪の導きは、驚くほど正確だった。私たちは、幾度となくその力に命を救われた。
ある時、私たちはイングランド兵の検問に捕まりそうになった。絶体絶命の状況で、私は無我夢中で指輪に祈った。
すると、指輪の横で輝くダイヤモンドが、眩い光を放った。それは、人の心を穏やかにする、不思議な光だった。兵士たちは一瞬、私たちの存在を忘れたかのように呆然とし、その隙に私たちは森の中へと逃げ込むことができたのだ。
ボリューム感のある、ユニセックスなデザイン。私の小さな手には不釣り合いなはずの指輪は、今や体の一部となっていた。縦幅10.6mmの存在感が、私に勇気を与えてくれる。フランスのホールマークが刻まれたその指輪は、まるでこの国の土と、人々の魂と、共鳴しているかのようだった。
数週間にわたる苦難の旅の末、私たちはついに、ロワール川のほとりに聳えるシノン城へとたどり着いた。
第四章：王太子の試練
シノン城は、希望と絶望が入り混じった空気に満ちていた。フランス最後の砦。しかし、そこにいる誰もが、敗戦の影に怯えていた。
田舎出の、しかも粗末な身なりをした少女が王太子への謁見を求めても、まともに取り合ってくれる者などいるはずもなかった。門前で追い払われ、嘲笑を浴びせられた。
「神のお告げがあった、だと？またその手の狂人か」
「その指輪、なかなか立派じゃないか。それを置いていくなら考えてやらんでもない」
下卑た笑い声を浮かべる兵士たち。ピエールが憤慨して掴みかかろうとするのを、私は必死で止めた。ここで騒ぎを起こしても、牢屋に入れられるのが関の山だ。
どうすればいいのか。途方に暮れながら城壁を見上げていると、指輪がまた、じんわりと熱を持った。そして、ビジョンが流れ込んでくる。
――― 豪華な広間。大勢の貴族たち。玉座には、王太子シャルルではない、別の男が座っている。そして、部屋の隅で、みすぼらしい格好をした青年が、不安そうな顔でこちらを見ている。―――
「…試される」
私は、呟いていた。王太子は、私の力を試そうとしている。謁見を拒否されたことすら、その試練の一部なのだ。
私は、門番に向かって、再び声を張り上げた。
「王太子殿下にお伝えください！神は、殿下が私を試されることを、すでにお示しになりました。殿下が家臣の服をお召しになり、人々に紛れておられても、私は必ず殿下を見つけ出してみせましょう、と！」
私の言葉に、門番たちは顔を見合わせた。この小娘、ただの狂人ではないかもしれない。その言葉には、妙な確信と力がこもっていたからだ。やがて、一人の将校がやってきて、胡散臭そうな目で私を値踏みした後、城内へと通してくれた。
通されたのは、何十人もの貴族や騎士たちが集う、広大な謁見の間だった。煌びやかな衣装をまとった人々が、好奇と侮蔑の目で私を見ている。玉座には、ビジョンで見た通り、威厳のある衣装をまとった別の貴族が座っていた。
私は、臆することなく広間を進んだ。周りの視線など気にしない。私の意識は、右手の指輪に集中していた。ガーネットが、道を示すコンパスのように、微かに脈打っている。その脈動は、広間の隅に立つ、一人の青年に向かって、強く、強く、引かれていた。
彼は、簡素な服を着て、所在なげに佇んでいた。顔色は悪く、瞳には深い憂いの色が浮かんでいる。誰も彼に注目していない。だが、私にはわかった。彼こそが、フランスの未来を背負うべき男、王太子シャルルその人だった。
私は、彼の前までまっすぐに歩み寄り、深く膝を折った。
「王太子殿下。私は神の遣い、ジャンヌにございます。あなた様を聖地ランスへお連れし、フランスの真の王として戴冠させるために参りました」
広間が、どよめきに包まれた。
シャルルは、驚愕の表情で私を見ていた。彼の周りの貴族たちが、慌てて私を咎めようとする。
