【廃盤 絶頂期ライヴ】&ウィーンSO VOXレコーディング&ライヴ録音集 1951~1963年モノラル 16SACD Hyblid KKC4317 收藏
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拍卖号:k1194963182
开始时间:08/02/2025 19:32:32
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出品者コメント:永遠なるかなクレンペラー!SACDの意味は・・・?でも良質の復刻、ブックレット。さようなら、キングレコードシリーズ。でもある。 クレンペラー&ウィーン交響楽団ボックス(SACD 16枚組) 1951年のVOXレーベル録音が8枚 1951、1955、1956、1958、1963年のライヴ録音が8枚 最新SACDマスタリングで登場! クレンペラーがウィーン交響楽団を指揮したライヴ音源8枚と、VOXレーベル音源8枚の計16枚組という本格的なSACD Hybridボックスの登場。輸入盤に、日本語帯と原文解説の完全翻訳を付けた仕様です。 ライヴ音源 以下の10作品が収録されています。可能なものは一晩の公演曲をすべて収録したということで、初CD化音源も含まれるのが注目されるところです。実演で燃え上がるクレンペラーの実力が示された名演揃いです。 ●ベートーヴェン:「コリオラン」 (1963) ●ベートーヴェン:交響曲第2番 (1963) ●ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」 (1963) ●ブルックナー:交響曲第7番 (1958) ●バッハ:管弦楽組曲第3番 (1956) ●ブラームス:交響曲第3番 (1956) ●ベートーヴェン:交響曲第7番 (1956) ●モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」 (1955) ●マーラー:交響曲第4番 (1955) ●マーラー:交響曲第2番「復活」 (1951) VOXレーベル音源 クレンペラーのVOX録音というと、EMI録音との対比効果もあって、速くてドライというイメージが浸透しており、クレンペラー・マニアにしか好まれていないという状況が長く続いていました。 原因の一つが、LP時代にドイツのINTERCORDあたりが発売していた粗製乱造の再発売盤の数々で、ノイズ対策なのかイコライジングで高域を減衰させ過ぎて情報量が極度に減ってしまい、購入後に落胆された方も多かったとか。 また、各社から登場したCDでも高音キンキンだったり、高音も低音も無かったりとまちまちな状況だったので、良質なマスタリングを待望されていた方は少なくないと思われます。 実際のクレンペラーのVOX録音は、古典派から前期ロマン派作品ではなかなか情緒豊かな部分も多く、たとえば「スコットランド」第1楽章ではポルタメントまで駆使して悲痛な情感を示したりしているほどです。 今回は新たにマスタリングがおこなわれるということなので、VOX本来の音が再現されていることが期待されるところです。 このセットにはウィーン交響楽団と1951年に録音した以下の11作品が収録されています。 ●ベートーヴェン:「ミサ・ソレムニス」 ●ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」 ●ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 ●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ●メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」 ●メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」 ●ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ●シューマン:ピアノ協奏曲 ●ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 ●マーラー:交響曲第2番「復活」 ●マーラー:「大地の歌」 ノヴァエスとの名演 ブラジルのピアニスト、ギオマール・ノヴァエスとクレンペラーは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、ショパンのピアノ協奏曲第2番、シューマンのピアノ協奏曲の3曲を録音し、この2人の組み合わせならではの毅然とした味わいのある演奏を聴かせています。