F3915【MIKIMOTO】淑やかなる品格 あこや真珠5mmチョーカー&7.5mmイヤリングセット 18.57G 淑やかなる海の雫、時を超えて

F3915【MIKIMOTO】淑やかなる品格 あこや真珠5mmチョーカー&7.5mmイヤリングセット 18.57G 淑やかなる海の雫、時を超えて 收藏

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以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです~~
淑やかなる海の雫、時を超えて 北大路玄奘、ミキモト真珠を語る
序章:古都の片隅、珍品堂の奥
鎌倉の空は、今日も今日とて移ろいやすい。長谷の大仏様が見下ろすこの土地は、わし、北大路玄奘(きたおおじ げんぞう)が終の棲家と定めた場所よ。世間じゃわしのことを、口やかましい陶芸家だの、ただの食い道楽の爺だのと好き勝手なことを申すが、フン、凡俗どもにわしの美意識が理解できてたまるか。美は厳しく、そして孤高なものじゃ。
その日、わしは珍しく気が向いて、雪ノ下にある馴染みの骨董屋「珍品堂」の暖簾をくぐった。主人の古角(こすみ)は、ひょろりとした体躯に、古狐のような目をした男での。わしの偏屈ぶりにも動じず、のらりくらりとかわす術を心得ておる、数少ない人物じゃ。
「おう、玄奘先生、これはこれは。今日はどのような風の吹き回しで?」
古角が、帳場で算盤を弾く手を止め、猫なで声で言った。
「フン、貴様の顔を見に来たわけではないわ。何か面白いものでも入ったかと思ってな。もっとも、貴様の店にわしの眼鏡にかなうものなど、滅多にあるものではないが」
わしは店の隅に積まれた雑多な品々を一瞥し、鼻を鳴らした。古伊万里の欠けた皿、作者不詳の掛け軸、錆びた鉄瓶…どれもこれも、わしの心を動かすには程遠い。
「またまたご冗談を。先生のお眼鏡に適うものなぞ、この世にそうそうございませんでしょうからなぁ。ですが…ふふふ、今日はちと面白いものが紛れ込んでおりましてな」
古角は意味ありげに笑い、店の奥へと引っ込んだ。やがて、小さな桐の箱を恭しく捧げ持って戻ってきた。年代物のようだが、手入れは行き届いておる。
「ほう、何じゃそれは? 見るからに女子供の玩弄物(がんろうぶつ)のようじゃが」
わしは訝しげに眉をひそめた。
「まぁ、そうおっしゃらずに。中身をご覧になってからでも遅うはございますまい」
古角はそう言うと、桐箱の蓋をゆっくりと開けた。柔らかな薄紫色の絹布に包まれ、それは静かに鎮座しておった。
一瞬、息を呑んだ。そこにあったのは、一連のチョーカーネックレスと一対のイヤリング。真珠じゃ。それも、ただの真珠ではない。その控えめながらも気品に満ちた輝き、肌理(きめ)の細かさ、そして何よりも、その奥に秘められた深い「照り」。わしの目は誤魔化せん。これは…ミキモトじゃ。
箱の隅に、小さな象牙色の札が添えられておった。墨痕鮮やかに「F3915」と記されておる。おそらくは管理番号か何かであろう。
「…ミキモトか」
わしは呟いた。
「それも、随分と古いものと見える。しかし、この輝き…尋常ではないな」
チョーカーの珠は、目測で5ミリほど。決して大粒ではない。むしろ、慎ましやかとさえ言える。だが、その一粒一粒が、まるで夜明けの伊勢の海に浮かぶ朝霧のように、淡く、そして清浄な光を放っておる。イヤリングはやや大ぶりで、7ミリ半といったところか。耳元で揺れれば、さぞや楚々とした風情を醸し出すであろう。
