
版画家・中尾義隆手摺り木版画年賀状4種(B)です。
4枚とも手摺りの木版画と見ています。
愛媛県内の同一人に宛てています。
真作保証。
中尾義隆 (1911~1994 Nakao Yoshitaka)は、愛媛県出身の版画家。
幼少期から絵画に没頭し、油彩画を描いていた。渡辺文彦にデッサンを学び、
油彩画「炭焼く山」で全関西洋画展に初入選し、翌年、油彩画「青林」、「深秋」
を国画会に出品して、初入選するなど、洋画家としての道を歩き始める。
そんな中、自宅改装中にセメントの性質に着目し、生乾きのセメント上に刻することで、
版画を制作する「セメント版画」を考案した。 セメント版画「絵を描く友人」を版画研究会
の作品集「一木集II」に寄せ、セメント版画が初めて人々の目に触れることとなった。
この頃、国画会出品予定の油彩画が届かないというアクシデントをきっかけに、木版画「車庫」
を制作し、日本版画協会に出品。これが恩地孝四郎に「感覚的に優れている」と評され、
日本版画協会会員に推挙されたために、版画も始めることになる。 翌年には、セメント版画「けしの花」、
「水飲む女」で、国画奨学賞を受賞した。
義隆の生み出した独自の技法による作品は、遠く海を渡り、アメリカに向かった。
〈義隆のセメント版画「赤い壺?」を米人版画蒐集家ハートネットに売り、彼が米国で版画展を開けば、
セメント版の異色、大いに独壇場を発揮することでしょう。〉という恩地孝四郎からの手紙と、
小為替を受け取る。
戦後、農地改革で大半の田畑を失ったが、義隆は創作活動をやめることはなかった。
44歳で東京に拠点を移した義隆は、版画に専念した。45歳、国画会に、木版画「石のベッド」、「蕎麦屋」
を出品し、三十周年記念賞を受賞する。 国画会では、作品鑑査委員長や陳列委員長なども務めた。
70歳のときに脳梗塞で倒れ、翌年、国画会に木版画「成人式」、「ルービックキューブ」を出品し、
それが最後となった。晩年は、日本版画協会・NHK厚生文化事業団主催のチャリティー版画展に出品する
のみとなり、83歳でその生涯を終えた。
時代古び程度できれいな感じです。
地元初出しの版画家・中尾義隆手摺り木版画年賀状4種(B)ですので、分かる方お願いします。
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