「無礼者！こちらが殿下であらせられるぞ！」
玉座の偽物が叫ぶ。
しかし、シャルルは、それを手で制した。彼は、私の目を、そして私の右手の指輪を、じっと見つめていた。その瞳には、疑いと、それ以上の…藁にもすがるような、一縷の希望が宿っていた。
「…お前には、それが分かると言うのか」
シャルルが、か細い声で尋ねた。
「はい。私のこの指輪が、真実の王の魂が放つ光を教えてくれました」
私は、誇らしげに指輪を掲げた。燭台の光を受けたガーネットが、まるで自ら発光しているかのように、深紅の輝きを放つ。『湧き上がるレッドカラーの煌めき』。その、生命力に満ちた輝きは、絶望に沈んでいた謁見の間の空気を、一瞬で圧倒した。
シャルルは、私の指輪に釘付けになっていた。
「その指輪…なんと美しい…。フランスの魂そのものが、宿っているかのようだ」
彼は、側近に何かを耳打ちした。その後、私は別室へと通され、神学者たちによる厳しい尋問を受けることになった。教義について、神のお告げについて、そして、この指輪の力について。
私は、正直に全てを話した。この指輪が、私をこの世界に導いたこと。未来を視せ、私を守ってくれること。そして、フランスを救うという使命を与えたこと。
尋問の最後に、一人の老神学者が、私の指輪を指さして言った。
「その指輪が聖なるものだという証は、あるのか？」
私は、静かに答えた。
「証は、これからの戦いが示すでしょう。オルレアンを解放し、殿下をランスへと導くこと。それが、この指輪と、私に与えられた神の意志の証となります」
私の言葉には、指輪が与えてくれる、絶対的な確信があった。
数日後。王太子シャルルは、ついに決断を下した。
私、ジャンヌに、兵を与える、と。
イングランド軍に包囲され、風前の灯火となっている都市、オルレアンの解放を、この田舎娘に託すというのだ。それは、狂気の沙汰としか思えない賭けだった。
だが、シャルルは賭けたのだ。私の瞳の奥にある揺るぎない光と、そして何より、あの深紅のガーネットが放つ、フランスの未来を照らすかのような、力強い煌めきに。
第五章：オルレアンの乙女
私に与えられたのは、わずか数千の兵だった。歴戦の騎士たちは、田舎娘の指揮下に入ることを、あからさまに嫌がった。彼らは私を『羊飼いの娘』と呼び、陰で嘲笑した。
だが、私は揺るがなかった。私には、この指輪がある。
出陣の前夜、私は一人、天幕の中で指輪に祈りを捧げていた。18金の冷たい感触が、私の決意を固くしてくれる。
『どうすれば、勝てますか？』
問いかけると、ガーネットが応えるように輝き、私の脳裏にオルレアン周辺の地図を広げた。そして、敵の布陣、兵の配置、補給路、そして、彼らの防御の『穴』を、赤い光の点で示してくれた。それは、どんな名将でも知り得ない、神の視点からの情報だった。
翌日の軍議。居並ぶ歴戦の司令官たちを前に、私は指輪が示した作戦を、淀みなく語った。
「敵の主力は、サン・ルー砦に集中しています。しかし、その背後にあるトゥーレル砦こそが、オルレアンを繋ぐロワール川の橋を抑える要。我々は、陽動部隊をサン・ルー砦に向かわせ、本隊で一気にトゥーレル砦を奇襲します」
司令官たちは、鼻で笑った。
「馬鹿を言え！トゥーレル砦は難攻不落だ！小娘の戯言に付き合っておれるか！」
「まず、川を渡って市内に入城し、体勢を立て直すのが定石であろう！」
彼らの言うことは、戦術の常識からすれば正しいのだろう。しかし、私には見えている。常識通りの戦いをすれば、兵を消耗し、いずれはじり貧になる未来が。
「私の言う通りにすれば、必ず勝てます。神が、そう告げておられます」
私は、一歩も引かなかった。私の瞳と、指輪の輝きが放つ異様な迫力に、司令官たちは気圧されたように押し黙る。最終的に、彼らは不承不承ながら、私の作戦に従うことになった。
