【純金363g】石黒光南作 徳力 純金香炉 伽羅の香りで天下統一へ!企業戦士に捧ぐ至高の逸品
【セールストーク】
見る者を圧倒する黄金の輝き。戦国の魂を現代に伝える、一級品の純金香炉、ついに降臨。
皆様、この度ご覧いただきますのは、ただの香炉ではございません。金工作の名匠・石黒光南の手による、貴金属の老舗・徳力が品位を保証する、正真正銘の「純金製香炉」でございます。その重量、実に363.24g。手に取ればずっしりと魂に響く確かな重みは、純金ならではのものです。
ご覧ください、この気品あふれる佇まいを。古えの鼎(かなえ)を思わせる格調高い三足は安定感に満ち、丸みを帯びた胴には繊細優美な梅花文様が手彫りで施されております。梅は百花に先駆けて咲き、厳寒に耐えて香ることから、古来より高潔さや生命力の象徴とされてきました。蓋には精緻な透かし彫りが施され、立ち昇る香煙を優雅に導きます。そして、蓋の頂で存在感を放つのは、豊穣や繁栄を意味する松ぼっくりのつまみ。細部に至るまで、日本の美意識と職人の魂が息づいております。
この香炉は、極上の香木、特に「伽羅(きゃら)」を焚くために作られた究極の道具。純金は熱伝導に優れ、香木の繊細な芳香を余すところなく引き出し、混じり気のない純粋な香りを空間に解き放ちます。ひとたび伽羅を焚けば、その馥郁たる香りは数日間も漂い続け、日常を非日常の聖域へと変えることでしょう。
古来、香りは権力者たちに愛されてきました。特に戦国時代の武将たちは、出陣前に鎧兜に香を焚きしめ、精神を研ぎ澄まし、士気を高めたと伝えられます。この香炉で伽羅を焚くことは、まさに現代の戦場で日々奮闘される企業戦士の皆様にとって、かの武将たちと同じく、自らを鼓舞し、精神を統一し、そして「天下統一」にも似た大願成就への祈りを込める、神聖な儀式となり得るのではないでしょうか。
底面には「純金」「徳力」「光南造」の刻印。これは、紛れもない本物であることの証。
大切に手入れを重ねれば、その輝きは失われることなく、代々受け継がれるべき家宝となるでしょう。ご希望であれば、人間国宝クラスの達人に依頼し、さらに磨きをかけて新品同様に仕上げることも可能です(その場合、研磨により多少重量が減る可能性がございます)。
この純金香炉を手に入れるということは、単に高価な品物を所有するということ以上の意味を持ちます。それは、日本の伝統工芸の粋を愛で、歴史のロマンに思いを馳せ、そして自らの志を新たにする、かけがえのない体験となるはずです。
業界の天下統一を目指すあなたへ。あるいは、人生の大きな勝負に挑むあなたへ。
この石黒光南作・徳力製 純金香炉こそ、あなたの傍らに在るべき、唯一無二の守護神となるでしょう。
この稀有な機会を、どうぞお見逃しなく。
以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです~~
題名:『黄金の鼎(かなえ)、伽羅の夢』 ~石黒光南 純金香炉異聞~
語り手:北大路 香山(きたおおじ かざん)
(序章) わしの書斎と、一縷の期待
やれやれ、今日も今日とて、つまらん骨董崩れを持ち込んでは、わしの慧眼を試そうなどと殊勝な顔をする輩が後を絶たん。わしは北大路香山。世間じゃ美食家だの陶芸家だの、好き勝手なレッテルを貼りおるが、わしの本懐は「美」そのものの探求にある。真贋を見極め、本物の持つ魂の輝きに触れることこそ、わが生涯の悦楽じゃ。
今日の客は、どこぞの成り上がり社長と聞いた。ふん、どうせ金に飽かせて集めたガラクタを自慢しに来たのであろう。いつものように、濃い目の煎茶でも淹れて、さっさと追い返してやるわい。そう思って重い腰を上げかけた時、玄関先で供の者が何やら小声で囁いておる。
「…先生、これは、ひょっとすると…」
その声に、微かな期待が混じっておった。長年連れ添ったこの男の勘は、時としてわしの退屈を打ち破る狼煙となる。まあ、良い。少しは楽しませてくれるかもしれん。わしはゆっくりと立ち上がり、客間へと向かった。そこに鎮座しておったのが、あの黄金の塊じゃった。
(第一章) 金無垢の挑戦状
客間の上座には、見るからに羽振りの良さそうな、しかしどこか神経質そうな男が座っておった。歳の頃は四十そこそこか。その前に置かれた桐箱の蓋が開けられると、ふわりと古い絹の匂いと共に、鈍い黄金色の光が溢れ出した。
「香山先生には、初めてお目にかかります。わたくし、こういう者でございます」
男は深々と頭を下げ、名刺を差し出す。受け取って見れば、IT関連の会社の社長とある。ふん、時代の寵児というやつか。じゃが、わしの興味はそちらにはない。目の前の、布に包まれた物体じゃ。
「して、その品は?」