特にベートーヴェン第4番の第2楽章は凄いことになっています。ノヴァエスについては、こちらに紹介しています。 ボーナス・トラック このセットはウィーン交響楽団との演奏を集めたものですが、ボーナスとして、クレンペラーが1950年にパリのコンセール・ラムルー管弦楽団を指揮したシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」のVOX録音が収録されています。クレンペラーは、シューベルトの「悲劇的」については、なぜかEMIで録音していないので貴重。心地よいテンポ感の演奏で情感もたいへん豊かです。 内容詳細 クレンペラー指揮、ウィーン響による1951~1963年の演奏を収めたアルバム。クレンペラーのキャリア重要期を占めているヴォックス・レコードによる録音と、ベートーヴェンやブラームスなどのライヴ・レコーディングを収録している。(CDジャーナル データベースより) 第二次大戦後クレンペラーがヨーロッパに復... 投稿日:2024/11/22 (金) 第二次大戦後クレンペラーがヨーロッパに復帰し最終的にフィルハーモニア管に落ち着くまでの中間期は、クレンペラーの表現主義的音楽が古典的な確固とした形式を獲得してゆくちょうど移行期に当たるが、その期間のクレンペラーの特徴を良く捉えた貴重な録音と言える。古典派としてのベートーヴェンからロマン派の終焉としてのマーラーに至るウィーンの伝統とクレンペラーの表現主義的自意識の接点を第二次大戦後のヨーロッパにおいて模索するに当たってウィーン交響楽団は最適のオーケストラで、このVOX録音におけるベートーヴェンもマーラーも後年のフィルハーモニア管との演奏とは一味違った近(現)代的自意識を強く感じさせるクレンペラーを聴くことが出来る点で、この出会いはクレンペラーにとって(も我々後世の聴衆にとっても)幸運な出会いだったとも言える。 録音は、この時代なりの音で、やや乾いた音質は特段優れた録音とも言えないが、音楽としてはこの時期のクレンペラーには寧ろ相応しいと言えるかもしれない・・・・と言う意味合いでこの新デジタルリマスターは元録音を損なうことなく再現していると思う。 - 閉じる yk さん|京都府|不明 1951 ●1月、コンセルトヘボウ管。 ●2月、エルサレムとテル・アヴィヴで指揮。 ●3月、VOX録音。ウィーン響と6日間で「田園」、「イタリア」、「荘厳ミサ」、ブルックナー4番。 ●3~4月、コンセルトヘボウ管とメンゲルベルク・メモリアル。 ●5月、VOX録音。ウィーン響と「復活」、「大地の歌」、「運命」、「スコットランド(途中まで)」 ●5月、ウィーン響とマーラー2番。(Disc5) ●6月、VOX録音。ウィーン響、ノヴァエスと3日間でショパン:ピアノ協奏曲第2番、シューマン:ピアノ協奏曲、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番。 ●6月、ウィーン響とギリシャ・ツアー。 ●7月、コンセルトヘボウ管弦楽団。 ●8月、アルゼンチンとヴェネズエラに客演。 戻る ◆ 療養期 [1951年10月~1952年4月] 期間 : 6か月(66歳) 症状 : 左大腿骨頸部ほか数か所を複雑骨折。胸膜炎と肺炎の発作に苦しみ、抗生物質の反復投与に弱体化。急性胃痛も。 内容 : 入院、リハビリ。 躁鬱状態 : 軽度の躁 → 軽度の鬱 【軽度の躁】 1951 ●10月、モントリオール空港で左大腿骨頸部ほか数か所を複雑骨折。 【軽度の鬱】 ●10月、治療回復には時間がかかるため入院。 ●11月、クレンペラーがVOXのメンデルスゾーンに抗議の手紙を送付。 ●12月~翌年1月、胸膜炎と肺炎の発作に苦しみ、抗生物質の反復投与に弱体化。急性胃痛も悪化。 戻る ◆ 第3期 (中速傾向) [1952年4月~1958年9月] 期間 : 6年5か月間(66~73歳) 躁鬱状態 : 軽度の鬱 → 躁 指揮棒 : 無し 椅子 : あり 宗教 : カトリック 【軽度の鬱】 1952 ●車椅子使用。 ●モントリオール響。 ●ピッツバーグ響。 ●LAPO。 ●5月、EMIと契約。 ●5月、パスポート更新拒否によりアメリカから出国不能に。新法マッカラン=ウォルター法による帰化外国人の海外滞在制限によるものです。当時のアメリカではケネディも支持した「赤狩り」旋風が吹き荒れており、クレンペラーの2年前の職場がハンガリーだったことから共産主義活動の嫌疑をかけられ、また、なぜかナチ疑惑までかけられて、パスポートの更新が拒否。 ●7月、シカゴ響。ラヴィニア音楽祭8公演で大成功。楽員も熱狂。 1953 ●12月、弁護士によって制限が解除されアメリカを出国。 1954 ●車椅子使用。 ●1月、レジデンティ管に客演。激痩せ状態。 ●1月、デンマーク王立管。 ●2月、エッセン市立管。 ●2月、パリ。 ●2月、北西ドイツ放送響。 ●3~4月、ケルン放送響。 ●4月、ベルリンRIAS響。 ●4月、フィルハーモニア管。 ●5月、西ドイツ国籍を取得。妻ヨハンナはドイツ人でしたがドイツを嫌ったためクレンペラー家はチューリヒに居住。 ●5月、ポルトガル。 ●6~7月、コンセルトヘボウ管。 ●7月、レジデンティ管。 ●10月、ベルリン・フィル。 ●10月、ケルン放送響。 ●11月、ロンドン響に客演。フルトヴェングラー追悼。 ●12月、虫垂炎手術。ほどなく回復。 1955 ●車椅子使用。 ●3月、前立腺肥大による膀胱感染症。ほどなく回復。 ●3月、前立腺良性の腫瘍除去手術。ほどなく回復。 ●4月、フィルハーモニア管。 ●5~6月、ケルン放送響。 ●6月、ウィーン響とマラ4、ジュピター。 ●7月、コンセルトヘボウ管。 ●9月、北西ドイツ放送響。 ●10月、ケルン放送響。 ●11月、コンセルトヘボウ管。 ●12月、BBC響に客演。 1956 ●1月、ベルリンRIAS響。 ●1月、ケルン・ギュルツェニヒ管。 ●1月、フィルハーモニア管。 ●2月、ケルン放送響。 ●3月、ウィーン響とベト7、ブラ3、ほか。 ●3月、フィルハーモニア管。 ●4月、バイエルン放送響。 ●5~7月、コンセルトヘボウ管。 ●9月、モントルー音楽祭でケルン・ギュルツェニヒ管を指揮。 ●9月、フィルハーモニア管。 ●10月、バイエルン放送響。 ●11月、妻ヨハンナがミュンヘンの病院で死去。クレンペラー家とヨッフム夫妻により葬儀。 ●11月、フィルハーモニア管。 ●12月、トリノRAI響に客演。 1957 ●1月、ベルリン放送響。 ●2月、コンセルトヘボウ管。 ●3月、フィルハーモニア管。 ●3月、スイス・ロマンド管。 ●3月、フィルハーモニア管。 ●4月、デンマーク王立歌劇場管。 ●5月、コンセルトヘボウ管。 ●6月、ケルン放送響。 ●8月、エディンバラ音楽祭に出演。 ●9月、バイエルン放送響。 ●10~11月、フィルハーモニア管公演。 1958 ●1月、ケルン放送響。 ●2月、インフルエンザ罹患。ローマ聖チェチーリア管の2公演のうち1公演をキャンセル。 ●2月、ウィーン響とブルックナー7番。 ●3月、ベルリン放送響、ベルリン・フィル。 ●4月、西ドイツ政府よりメリット勲章授与。 ●4月、フィルハーモニア管。 ●6月、ウィーン・フィルと「ドイツ・レクイエム」。 【躁】 ●6月、イスラエル訪問で躁状態に。 ●8月、エディンバラ音楽祭に出演。 ●9月、ベルリン・フィルとブルックナー7番。 戻る ◆ 療養期 [1958年9月~1959年9月] 期間 : 1年間(73~74歳) 症状 : 瀕死の大やけど 内容 : 手術。入院、リハビリ 躁鬱状態 : 躁 → 軽度の鬱 【躁】 1958 ●9月30日から10月1日にかけての夜、チューリヒの自宅で、寝タバコが原因でシーツが燃え、全身の15パーセントに及ぶ大やけどを負って重体に。 【軽度の鬱】 ●10月、皮膚移植手術開始。複数回実施。急性良性心膜炎も発症。 戻る ◆ 第4期 (低速傾向) [1959年9月~1966年8月] 期間 : 6年11か月間(74~81歳) 躁鬱状態 : 軽度の鬱 → 躁 → 軽度の鬱 → 躁 → 軽度の鬱 → 鬱 → 軽度の鬱 → 躁 指揮棒 : 無し 椅子 : あり 宗教 : カトリック 大やけどから復帰したクレンペラーは、さらに冷静なスタイルになり、EMI録音でおなじみのクレンペラー晩年様式の世界が開かれることとなりますが、それでも実演になるとテンポはいくらか動的になり、セッション録音とは傾向が異なることも多いので、それぞれのライヴ録音には固有の性格が備わっているものと考えられます。 1966 ●ハンブルク州立歌劇場のロルフ・リーバーマン監督から「ローエングリン」の指揮で客演が要請されるものの、クレンペラーは半世紀以上前のハンブルクでのスキャンダルを蒸し返されるだろうと考えて拒否。以前、1933年にウィーン・フィルでパレストリーナを演奏した際、宗教関係者からハンブルク・スキャンダルの件で降ろされかけたことが記憶にあったものと思われます。 |
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