「先生、さすがでございます。これは先代の女主人が大切にされていたものでして…ミキモトの、それも戦後間もない頃の品かと。総重量は18.57グラム。あこや真珠でございます」
古角が、どこか得意げに説明する。
18.57グラム…手に取らずとも、その確かな存在感が伝わってくるようじゃ。戦後間もない頃のミキモト。御木本幸吉翁が、日本の海に真珠という宝石を咲かせ、世界を驚嘆させてから数十年。その精神と技術が、最も純粋な形で息づいていた時代のものかもしれん。
わしは黙ってその真珠を見つめた。ただ美しいだけではない。何か…何か、遠い記憶の琴線に触れるものがある。この清冽な輝き、奥ゆかしい佇まい。まるで…
「小夜子…」
無意識のうちに、亡き妻の名が口をついて出た。古角が、おや、という顔をしたが、わしは構わず真珠から目を離さなかった。そうじゃ、小夜子が好きだったのは、こういう派手さのない、それでいて本質的な美しさを持ったものだった。彼女が、一度だけ…
「先生? 何か思い出されたので?」
古角が遠慮がちに尋ねる。
「…いや、何でもない。少し、見させてもらおうか」
わしは短く答え、桐箱ごと受け取った。ひんやりとした桐の感触が、指先に伝わる。この中に、幾星霜の時を超えた美が眠っておるのか。そして、それはわしの心の奥底に眠る、ある大切な記憶と、分かちがたく結びついているような気がしてならなかった。このF3915という無機質な記号の裏に、どれほどの物語が隠されているというのじゃろうか。わしの胸騒ぎは、ただの感傷ではあるまい。この真珠は、わしに何かを語りかけようとしておる。
第一部:真珠と美の本質
第一章:海の宝石、あこやの輝き
珍品堂から持ち帰った桐箱を、わしは鎌倉山中にある自らの工房「星岡窯(ほしがおかがま)」の縁側に置いた。庭には、雨上がりの苔がしっとりと濡れ、名も知らぬ野草が可憐な花をつけておる。風がそよぐと、木々の葉擦れの音と共に、遠く潮騒が聞こえてくるようじゃ。このような静寂の中でこそ、物の本質は見えてくる。
そっと桐箱の蓋を開ける。再び、あのミキモトの真珠が姿を現した。わしはまず、5ミリ珠のチョーカーを手に取った。指先に伝わる、ひんやりと滑らかな感触。これがあこや貝という生命の中で、幾重にも真珠層が巻かれて生まれた輝きかと思うと、改めて自然の神秘に打たれる。
「ふぅむ…この『照り』、そして『巻き』。見事なものじゃ」
わしは独りごちた。真珠の価値を決めるのは、大きさや形だけではない。最も重要なのは、この「照り」と「巻き」じゃ。照りとは、真珠の表面から放たれる光沢のこと。このミキモトの珠は、まるで内側から発光しているかのような、深く複雑な輝きを秘めておる。色は単なる白ではない。ほんのりと桜色がかった、優しい乳白色。そして光の角度によって、淡い緑や青の干渉色が虹のように浮かび上がる。これぞ、最高級のあこや真珠の証じゃ。
「巻き」とは、核に巻かれた真珠層の厚みのこと。これが薄いと、輝きは浅薄なものとなり、耐久性も劣る。だが、このチョーカーの珠は、一つ一つが充実した巻きを誇っておる。それは、指でそっと触れた時の、しっとりとした重厚感からも窺い知れる。
わしはルーペを取り出し、珠の表面を観察した。天然の産物ゆえ、完璧に無傷ということはあり得ぬ。しかし、この真珠には「エクボ」と呼ばれる微細な窪みや、「サメ」と呼ばれる肌荒れがほとんど見当たらぬ。ミキモトの選別眼の厳しさが、ここにも現れておる。まるで、わしが丹精込めて焼き上げる白磁の肌のようじゃ。あの滑らかで、それでいて温かみのある肌合いを出すために、どれほどの土と釉薬を試し、どれほどの失敗を重ねてきたことか。