わしがぶっきらぼうに問うと、男は待ってましたとばかりに、恭しく包みを解き始めた。現れたのは、三足の香炉。じゃが、ただの香炉ではない。その全体が、まるで溶かした太陽をそのまま固めたかのような、圧倒的な黄金色を放っておった。
「純金の、香炉でございます。重量は三百六十グラムを超えますそうで」
男は得意げに言うた。三百六十グラム。なるほど、確かにずしりとした存在感じゃ。わしは無言で手を伸ばし、その香炉を手に取った。ひんやりとした金属の感触。そして、確かな重み。これは、鍍金(めっき)や箔貼りなどという生易しいものではない。まさしく、金無垢(きんむく)じゃ。
「ふむ…」
わしはまず、その全体の姿をじっくりと眺めた。鼎(かなえ)を思わせる三つの足は、どっしりと安定感があり、古代中国の青銅器にも通じる威厳を漂わせておる。胴は丸みを帯び、豊満でありながらも、決して野暮ったくはない。その表面には、何やら花の文様が打ち出されておるようじゃ。
「この花は…梅か?」
「はい、おそらく梅花かと。専門の方にも見ていただきましたが…」
梅花か。寒中に耐えて百花に魁(さきが)けて咲く梅は、高潔と忍耐、そして生命力の象徴じゃ。この黄金の器に、まことに相応しい意匠と言えよう。文様は単なる打ち出しではなく、鏨(たがね)の跡が見える。これは彫金(ちょうきん)じゃな。それも、かなりの手練れの仕事と見た。
蓋は、透かし彫りが施され、立ち昇る香煙が優雅に揺らめく様を計算しておる。その中央には、松ぼっくりのような形のつまみ。松は常盤木(ときわぎ)として長寿を、松ぼっくりは多くの種子を宿すことから子孫繁栄や豊穣を意味する。縁起の良い意匠じゃ。
「して、作者は?」
わしが問うと、男は少し声を潜めて言うた。
「それが…底に刻印がございまして。『徳力』と、『石黒光南』の名が…」
徳力。そして、石黒光南。ほう、これは面白いことになってきたわい。わしは香炉をそっと裏返し、底を見た。そこには確かに、くっきりと「純金」「徳力」そして「光南造」の文字が刻まれておった。
徳力といえば、江戸時代から続く貴金属の老舗じゃ。その名があるということは、この香炉が正真正銘の純金であり、その品位が保証されておるということじゃ。まがい物ではない、本物の黄金。その輝きは、見る者の心を捉えて離さん。
そして、石黒光南。金工の世界では知らぬ者のない名門じゃ。初代光南は江戸時代後期に活躍し、その精緻な彫金技術は高く評価された。以後、代々その技を受け継ぎ、石黒家はその卓越した技術で金工界に揺るぎない名声を築き上げた。この香炉が何代目の作かは判然とせんが、「光南」の銘がある以上、石黒家の確かな技術が注ぎ込まれた一級品であることは疑いようがない。
「なるほどな…」
わしは思わず唸った。これは、ただの金塊ではない。日本の伝統工芸の粋を集めた、美術品としての価値も備えておる。男は、わしの反応を固唾を飲んで見守っておった。
「香山先生、いかがでしょうか…」
「ふん、まだ結論を出すのは早い。この香炉が真価を発揮するのは、火を入れてこそじゃろうて」
わしはそう言うと、男の顔にぱっと明るさが灯った。こやつ、なかなか見所があるやもしれん。本物の香を、この黄金の器で味わうことを望んでおるのじゃからな。
(第二章) 黄金の肌、梅花の魂
さて、この石黒光南の純金香炉。まずはその「肌」から語らねばなるまい。金という素材は、古来より洋の東西を問わず、人々を魅了し続けてきた。その不変の輝きは太陽を象徴し、権力と富、そして神聖さの証とされてきたのじゃ。
この香炉に使われておるのは、まじりっけなしの純金じゃ。徳力の刻印がそれを保証しておる。純金というのは、実に面白い素材でな。柔らかく、展性・延性に富む。それゆえに、細やかな細工を施すには熟練の技が要る。下手に扱えば、すぐに歪んだり傷ついたりしてしまうからのう。
この香炉の胴を見よ。ふっくらとした丸みは、鍛金(たんきん)の技であろう。一枚の金の板を、金槌(かなづち)と当て金(あてがね)を使い、丹念に叩き締めて形作っていく。気の遠くなるような作業じゃ。叩くことで金は硬化し、強度を増す。同時に、その表面には独特の鎚目(つちめ)が残り、それがまた味わいとなる。この香炉の肌は、滑らかでありながらも、どこか温かみを感じさせる。それは、幾度となく繰り返されたであろう、職人の手による「打ち」の記憶が刻まれておるからじゃ。
そして、その黄金の肌に舞うのは、梅の花。これは彫金の技じゃな。鏨(たがね)と呼ばれる様々な形状の刃物を使い、金属の表面を彫り、文様を刻み出す。石黒家は、この彫金の技術において、他の追随を許さぬ名門じゃ。
