
こちらは小松崎茂先生の既に失われた初期の名作「ハリケーン・ハッチ」の貴重な直筆扉原画です。1951年ー幻の雑誌「少年少女譚海」掲載。1枚が直筆、主人公のハッチの躍動と、まさに小松崎先生ならではのリアルな馬が魅力的な1枚。大事にしていた方よりお譲りいただけました。実際に使われた物(雑誌での色の調整は文京出版「少年少女譚海」発行)。
75年近く前のものとしては良好です。小松崎先生の初期のお弟子さんで、小松崎茂先生を生前からサポートし、小松崎茂先生亡きあとはその偉業を称えた展覧会などを多く開催した根本圭助先生によると、「ハリケーン・ハッチ」の原稿は小松崎家には残っておらず、唯一の扉表紙原稿と思われます。最初の持ち主は「少年少女譚海」の初期編集でのちに「平凡」など編集長された某氏(お兄様は小松崎茂先生とも交流あり、絵物語でも活躍した人)。
★近年、の画像文章など無断収集し、勝手に偽サイトなどに違法出品が見られるため、!のみ出品無断転載無断出品禁止の文字入れてますが、実物にはありません(偽サイトは不自然なアドレスなのですぐにわかります。落札後のもの、出品中のもの含め、全く同じものが安く売られているのが特徴です。★
「少年少女譚海」だけでも1万円以上したりもしますが(高いものだと1冊数万円以上)、写真は参考見本でつきません。
小松崎先生のSFものや戦記物はまだ原稿一定度残ってますが、初期のものは戦時中の消失や戦後のごたごたで多くが紛失し、今や幻のものとなっています。「ハリケーン・ハッチ」は彼がたぎっていた全盛期の本当の名作で、このレベルのものは出てきません。
名作なら絵はの小松崎作品の細かい書き込みは芸術品で、それを見て石森章太郎(石ノ森章太郎)先生、藤子不二雄A先生とか、松本零士先生なんかはみな真似てアルファベットのサイン書いてみたりしていました。彼らが熱中して見ていたまさにその作品の1つです。
絵物語として本気の作品はかなり細かく書き込み入れているのが特徴で、いかに力入れていたかがわかります。「太平原児」とともに力入れた作品であり、この時期の西部劇ものの傑作として名をとどめています。ちなみに第9回が昭和26年1951年2月発行です「少年少女譚海 昭和26年二月大発展号」。
「ハリケーン・ハッチ」のタイトル入った唯一の原稿です。松本零士先生、石森章太郎(石ノ森章太郎)先生による小松崎茂先生についての文章です。ちばてつや先生、さいとう・たかを先生、川崎のぼる、山根赤鬼・青鬼先生、うしおそうじ先生、立川談志師匠ほか多くの方も先生のファンでした。それほど熱いものを描いてました。
とても貴重なものですが、お大事にしていただければ、と思います。
貴重品ゆえ、ゆうパックもしくはレターパックなどでの発送です。防水対策もしてお送りします。送料はサービスです。
第9回、10回の写真見ても分かるように扉原稿のタイトルや自身の名前なども毎回手書きで、小松崎茂先生だけでなく、山川惣治先生やそのほかの先生らもそのたびに微妙に変えてました。手書きならではの味わいある1枚です。