<著作者のインタビュー抜粋>
ある時大病を患って、突然歩けなくなってしまったんです。何だろうと思っているうちに立つこともできなくなって寝たきりになり、ベッドのそばにあるトイレにすら自分の力では行くことができなくなりました。薬の副作用のため、末梢から筋肉が萎縮し、力が抜けていくという病気でした。
そういう状況の中で、頭の中では何を考えていたかというと、人間は死を受容できるのかということでした。自分が間もなく確実に死ぬと思っていましたから、毎日毎日天井を見ながらそのことばかりを考え続けました。
ただその時に、あの世はあるかということは思わなかった。自分がもし万が一生きられたらって、いつも思っていましたね。
つまり、死んだらどうなるかということよりも、生き延びることができたら、自分の人生を何に使おうかと考えたわけです。だから僕も楽観的だったと思うんですが、散々悶々と考えた揚げ句に出た結論は、俺は死を受容できないということでした。受け入れられないから、もし死んだら化けて出るだろうと。だったら生きるしかないだろうと思うようになったんですね。
ところが病状は日に日に悪化し、ペン一本すら重たくて持てない。眠るたびに酷い悪夢に襲われ、全身汗だくになって目が覚める。僕が倒れたのはヴィクトール・E・フランクル先生が亡くなった翌年の1998年だったんですが、僕はとうとう彼の奥さんにこんな手紙を書きました。
「エリーさん、さようなら。僕はいま死ぬような大病を患っているんだ。もう二度とウィーンの街を歩き回ることもないだろう。これから先生の元へ行きますよ」
そしたらエリーさん、慌てて返事をくれましてね。
「あなたがそんな病気でいるなんて、とても信じられない。私は医者ではないから、あなたに何もしてあげることはできない。けれども生前、ヴィクトールが私にいつも言っていた言葉をあなたに贈ろう」
この言葉が僕を蘇らせてくれたんですね。
「人間誰しもアウシュビッツ(苦悩)を持っている。しかしあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。あなたを待っている誰かや何かがある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現できる」
この手紙を僕は何百回も読み返しました。そうして考えたのは、いまの自分にとっての生きる意味とは何だろうということでした。そして考え続けた結果、「あなたを待っている誰かや何か」の焦点は私にとっては医学教育であり、生きる意味は探せばちゃんとあるのだと感じたんです。
それから私はよし、と気合を入れ直してリハビリに専心し、毎日鍼治療も受けました。さらに漢方薬や温泉療法なども行って、2年後には奇跡的に職場復帰まで果たすことができたんです。エリーさんのあの言葉がなかったら僕はいまここにいませんよ。
リサイクル材を使用させていただきます。