この梅花を見よ。一つ一つの花弁が、実に生き生きとしておる。輪郭線は力強く、それでいて硬くはない。花弁の縁は微妙に反り返り、まるで風にそよいでおるかのようじゃ。花芯の部分も、細やかな点描で表現され、奥行きを感じさせる。単に梅の形を写したのではない。そこに、梅花の持つ気高さ、凛とした生命力が込められておる。
特に見事なのは、その「地合い」じゃ。梅花の周囲の、いわば背景となる部分。ここには、魚々子(ななこ)と呼ばれる細かな円形の粒々をびっしりと打ち込む技法が用いられておるのかもしれん。もしそうであれば、それは大変な手間じゃ。均一な大きさ、均一な間隔で、寸分の狂いもなく打ち込んでいく。それによって、主役である梅花がくっきりと浮き立ち、同時に背景にも深みと複雑な陰影が生まれる。この香炉の梅花は、爛漫と咲き誇るというよりは、むしろ厳冬の中で静かに、しかし確かに春の到来を告げる、そんな奥ゆかしい風情がある。
三本の足は、力強く大地を踏みしめておる。その付け根から胴へと続く曲線は滑らかで、破綻がない。まるで、香炉全体が一つの生命体であるかのように、有機的な繋がりを感じさせる。足の先には、獣足のような意匠も見られるが、これもまた古代の鼎に通じる様式美じゃろう。
蓋の透かし彫りも見事じゃ。幾何学的な文様か、あるいは雲か霞か。立ち昇る香煙が、この透かしを通ってゆらゆらと広がる様を想像するだけで、心が浮き立つようじゃ。そして、その頂点に鎮座する松ぼっくりのつまみ。これもまた、細部まで丁寧に作り込まれておる。松の笠の一枚一枚が、まるで本物のように重なり合っておる。
この香炉は、ただ「金で作りました」というだけの、成金趣味の品ではない。素材の特性を熟知し、それを最大限に活かす高度な技術。そして、日本の美意識に裏打ちされた、洗練された意匠。それらが渾然一体となって、この類稀なる作品を生み出しておるのじゃ。石黒光南の名は伊達ではない。これは、金工の歴史に名を刻むべき逸品と言っても過言ではあるまい。
「素晴らしい…」
わしの口から、思わず感嘆の言葉が漏れた。客の男は、わしの言葉に深く頷き、その顔には安堵と誇りが入り混じったような表情が浮かんでおった。
「この香炉に、先生のお眼鏡に適う香を焚いてみたいと、ずっと思っておりました」
男はそう言うと、懐から小さな桐箱を取り出した。その箱には、墨で「伽羅」と書かれておる。ほう、伽羅か。香木の王様と称される、あの伽羅じゃな。この黄金の器に、伽羅の香り。それは、まさに王者のための饗宴と言えよう。わしの心は、俄かに高揚してきた。
(第三章) 香木の王、伽羅との邂逅
「伽羅、とな。ほう、なかなか良いものを持っておるではないか」
わしは男が差し出した桐箱を受け取り、そっと蓋を開けた。途端に、えもいわれぬ芳香が鼻腔をくすぐる。甘く、それでいて深く、どこか辛味も感じさせる複雑な香り。これぞまさしく、伽羅の香りじゃ。
箱の中には、爪の先ほどの大きさの、黒褐色の木片が数個、綿に包まれて大切に納められておった。見た目はただの木の切れ端じゃが、これが同じ重さの金よりも高価で取引されることもあるというのだから、世の中は面白い。
伽羅というのは、沈香(じんこう)の中でも特に質の高いものを指す。沈香は、東南アジアの熱帯雨林に生育するジンチョウゲ科の樹木が、風雨や病害、虫害などによって傷ついた際に、自らを守るために分泌する樹脂が長い年月をかけて蓄積し、熟成したものじゃ。その中でも、特に香りが強く、油分を豊富に含み、水に沈むほど比重の重いものが「沈水香木」、略して沈香と呼ばれる。
伽羅は、その沈香の中でも最高級品とされる。その定義は曖昧な部分もあるが、一般的にはベトナムのごく一部の地域でしか産出されず、その香りは他の沈香とは一線を画すと言われておる。甘み、苦み、辛み、酸み、塩味(えんみ)の五味が複雑に絡み合い、焚かずとも芳香を放つほどじゃ。
香木の歴史は古く、日本では仏教伝来と共に大陸から伝わったとされる。聖徳太子が淡路島に漂着した巨大な香木を「沈水香木」と鑑定したという伝説もあるほどじゃ。奈良の正倉院には、蘭奢待(らんじゃたい)と呼ばれる巨大な伽羅が収められており、時の権力者たちがこれを切り取って用いたという記録も残っておる。足利義政、織田信長、明治天皇…彼らは皆、この蘭奢待の香りに魅了されたのじゃ。
平安時代には、貴族たちの間で「薫物合(たきものあわせ)」という、各自が調合した練香の優劣を競う遊びが流行した。源氏物語にも、光源氏が自ら香を調合する場面が描かれておる。この頃はまだ、香木そのものを焚くというよりは、様々な香料を練り合わせたものが主流じゃった。