このチョーカーは、約40センチほどの長さであろうか。首元に沿うようにデザインされており、華奢な女性の白い頸(うなじ)を、さぞや美しく飾るであろう。5ミリという珠の大きさは、決して自己主張しすぎることなく、それでいて確かな品格を添える。これみよがしな大粒真珠をじゃらじゃらと着けるのは、成金のすることじゃ。本物の美意識を持つ者は、こういう奥ゆかしいものを選ぶ。
次に、7.5ミリ珠のイヤリングを手に取った。チョーカーよりもやや大ぶりなこの珠は、耳元で揺れるたびに、周囲の光を集めて優雅な煌めきを放つであろう。この大きさのバランスがまた絶妙じゃ。ネックレスがデコルテに繊細な光のラインを描き、イヤリングが顔周りを明るく照らし出す。二つが揃って初めて、完璧な調和が生まれる。
「御木本幸吉翁か…」
わしは、明治の気骨ある実業家の顔を思い浮かべた。伊勢の貧しい饂飩屋の息子として生まれ、真珠の養殖という前人未到の事業に生涯を捧げた男。幾度もの失敗と、周囲からの嘲笑にも屈せず、ついに日本の海であこや貝から美しい真珠を育てることに成功した。それは、日本の近代化が生んだ奇跡の一つと言っても過言ではあるまい。
わしが若い頃、まだフランスの片田舎で皿洗いなどをして糊口をしのいでおった時代にも、「MIKIMOTO」の名は、パリの社交界で宝石のごとく輝いておった。日本の職人技と美意識が、かのプライドの高い欧州人たちを唸らせたのじゃ。それは、陶芸の世界で、わしが日本の土と炎の力を世界に示そうと悪戦苦闘していたことと、どこか通じるものがある。
この真珠セットには、そのミキモトの歴史と誇りが凝縮されておる。単なる装飾品ではない。日本の美の粋であり、職人たちの魂の結晶なのじゃ。
ふと、わしは自身の作品である「織部饅頭喰籠(まんじゅうくいろう)」を思い出した。あの歪んだ形、大胆な緑釉の奔放さ。一見、このミキモトの真珠の均整の取れた美しさとは対極にあるように見えるかもしれん。だが、本質は同じじゃ。どちらも、素材の持つ力を最大限に引き出し、作り手の魂を込めることで、初めて人の心を打つ「本物」となる。
この真珠は、嘘をつかぬ。その輝きは、鍍金(めっき)のような上辺だけの美しさではない。内側から滲み出る、真実の光じゃ。それは、わしが追い求める器の美しさ…料理を盛り、酒を注いで初めて完成する、用の美に通じるものがある。この真珠もまた、それを身に着ける人を得て、初めてその物語が完成するのじゃろう。
第二章:デザインの妙、調和の美
陽光が工房の窓から差し込み、ミキモトの真珠に新たな表情を与えた。わしは再び、チョーカーを手に取り、そのデザインの細部に目を凝らした。珠と珠を繋ぐ糸は、おそらく絹糸であろう。一本一本、丁寧に、そして強固に結ばれている。長年使われてきたはずじゃが、その結び目に緩みは見られぬ。こういう細部にこそ、職人の技量が現れる。
留め具は、おそらく銀製であろうか、あるいはホワイトゴールドか。シンプルながらも洗練されたデザインで、真珠の美しさを邪魔することなく、それでいて確かな機能性を備えておる。ミキモトのロゴであろうか、微細な刻印が施されている。これ見よがしなブランド主張ではない。知る人ぞ知る、という奥ゆかしさが、また良い。
「用の美、か…」
わしは、自身の陶芸における信条を呟いた。わしの作る器は、美術館のガラスケースに鎮座するためにあるのではない。日々の食卓で使われ、料理を盛り、酒を酌み交わし、人々の暮らしに寄り添うためにある。そのためには、まず使いやすくなければならぬ。持ちやすく、洗いやすく、そして何よりも、料理を引き立てるものでなければならぬ。
