
ご覧いただきありがとうございます。こちらの商品はアルモデルのマイネフ38 原形 (品番K1018)を以下のように組み立て加工した商品となります。
【加工点】
・リベットの多いマイネフ37230がベース
・帯色はジェイズ月光クリーム色、車体色はジェイズ戦前客車色で塗装
・屋根色、明り取り窓、ベンチレーターはジェイズ濃暗屋根グレー用灰色で塗装
・内装の寝台は白色のシーツの掛けられた状態を再現
・TR73台車にはKATOカプラーを取り付け
・昭和29年の洞爺丸事故で喪われる前の形態を再現
・特殊急行1201・1202レで使用されていた頃の二重窓を再現
・テールライトレンズ付き(非点灯)、トイレ側には折り畳んだ標識灯円板を設置し車掌室側は展開状態の標識灯円盤を設置
・号車札「1」及び種別サボ「急行」張り付け済み
・「マイネフ38 5」「東シナ」など各種表記張り付け済み
・ツヤのある光沢仕上げ
【実車について】
マイネフ38は昭和5年に特急「富士」用として誕生した二人用寝台区分室を8室備えた定員16人のマイネフ37230~37234の計5両が登場し、スイテ37020登場前には「燕」の一等車代用として最後尾を飾ったこともあり、その後は名士列車17・18レに使用されていました。当時の一等寝台車にしては珍しく四人用区分室を設けることなく、全室を二人用としたことにより規則的な窓配置となったのが特徴です。
昭和16年にマイネフ38と改番され戦後昭和20年にはGHQにより全車接収、各地の連合軍専用列車に使用された後昭和27年に接収解除し、後に「十和田」と名乗ることとなる特殊急行1201・1202レ(横浜~青森,札幌)に使用され、昭和30年の一等寝台廃止と共に二等寝台Aへ格下げしマロネフ49を名乗り昭和37年に廃形式となりました。登場時から廃車まで冷房化されることはありませんでした。
そして特筆すべきはマイネフ38 5であり、この車両は昭和29年9月26日の洞爺丸事故により海没、以降は青函連絡船への客車積み込み廃止と青函トンネル計画を推し進める事となります。
今回はこの痛ましく喪われてしまったマイネフ38 5をほぼ末期の形態で再現しました。特殊急行1201・1202レに繋ぐでも良し、道内急行1201・1202レに繋ぐでも良し、或いは1/150スケールの各種青函連絡船に載せるでも良し、呉々も水没させることのないようにお楽しみ下さい。
【発送について】
KATO1両用クリアケースに入れての発送となります。
よろしくお願い致します。
(2025年 8月 1日 18時 48分 追加)加工点 以下記述漏れ
・車体色の二重窓(開)仕様を再現
・区分室窓にカーテン(オレンジ)を設置