鎌倉時代に入り、禅宗が広まると共に、香は仏前を浄め、精神を集中させるための道具として、より重要な役割を担うようになる。武士たちの間でも、香は次第に嗜まれるようになり、室町時代には香道(こうどう)として体系化され、茶道や華道と並ぶ芸道の一つとして確立された。
香道では、香木を小さく割り、銀葉(ぎんよう)と呼ばれる雲母の板の上で間接的に熱し、その香りを聞き分ける「聞香(もんこう)」が中心となる。香りの違いを「組香(くみこう)」というゲーム形式で楽しむこともあり、その精神性は極めて高い。
この伽羅は、どこの産か、いつ頃のものか。男に尋ねてみたが、詳しくは分からぬと言う。古美術商から譲り受けたものだそうじゃ。しかし、この香り、この佇まい。これは間違いなく、一級の伽羅じゃ。長い年月を経て凝縮された、自然の叡智とでも言うべきか。
「良い伽羅じゃ。これならば、あの黄金の香炉に相応しい」
わしはそう言うと、おもむろに立ち上がり、茶道具を仕舞ってある水屋へと向かった。香を焚くには、それなりの準備が要る。炭を熾し、香炉灰を整え、そして心を静める。この一連の所作もまた、香を楽しむ上での重要な要素なのじゃ。
客の男は、期待に満ちた目でわしの動きを追っておった。彼もまた、この伽羅が黄金の香炉でどのように香り立つのか、待ちきれない様子じゃ。ふふ、良いではないか。本物を求める心は、歳や立場など関係ない。わしは、この若き経営者に、最高の「香り」という饗応をしてやろうと心に決めた。それは、ただ鼻で嗅ぐだけのものではない。五感、いや六感全てで味わう、魂の饗宴となるはずじゃ。
(第四章) 火と金と香の交響詩
さあ、いよいよこの石黒光南作、純金香炉に火を入れる時が来た。わしはまず、香炉の内側に敷くための香炉灰を吟味した。灰は、香木を安定させ、均一に熱を伝えるための重要な役割を担う。質の悪い灰では、せっかくの伽羅も台無しになってしまうからのう。わしが選んだのは、長年使い込んだ備長炭の灰を丹念に篩(ふるい)にかけ、絹のように滑らかにしたものじゃ。
次に炭熾(すみおこ)しじゃ。香道で使う炭は、小さく切り揃えられた専用の香炭団(こうたどん)を用いる。これを火鉢で丁寧に熾し、表面が白くなるまで待つ。焦ってはならん。火力が強すぎても弱すぎても、香木の微妙な香りを損ねてしまう。
炭が十分に熾きたところで、純金香炉の準備じゃ。まず、香炉本体を清めた布で丁寧に拭き清める。黄金の肌が、曇り一つない輝きを放つ。そして、先ほどの香炉灰を、香炉の八分目ほどまでそっと入れる。灰の表面は、灰押さえを使って平らにならし、中央に炭を埋めるための小さな窪みを作る。この一連の所作もまた、心を落ち着かせ、香と向き合うための大切な儀式なのじゃ。
窪みに熾きた炭を一つ置き、その周りを灰で軽く覆う。炭が直接香木に触れぬよう、また、適度な酸素が供給されるように、灰の加減が肝心じゃ。そして、炭の上に銀葉を置く。銀葉は雲母の薄い板で、熱を和らげ、香木を焦がさずにじっくりと温めるためのものじゃ。
いよいよ伽羅の登場じゃ。男が持参した桐箱から、一際黒く艶やかな、米粒ほどの大きさの伽羅を一片、銀の火箸でつまみ上げる。それをそっと銀葉の中央に置く。準備は整った。
わしは客の男に目配せをし、静かに純金の蓋を香炉に被せた。蓋の透かし彫りから、やがて馥郁たる香りが立ち昇ってくるはずじゃ。しばし、沈黙の時が流れる。部屋の空気は張り詰め、期待感が最高潮に達しておる。
…来た。
最初は微かじゃった。しかし、それは確実に、空間を満たし始めた。甘く、それでいて清冽な、言葉では表現し尽くせぬ香り。これが、伽羅か。
純金の香炉は、その優れた熱伝導性によって、炭の熱を効率よく伽羅に伝えておるようじゃ。そして、純金という不活性な金属は、香りの成分と反応して雑味を生じさせることがない。つまり、伽羅本来の、純粋無垢な香りを最大限に引き出しておるのじゃ。
香りは、刻一刻と様相を変えていく。初めは、蜂蜜のような濃厚な甘みが感じられた。次に、白檀にも似た清涼感のある香りが立ち昇り、やがてそれが、微かな苦みや辛みを伴った、奥深い複雑な香りへと変化していく。まるで、楽団が次々と楽器を変えて壮大な交響詩を奏でておるかのようじゃ。
「…素晴らしい…」
男は、目を閉じ、恍惚とした表情で呟いた。無理もない。これほどの香りを体験することは、そう滅多にあることではないからのう。
わしもまた、その香りに深く身を委ねた。この香りは、ただ鼻を楽しませるだけのものではない。それは、心の奥深くに染み入り、凝り固まった感情を解きほぐし、精神をどこまでも澄み切った境地へと誘(いざな)う力を持っておる。
梅花の文様が施された黄金の胴は、炭火の熱を受けてほんのりと温かい。その黄金の輝きと、立ち昇る伽羅の香り。視覚と嗅覚が、最高の形で融合し、えもいわれぬ多幸感をもたらす。これぞまさしく、究極の贅沢と言えよう。