戦いは、私の幻視通りに進んだ。
陽動に引っかかった敵の主力がサン・ルー砦に釘付けになっている隙に、我々の本隊は手薄になったトゥーレル砦に猛攻を仕掛けた。
私は、自ら旗を掲げ、先頭に立った。矢が雨のように降り注ぎ、恐怖で足がすくむ。だがそのたびに、指輪のダイヤモンドが淡い光の障壁のようなものを展開し、私への直撃を防いでくれた。
「進め！神は我らと共にある！」
私の姿に、兵士たちの士気が爆発的に高まった。今まで私を侮っていた騎士たちも、その超常的な幸運と、的確すぎる指揮を目の当たりにして、目を見張っていた。彼らの私を見る目が、侮蔑から畏敬へと変わっていくのが分かった。
激戦の最中、一本の矢が私の肩を貫いた。
激痛に意識が遠のきそうになる。だが、私は歯を食いしばり、自らの手で矢を引き抜いた。傷口に、指輪をはめた右手を当てる。ダイヤモンドが癒しの光を放ち、夥しかった出血が、たちまち止まった。
その光景を見た兵士たちが、雄叫びを上げる。
「聖女様は不死身だ！」
「奇跡だ！神の奇跡だ！」
もはや、フランス軍を止めるものはなかった。その日のうちに、我々はトゥーレル砦を陥落させ、オルレアンへの道を切り開いたのだ。
包囲されていたオルレアンの市民たちは、解放軍の到着を、涙ながらに歓迎した。そして、その先頭に立つ、旗を掲げた一人の少女…私を見て、人々は跪き、祈りを捧げた。
『オルレアンの乙女』
いつしか、私はそう呼ばれるようになっていた。
だが、本当の戦いはこれからだった。指輪は、まだ輝きを失っていない。ガーネットの奥底では、さらに激しい戦いの未来が、赤い炎のように揺らめいていた。ランスへの道は、まだ遠い。
終章：戴冠、そして指輪の行方
オルレアンの勝利は、フランス全土を駆け巡る福音となった。私の名は、神の遣いとして、伝説となりつつあった。イングランド軍は、『乙女』の率いる軍を魔女の軍隊だと恐れ、戦意を喪失していった。
私たちは、破竹の勢いで進撃を続けた。指輪が敵の動きを読み、私が兵を鼓舞する。それは、もはや負けるはずのない戦いだった。ジャルジョー、モン、ボージャンシー…ロワール川沿いの町々を次々と解放し、ついに、パテーの野戦でイングランドの主力部隊に壊滅的な打撃を与えた。
そして、ついにその日が来た。
王太子シャルルは、解放された都市、ランスの大聖堂で、フランス国王としての戴冠式を挙行したのだ。
荘厳なパイプオルガンの音色が、巨大な聖堂に響き渡る。大司教が、聖油をシャルルの額に塗り、そして、フランス王家の王冠を彼の頭上へと捧げた。
「シャルル七世陛下、万歳！」
歓声が、聖堂を揺るがす。
私は、その光景を、祭壇のすぐ側で、軍旗を掲げて見守っていた。私の隣には、今や国王となったシャルル七世が、涙を浮かべて立っている。彼は、私の手を固く握りしめた。
「ジャンヌ。君がいなければ、この日は永遠に来なかった。君こそが、フランスの救世主だ」
私の使命は、果たされた。
その時、私の右手の指輪が、これまでで最も強く、そして穏やかな光を放った。ガーネットの赤い輝きは、まるで役目を終えたことを告げるかのように、静かに、優しく、私の指を温めていた。
その夜。私は一人、シャルル七世に謁見した。
「陛下。私の役目は、これで終わりです。どうか、故郷の村へ帰るお許しを」
「何を言うのだ、ジャンヌ。これからも、フランスのため、余の側近として力を貸してほしい」
私は、静かに首を振った。そして、右手の指輪を、ゆっくりと指から抜き取った。あれほど固く、私の指に根を張っていたはずの指輪が、嘘のように、すんなりと抜けた。
私は、その指輪を、恭しくシャルル七世に差し出した。