このミキモトの真珠もまた、その点において完璧じゃ。チョーカーの長さ、珠の大きさ、イヤリングとのバランス。全てが、身に着ける女性を最も美しく見せるように計算され尽くされておる。これは、単なる偶然の産物ではない。長年にわたる研究と、美への飽くなき探求心の賜物じゃ。
日本の美意識には、「引き算の美学」というものがある。余計なものを削ぎ落とし、本質だけを残すことで、かえって深い味わいや広がりを生み出す。禅の庭の石組み、茶室の簡素な佇まい、水墨画の余白の美。この真珠のデザインにも、その精神が通底しておる。
「18.57グラム…」
わしは、イヤリングとチョーカーを手のひらに乗せて、その重みを改めて感じた。ずしり、とまではいかぬが、確かな存在感がある。これが安物のガラス玉やプラスチックであったなら、こうはいかぬ。この重みこそが、あこや貝が数年の歳月をかけて育んだ真珠層の証であり、貴金属の確かな品質の証でもある。
この真珠セットは、どのような女性に似合うであろうか。わしは目を閉じ、想像を巡らせた。
まず思い浮かぶのは、若く清純な乙女じゃ。初めて本物の宝石を身に着ける、その初々しさと緊張感。この5ミリ珠のチョーカーは、彼女の細い首筋を飾り、穢れを知らぬその美しさを、さらに際立たせるであろう。卒業式や成人式、あるいは初めての正式なパーティー。そんな晴れの日に、この真珠は彼女に自信と気品を与えてくれるに違いない。
次に思い浮かぶのは、酸いも甘いも噛み分けた、円熟した淑女じゃ。彼女は、もはやこれ見よがしな宝飾品で自分を飾る必要はない。本物の価値を知る彼女は、このミキモトの真珠を、さりげなく日常に取り入れるであろう。例えば、上質な紬の着物に、このチョーカーをそっと合わせる。あるいは、シンプルなカシミアのセーターの胸元に、この輝きを添える。それは、彼女の内に秘めた知性と品格を、静かに物語るであろう。
わしは、かつて小夜子に贈った白磁の椿皿を思い出した。何の変哲もない、ただ白いだけの皿じゃ。だが、そこに紅い椿の葉を一枚敷き、手作りの練り切りを乗せると、っと息をのむような美しさが現れる。器が料理を引き立て、料理が器を引き立てる。この真珠もまた、それを身に着ける女性の内面にある美しさを引き出し、そして女性自身が、この真珠の持つ物語をさらに豊かなものにしていくのじゃろう。
この真珠は、和装にも洋装にも合うであろう。古典的な着物の襟元からのぞく清楚な輝き。あるいは、モダンなドレスのデコルテを飾る洗練されたライン。どちらの場面でも、この真珠はその役割を完璧に果たすに違いない。それは、ミキモトのデザインが、日本の伝統美と西洋の合理性を見事に融合させているからじゃ。
「フン、わしが女であったなら、こういうものを一つは持っておきたいものじゃな」
柄にもないことを考え、わしは一人苦笑した。だが、それほどまでに、この真珠のデザインは普遍的で、時代を超えた魅力を持っておる。これぞ、本物のクラシックと呼ぶにふさわしい。
第二部:小夜子と真珠の記憶
第一章:若き日の誓い、初めての輝き
このミキモトの真珠を見つめていると、どうしようもなく、遠い日の記憶が蘇ってくる。それは、まだわしが北大路玄奘などという大層な名前で呼ばれる前、ただの貧乏陶芸家、玄と名乗っていた頃のことじゃ。妻の小夜子と、鎌倉の片隅の小さな借家で、肩を寄せ合うように暮らしておった。