ふと、石黒光南の顔が思い浮かんだ。彼もまた、この香炉を作るにあたり、どのような香りがこの器に相応しいか、思いを巡らせたに違いない。そして、この黄金の器が、最高の香りを引き出すことを確信していたはずじゃ。でなければ、これほどまでに丹精込めた仕事はできまい。
徳力の職人たちもまた、この純金という素材に誇りを持ち、その品位を汚さぬよう、細心の注意を払って精錬し、加工したことだろう。彼らの技と心が、この香炉には凝縮されておる。
そして、数百年、あるいは千年以上の時を経て、奇跡的に我々の元に届けられたこの伽羅。熱帯雨林の奥深くで、静かに樹脂を蓄え、熟成を重ねてきた香木。その悠久の時の流れをも、この香りは我々に感じさせてくれる。
火と、金と、香。
この三者が織りなす交響詩は、まさに至高の芸術じゃ。そして、それを味わうことができる我々は、何と幸運なことであろうか。
しばらくの間、二人とも言葉もなく、ただただその香りに酔いしれた。部屋には、伽羅の芳香と、時折炭がはぜる微かな音だけが響いておった。それは、日常の喧騒から隔絶された、神聖な時間じゃった。
やがて、香りが少しずつ落ち着きを見せ始めた。しかし、その余韻は深く、長く続く。数日はこの部屋に、この強烈なアロマが残るであろう。男は、いつの間にか目を開け、その瞳は潤んでおるように見えた。
「先生…言葉もございません。これほどの体験は、生まれて初めてでございます」
男の声は、感動に震えておった。
わしは、満足げに頷いた。
「うむ。この香炉の真価、少しは理解できたかな」
この黄金の鼎は、ただの器ではない。それは、最高の香りを奏でるための、最高の楽器なのじゃ。
(第五章) 戦国の武人、香に込めた魂
この伽羅の香りに包まれながら、ふとわしの脳裏をよぎったのは、戦国時代の武将たちの姿じゃった。彼らは、この世のものならぬ香りを、どのように感じ、何に用いたのであろうか。
「なあ、君。戦国の大名たちが、戦の前に伽羅を鎧に焚き付けたという話を知っておるか?」
わしが問うと、男は興味深そうに頷いた。
「はい、聞いたことがあります。何でも、少しトランス状態のような、高揚した気分で戦に臨んだとか…」
「うむ。その通りじゃ。彼らにとって、香は単なる嗜好品ではなかった。それは、精神を集中させ、死への恐怖を克服し、そして自らの威厳を示すための、重要な道具じゃったのじゃ」
当時の武将たちは、いつ命を落とすやもしれぬ、過酷な状況に身を置いておった。明日の命も知れぬ中で、彼らは一瞬一瞬を濃密に生き、そして死に様をも美学とした。そんな彼らにとって、香りは、日常と非日常、生と死の境界を曖昧にし、精神を高みへと導くための、一種の触媒のような役割を果たしたのかもしれん。
例えば、織田信長。彼は革新的で合理的な精神の持ち主として知られるが、一方で香を愛し、特に正倉院の蘭奢待を切り取ったという逸話は有名じゃ。天下布武を掲げ、旧体制を打ち破ろうとした彼にとって、蘭奢待の香りは、自らの野望と力を象徴するものであったのかもしれん。あるいは、絶え間ない緊張と重圧の中で、一瞬の安らぎと精神の昂揚を求めたのかも知れんな。
豊臣秀吉もまた、香を好んだと伝えられる。彼が主催した北野大茶湯では、名だたる茶道具と共に、貴重な香木も披露されたという。農民から天下人へと駆け上がった彼にとって、香は、自らの成功と権威を内外に示すための、華やかな演出の一部であったろう。
そして、徳川家康。彼は質実剛健を旨とし、派手なことを嫌ったと言われるが、やはり香には深い関心を持っておった。家康は、香の薬効にも注目し、自ら調合した薬にも香料を用いたと伝えられる。彼の長い治世と健康は、あるいは香の力も一役買っていたのかもしれんな。
彼らが鎧兜に香を焚きしめたのは、いくつかの理由があったと考えられる。一つは、戦場での悪臭を消し、自らを清浄に保つため。血や汗、そして死臭が漂う戦場にあって、高貴な香りは、精神的な盾ともなったであろう。
もう一つは、敵に対する威嚇と、味方に対する鼓舞じゃ。武将が纏う高貴な香りは、その存在感を際立たせ、周囲に畏敬の念を抱かせたに違いない。また、味方にとっては、大将の存在を香りで感じることができ、士気の高揚にも繋がったはずじゃ。
そして、最も重要なのは、やはり精神統一と覚悟のためじゃろう。死と隣り合わせの戦場へ赴くにあたり、香を焚くという儀式は、心を落ち着かせ、雑念を払い、そして「死」をも受け入れる覚悟を固めるための、重要なプロセスであったに違いない。伽羅のような深遠な香りは、精神を集中させ、ある種の瞑想状態へと導く。その中で、武将たちは自らの使命を再確認し、決死の覚悟で戦いに臨んだのじゃろう。
