
商品説明
終活のため出品致します。大事にされる方のみ。業者様等の転売目的は不可
★☆★日本刀・短刀 帝室技藝員宮本包則作 在銘「寳剣写鎌倉八幡宮正宗」超希少★☆★
銃砲刀剣類登録証の内容
種類/短刀
刃長/19.6cm
反り/ なしcm
目くぎ穴/ 1個
銘文:表、帝室技藝員宮本包則作
裏、寳剣写鎌倉八幡宮正宗
備考/
平成弐拾四年弐月八日交付 愛知県教育委員会
サイズ(約) 素人採寸のため多少のズレはご了承ください。
元幅/34.7mm 先幅/ mm 元重ね/5.0mm 先重ね/ mm
刀身重さ/178g 銀着せ銅一重はばき 32g
裏銘切り:寳剣〇写ス 鎌倉八幡宮 正宗 〇は目釘穴
刀匠について、刀剣の出来、仕様など
出来:片切刃造 庵丸
刃文/互の目乱れでしょうか
地肌/大板目肌
帽子/尖り
茎/たなご腹尻、横鑢
ハバキ/銀着せ銅一重32g 以上出品者判断(間違っていたらごめんなさい)
宮本包則(みやもと かねのり)本名は、志賀彦、幼時は沢次郎と名乗った。
1830年(天保元年)、伯耆国(ほうきのくに)大柿(現:鳥取県倉吉市)に生まれました。
志賀彦は幼少期より近所の刀匠の家を訪ねては、刀剣にまつわる話を聞くことを好みました。
1851年(嘉永4年)、22歳になった志賀彦は刀匠を志し、備前国長船(現:岡山県瀬戸内市)
に赴き、刀匠「横山祐包」(よこやますけかね)の門下となります。
祐包の下で備前伝の技法を修得した志賀彦は、師より「包」の名を授けられ「宮本包則」
と名乗るようになります。
刀匠となった包則は、鳥取藩お抱え刀匠の職を経て、京都に鍛冶場を設け、尊王攘夷を
掲げて討幕を志す志士達のために作刀を行いました。
そして、朝廷の重鎮であった有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)
から厚遇を受け、1867年(慶応3年)に能登守(のとのかみ)を受領。戊辰戦争に従軍した
のち、明治天皇の即位のために作刀し、以降三代の天皇の守り刀を手掛け、1886年(明治19
年)には伊勢神宮式年祭の宝刀を作刀するなど、1926年(大正15年)に97歳でこの世を
去るまで、精力的に作刀活動を続けました。
1906年(明治39年)、月山貞一とともに刀匠として初めて帝室技芸員に認定された。
また、宮中に近侍する立場として宮本の姓にかえて皇臣たる菅原の氏を記すことも。
包則は、備前伝に美濃伝を加え、地鉄はきめ細かく華やかな刃文、素朴ながら優美な
造形をもつ作品を多く残しています。
出品理由:趣味の一環で購入しましたが、家族には手入れなどが期待できず
引き継ぐ者がいないため、終活として泣く泣く出品する次第です。
是非是非、家宝として大事にして頂ける方、よろしくお願い致します。
商品状況:銀着せ銅一重はばき、白鞘に入っています。
目視する限り、ハギレ、刃こぼれ、フクレなどはなく現状のままで、
鑑賞頂ける状態かと思います。やや擦れ傷や汚れあり。
付属品:銃砲刀剣類登録証。白鞘入り。白鞘袋。
注意事項:※ご落札し、お手元に届いたら早めの「受け取り連絡」が出来る方。
また、届いてから20日以内に銃砲刀剣類登録証に記載されている、
愛知県の教育委員会に、ご連絡し銃砲刀剣類登録証の所有者変更を
必ず行ってください。
お支払方法:!かんたん決済のみとさせて頂きます。Yahoo!かんたん決済のみ
発送方法:再利用再加工段ボール箱に入れ、ヤマト運輸さん、佐川急便さんの
着払い便で発送します。約80サイズの予定です。即決の場合は無料。
※注意:業者様等の転売目的が判断された場合はご入札を取消させて頂きます。
家宝として末永くご愛用されるかたを優先させて頂きます。
無いと思いますが、クレーム、返金、返品は御受け出来ません。
素人画像ですが、画像等をご確認の上、ご入札をお願い致します。