「陛下。私に力を与えてくれたのは、神であり、そしてこの指輪です。これは、フランスの王たる方がお持ちになるべきもの。この指輪の魂は、フランスの土と共にあります。どうか、これからのフランスを、お守りください」
重さ11.2g。その重みは、一つの国の運命そのものだった。
シャルルは、驚き、そして何かを悟ったように、厳かにその指輪を受け取った。彼の太い指に、ユニセックスなデザインのリングが、不思議としっくりと収まった。
「…わかった。君の意志、確かに受け取った。この指輪は、フランス王家の至宝として、末永く、大切に受け継いでいこう」
それが、私がこの世界で見た、最後の光景だった。
シャルルの手に渡ったガーネットの指輪が、感謝を告げるかのように、一度だけ強く煌めいた。その赤い光に包まれ、私の意識は、再び白く、遠くなっていく…。
…
……
………
軽やかな、電子音で、私は目を覚ました。
『おめでとうございます！あなたが出品した商品は、落札されました』
見慣れた、自分の部屋。パソコンのディスプレイには、の落札通知が表示されている。窓の外は、すでに白み始めていた。
私は、呆然と画面を見つめた。
落札価格は、私の想像を遥かに超える、とんでもない金額になっていた。入札履歴を見ると、最後の数時間で、まるで競い合うように価格が吊り上っている。
私は、自分の右手の薬指を見た。
そこにはもう、指輪はない。しかし、確かに、その重みと感触が、まだ残っているような気がした。
あれは、夢だったのだろうか。
あまりにも長く、鮮明な、一つの人生を歩んだかのような夢。
数日後、私は落札された指輪を、厳重に梱包して発送した。落札者は、都内在住の、個人名の人物だった。
それから、一週間ほど経った頃だろうか。
私の元に、一通の手紙が届いた。差出人は、あの指輪の落札者からだった。上質な便箋に、美しい万年筆の文字で、こう綴られていた。
『この度は、素晴らしいお品をお譲りいただき、誠にありがとうございました。
我が家は、代々、歴史研究、特にフランス史を専門としております。そして、我が家にのみ、口伝として伝わる、一つの伝説がございました。
それは、百年戦争の時代、フランスを救った聖女ジャンヌ・ダルクにまつわるものです。
彼女は、神の力を宿した『赤い石の指輪』によって奇跡を起こし、シャルル七世を戴冠へと導いた、と。そして、役目を終えた彼女は、その指輪を王に託し、忽然と姿を消した、というのです。
王家に渡ったその指輪は、フランス革命の混乱の中、行方不明になったとされていました。我々は、その指輪を、何世代にもわたって探し続けていたのです。
あなた様が出品された指輪の画像と、その説明文…特に、『フランスのホールマーク』、そして『湧き上がるレッドカラーの煌めき』という一文を拝見した時、私は、これが伝説の指輪に違いないと確信いたしました。
指輪は、無事に私の元に届きました。実物は、想像を絶するほどの気品と力強さに満ちており、我が一族の長年の夢が、ついに叶えられた思いです。
この指輪は、我々が責任を持って、大切に、未来へと受け継いでいく所存です。
あなた様と、この指輪との出会いに、心より感謝申し上げます』
手紙を読み終えた私は、窓の外の空を見上げた。
灰色の空ではない。どこまでも澄み渡る、青い空だ。
私の頬を、一筋の涙が伝った。
あれは、夢ではなかった。
遠い、遠い時を超え、場所を超え、一つの指輪が紡いだ物語。
あの過酷な世界で、確かに生きた少女の記憶。
私の手元を離れた指輪は、その物語を理解する者の元へと、還るべき場所へと、還っていったのだ。
私は、そっと自分の薬指に触れた。
もう何もないけれど、あの11.2gの確かな重みと、フランスの土の匂いを、私はきっと、生涯忘れることはないだろう。
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