「少しラリった感じで」と君は言うたが、それは現代的な表現じゃな。当時は、それを「精神が高揚する」「天啓を得る」といった感覚で捉えていたのかもしれん。いずれにせよ、香りが彼らの精神状態に大きな影響を与えていたことは間違いない。
この純金香炉で伽羅を焚くという行為。それは、まさに戦国武将たちが戦陣で行った儀式を、現代に蘇らせるようなものじゃ。彼らが香に託した願い、決意、そして魂の叫び。それらが、この黄金の器と伽羅の香りを通して、我々の心にも響いてくるようではないか。
「どうだね? 業界の天下統一をかけて戦っておるという君のような企業戦士にとって、この香炉は、まさにうってつけの"陣道具"と言えるのではないかな?」
わしは、にやりと笑って男に言うた。男は、しばし黙考しておったが、やがて力強く頷いた。
「はい。先生のおっしゃる通りです。日々、プレッシャーとの戦いです。この香りが、そしてこの香炉が、私に新たな力を与えてくれるような気がいたします」
その言葉に嘘はなさそうじゃった。彼は、この香炉の持つ歴史的背景と、それが現代に持つ意味を、確かに感じ取ったようじゃ。黄金の輝きは、単なる富の象徴ではない。それは、困難に立ち向かう勇気と、勝利への渇望、そしてそれを支える強靭な精神の象徴でもあるのじゃ。
石黒光南は、あるいはこの香炉を作るにあたり、遠い戦国の武人たちに思いを馳せたのかもしれん。彼らの不屈の魂を、この黄金の器に込めようとしたのかもしれんな。そう考えると、この香炉の梅花の文様もまた、違った意味を帯びてくる。厳寒に耐えて咲く梅花は、まさに逆境に屈せぬ武士の精神そのものではないか。
この香炉は、過去と現在を結び、そして未来への活力を与える、まことに希有な存在と言えよう。
(第六章) 現代の「戦人」、黄金の鼎に何を託す
さて、戦国武将たちが香に託した魂の話をしたが、翻って現代じゃ。我々は、あの時代のような命のやり取りこそせぬが、それでも日々、様々な「戦い」に身を投じておる。特に、君のような企業経営者ともなれば、そのプレッシャーたるや、想像に難くない。
「君の言う『業界の天下統一』。それは、まさに現代における合戦じゃろう。知力、体力、そして時の運。あらゆるものを駆使して、ライバルたちと鎬(しのぎ)を削る。その緊張感たるや、いかばかりか」
男は、苦笑いを浮かべながら頷いた。
「お恥ずかしながら、その通りでございます。眠れない夜も少なくありません」
「うむ。そんな時、この純金の香炉で伽羅を焚いてみるが良い。その芳香は、君の張り詰めた神経を和らげ、凝り固まった思考を解きほぐしてくれるはずじゃ。そして、澄み切った心で物事の本質を見極める手助けとなるやもしれん」
香りがもたらすのは、単なるリラックス効果だけではない。それは、創造性や集中力を高める効果もあると言われておる。かのスティーブ・ジョブズも、禅に傾倒し、瞑想を日常に取り入れていたというではないか。彼は、その静謐な時間の中で、革新的なアイデアを生み出していった。
この香炉は、君にとっての「精神の道場」となり得る。日々の喧騒から離れ、一人静かに香と向き合う時間。それは、自己との対話であり、自らの内なる声に耳を傾ける貴重な機会となるはずじゃ。
考えてもみよ。この黄金の鼎(かなえ)は、三本の足でどっしりと安定し、何事にも揺るがぬ様を呈しておる。これは、まさに企業経営者に求められる不動の精神、困難に立ち向かう胆力を象徴しておるかのようじゃ。そして、その黄金の輝きは、君の目指す「頂点」の輝きとも重なるのではないかな。
「この香炉を自室に置き、毎朝、あるいは重要な決断を下す前に、香を焚く。それは、君にとっての『出陣の儀式』となるやもしれん。戦国の武将たちが鎧に香を焚きしめたように、君もまた、伽羅の香りを纏い、決戦の場へと赴くのじゃ」
わしがそう言うと、男の目に強い光が宿った。彼は、この香炉が持つ意味を、自らの人生と重ね合わせて捉え始めたようじゃ。
「先生、もし私がこの香炉を譲り受けることができたなら…それは、私にとって大きな心の支えとなるでしょう」
「ふむ。だが、勘違いしてはならんぞ。これは、魔法の道具ではない。あくまで、君自身の力を引き出すための触媒に過ぎん。この香炉に祈りを捧げれば願いが叶う、などという安易な考えは捨てることじゃ。大切なのは、この香炉と向き合うことで、君自身がいかに精神を高め、行動を変えていくか、ということじゃ」
わしは、敢えて厳しい言葉を選んだ。本物の価値を理解するには、それ相応の覚悟が要る。この香炉は、持つ者の器量を試す道具でもあるのじゃ。
「承知しております。この香炉は、私にとって、常に平常心を保ち、正しい判断を下すための、戒めともなるでしょう」
男は、真摯な表情で答えた。その言葉に、彼の経営者としての矜持が感じられた。
石黒光南がこの香炉に込めたのは、単なる美しさだけではない。そこには、使う者の精神を高め、その人生を豊かにしてほしいという、職人としての願いが込められておるはずじゃ。そして、徳力が保証する純金の輝きは、その願いが永遠に続くことを象徴しておるかのようじゃ。
「良いかな。この香炉は、君が『天下統一』を成し遂げた暁には、その偉業を称える記念碑となるやもしれん。そして、もし道半ばで困難に直面した時には、再び立ち上がる勇気を与えてくれる存在となるやもしれん」
わしは、そう言って、香炉を男の方へそっと押しやった。男は、緊張した面持ちでそれを受け取り、両手で大切そうに抱えた。その姿は、まるで神託を受けた預言者のようにも見えた。
この黄金の鼎は、新たな主を得て、再びその真価を発揮する時を待っておる。それは、現代の「戦人」の魂を鼓舞し、その行く末を照らす、一条の光となるであろう。
(第七章) 純金という永遠、手入れという対話
「さて、この香炉、もし君が手に入れるとなれば、それは君一代のものではない。大切に扱えば、子々孫々へと受け継がれるべき家宝となる品じゃ」
わしは、香炉の物質的な価値と、その手入れについて語り始めた。純金という素材は、化学的に極めて安定しており、酸やアルカリにも侵されず、空気中で酸化して錆びることもない。その輝きは、まさに永遠とも言える。
「じゃがな、いくら純金とはいえ、手入れを怠れば曇りもするし、傷もつく。美術品というのは、持ち主との対話の中で、その輝きを増していくものなのじゃ」
日常の手入れとしては、柔らかい布で優しく埃を拭う程度で十分じゃろう。研磨剤などを使うのは厳禁じゃ。それは、表面を削り取り、貴重な細工を損ねることに繋がる。特に、石黒光南の繊細な彫金は、細心の注意を払って扱わねばならん。
「君が気にしていた、『人間国宝を目指してる達人に頼んで百貨店で新品で売れるくらいに仕上げることも可能』という話じゃが…」
男は、身を乗り出してきた。
「はい、それも魅力的な選択肢かと…」
「ふむ。確かに、専門の金工師に依頼すれば、表面の細かな傷や曇りを取り除き、新品同様の輝きを取り戻すことは可能じゃろう。じゃが、それには留意すべき点もある」
まず、研磨するということは、僅かとはいえ表面を削るということじゃ。つまり、香炉の重量がほんの少し減る可能性がある。363.24gという、この香炉が持つ一つのアイデンティティが、僅かに変化するということじゃ。
「そして、もう一つ。あまりにピカピカに磨き上げ過ぎると、かえってこの香炉が経てきた時間の重み、いわゆる『古色』の味わいが失われてしまう恐れもある。新品同様が良いか、それとも時代を経た風格を残すのが良いか。それは、持ち主の美意識次第じゃな」
わしは、自分の愛用する古唐津の茶碗を手に取った。
「この茶碗も、長年使い込むうちに、貫入(かんにゅう)に茶渋が染み込み、景色が育ってきた。これを『汚れ』と見るか『味わい』と見るか。わしは後者じゃがな。金工品も同じじゃ。細かな傷や、僅かな色の変化もまた、その品が歩んできた歴史の証となる」
男は、腕を組んで深く考え込んでおる。
「もちろん、あまりに状態が悪ければ、修復も必要じゃろう。じゃが、この香炉は、現状でも十分に美しい。下手に手を加え過ぎることは、かえってその価値を損ねる可能性もあるということを、心に留めておくが良い」
もし、専門家に依頼するのであれば、石黒光南の作風や金工の伝統技法を深く理解しておる、信頼できる職人を選ぶことが肝要じゃ。単に綺麗にするだけではなく、この香炉が持つ芸術性を損なわぬよう、慎重な作業が求められる。
「そしてな、最も大切な手入れは、この香炉を実際に使い、愛でることじゃ。しまい込んでは、道具としての魂が抜け落ちてしまう。時折、伽羅を焚き、その香りと黄金の輝きを味わう。その行為こそが、この香炉を最も輝かせる手入れとなるのじゃ」
わしの言葉に、男は深く頷いた。
「先生のお言葉、肝に銘じます。この香炉は、私にとって単なる財産ではなく、共に生きる伴侶のような存在となりそうです」
「うむ。それが良い。道具は、使われてこそ生きる。そして、持ち主の愛情に応えて、ますます輝きを増すものじゃ。この純金香炉もまた、君という新たな主を得て、その黄金の肌に新たな歴史を刻み始めることだろう」
純金という素材は、永遠の輝きを約束する。じゃが、その輝きを真に引き出し、次代へと受け継いでいくのは、持ち主の心構え一つにかかっておる。この香炉は、男にとって、美意識を磨き、物を大切にする心を育むための、良き師ともなるやもしれんな。
そう思うと、わしは、この黄金の鼎の未来が、少し楽しみになってきた。
(第八章) 天下取りの器、その真価とは
さて、長々と語ってきたが、結局のところ、この石黒光南作、徳力印の純金香炉の「真価」とは何であろうか。それは、単に純金の価格や、美術品としての市場価値だけでは計り知れんものじゃ。
「君、この香炉が、仮にただの真鍮(しんちゅう)で出来ておって、作者も無名であったとしたら、これほどまでに心を動かされたかな?」
わしの問いに、男は少し考えた後、正直に首を横に振った。
「…いいえ、おそらく。純金であり、石黒光南先生の作であるからこそ、これほどの魅力を感じるのだと思います」
「うむ。それが人情というものじゃろう。じゃがな、本当に大切なのは、その肩書きや素材の奥にある、本質的な美しさや、込められた精神を感じ取る力じゃ。そして、それを自らの人生にどう活かすか、ということじゃ」
この香炉は、確かに素晴らしい。純金という比類なき素材、石黒光南という名工の技、徳力という老舗の信頼。それらが三位一体となって、この奇跡的な作品を生み出した。梅花の彫金、三足の安定感、松ぼっくりの蓋のつまみ。どこを取っても、日本の美意識の粋が凝縮されておる。
そして、伽羅を焚いた時の、あのえもいわれぬ芳香。それは、日常の俗事を忘れさせ、精神を高みへと誘う。戦国の武将たちが、これに精神の昂揚と勝利への祈りを託したのも頷ける。
「じゃがな、これらの要素は、あくまでこの香炉が持つ『可能性』に過ぎん。その可能性を現実に花開かせるのは、持ち主である君自身じゃ」
この香炉を、ただの金庫に仕舞い込んで悦に入るような男であれば、宝の持ち腐れじゃ。この香炉は、そのような俗物には相応しくない。
この香炉は、それを持つにふさわしい器量の人間を求める。野心を持ち、困難に立ち向かい、そして美を愛する心を持つ人間。そういう人間がこの香炉を手にした時、初めてその真価が発揮されるのじゃ。
「君が言う『業界の天下統一』。それは、並大抵の努力では成し遂げられん大事業じゃろう。その道程において、君は幾度となく壁にぶつかり、挫折しそうになるやもしれん。そんな時、この香炉が君の傍らにあるとしよう」
静かに伽羅を焚き、その香りに包まれながら、黄金の輝きを見つめる。すると、不思議と心が落ち着き、新たな知恵や勇気が湧いてくる。それは、この香炉に込められた、先人たちの知恵や、職人たちの魂が、君に語りかけてくるからやもしれん。
「この香炉は、君の志を映す鏡となる。君が高い志を持ち続ければ、香炉はますます輝きを増すだろう。逆に、君が怠惰に溺れ、志を見失えば、香炉の輝きもまた曇ってしまうやもしれん」
それは、まさに「天下取りの器」じゃ。持つ者の度量と覚悟を試し、そしてその成長を促す。これほどまでに持ち主を選ぶ道具も、そうそうあるものではない。
「どうだね? 君に、この香炉を使いこなす覚悟はあるかな?」
わしは、最後の問いを投げかけた。男は、まっすぐにわしの目を見据え、力強く答えた。
「はい。私には、この香炉と共に歩む覚悟がございます。そして、いつか、この香炉に相応しい人間となってみせます」
その言葉に、一点の曇りもなかった。わしは、満足して頷いた。
この黄金の鼎は、良き主を得たようじゃ。
(終章) 金龍、昇天の気配
男は、深々と頭を下げ、純金香炉を大切そうに抱えて、わしの書斎を辞していった。その背中には、先ほどまでの神経質そうな影はなく、どこか清々しい決意のようなものが漂っておった。
一人残された書斎には、まだ微かに伽羅の香りが漂っておる。わしは、窓を開け放ち、初夏の風を招き入れた。風に乗って、庭の青葉の匂いが流れ込んでくる。
ふと、空を見上げると、一片の雲が、まるで天へと昇る龍のような形をしておった。
あの純金香炉もまた、新たな主を得て、その内に秘めたる龍が、いよいよ天へと昇る時が来たのかもしれんな。
石黒光南、徳力、そして名も知らぬ伽羅。それらが巡り合い、この黄金の器に魂を宿した。そして今、その魂は、現代の企業戦士へと受け継がれようとしておる。
「フン、たまには良いものを見せてもろうたわい」
わしは、誰に言うともなく呟き、愛用の煙管(きせる)に刻み煙草を詰めた。
次にあの男に会う時、彼がどのような「天下人」の顔つきになっておるか。
そして、あの黄金の香炉が、どのような輝きを放っておるか。
それを楽しみに待つとしよう。
か…ふん、あのような騒がしい場所にも、時にはこのような「本物」が出ることがあるのじゃな。目利きのできる、そしてこの香炉の真価を理解できる者の手に渡ることを、切に願うばかりじゃ。
さて、わしも一杯やるかのう。今日の肴は、あの伽羅の余韻と、黄金の輝きで十分じゃわい。
(了)