わしの作る器は、誰にも認められず、窯を焚けば赤字ばかり。それでも小夜子は、文句一つ言わず、内職で家計を支え、わしの夢を応援し続けてくれた。彼女の細い指は、いつも土と釉薬で荒れていたわしの手を、優しく握ってくれたものじゃ。
「あなた、いつかきっと、あなたの器の良さが分かる人が現れるわ。私は信じているもの」
それが彼女の口癖だった。その言葉に、わしはどれほど勇気づけられたことか。
そんなある年の春じゃった。わしが半信半疑で出品した、とある公募展で、思いがけず大賞を受賞した。そして、その作品が、信じられないような高値で買い上げられたのじゃ。生まれて初めて手にした大金。わしは震える手でその札束を握りしめ、真っ先に小夜子の顔を思い浮かべた。
「小夜子に、何か…何か、彼女が本当に喜ぶものを贈りたい」
その時、ふと頭に浮かんだのが、ミキモトの真珠だった。以前、二人で銀座を散策した折、ショーウィンドウに飾られた真珠のネックレスを、小夜子がうっとりと眺めていたのを覚えていたからじゃ。その時の彼女の横顔は、まるで少女のように純粋で、わしの胸を強く打った。
「よし、あれだ」
わしは、生まれて初めて、銀座のミキモト本店に足を踏み入れた。場違いな格好のわしを、しかし店の若い女性は、実に丁寧に応対してくれた。ガラスケースの中には、眩いばかりの真珠が並んでおった。どれもこれも美しく、値段も目が飛び出るほどじゃ。わしは冷や汗をかきながら、小夜子に似合うものを必死で探した。
そして出会ったのが、この5ミリ珠のチョーカーと7.5ミリ珠のイヤリングのセットだった。大粒で華美なものもあったが、わしにはこれこそが小夜子にふさわしいと思えた。控えめだが、凛とした気品がある。そして、何よりも、その輝きが純粋だった。
「これを…これをください」
わしは、ほとんど清水の舞台から飛び降りるような気持ちで言った。当時のわしらにとっては、まさに一生に一度の買い物じゃった。
家に帰り、少し照れながら桐箱を小夜子に差し出した時のことを、今も鮮明に覚えておる。
「あなた…これは…?」
訝しげに箱を開けた小夜子は、中身を見て息を呑んだ。そして、その目にみるみるうちに涙が溢れ出した。
「まあ…ミキモトの真珠…! こんな高価なもの…どうして…」
彼女は震える声で言った。
「お前への、感謝のしるしだ。いつも、苦労ばかりかけてすまない」
わしがそう言うと、小夜子は「もったいないわ…」と繰り返しながらも、その顔は満開の桜のように輝いていた。
彼女が初めてそのチョーカーを首に着け、イヤリングを耳に飾った姿は、まるで月の女神のように美しかった。いや、わしの目にはそう見えた。普段は洗い髪に質素な木綿の着物という出で立ちの彼女が、この真珠を纏った途端、すっと背筋が伸び、どこか違う世界の人間になったように見えたのじゃ。
「玄さん…ありがとう。一生、大切にするわ」
彼女はそう言って、わしの胸に顔をうずめた。その温もりと、真珠のひんやりとした感触が、今もこの手に残っておるかのようじゃ。あの時の小夜子の笑顔は、わしが生涯で見た中で、最も美しいものの一つだった。この真珠は、わしら夫婦の、ささやかだが確かな愛の証でもあったのじゃ。
第二章:晴れの日の装い、ささやかな誇り
小夜子にとって、このミキモトの真珠セットは、単なる装飾品ではなかった。それは、彼女の人生の節目節目を彩る、大切な宝物だったのじゃ。
わしが初めて、ささやかながらも自分の名前で個展を開いた日のこと。会場の入り口で、緊張した面持ちで客を迎えるわしの隣には、この真珠を身に着けた小夜子が立っておった。普段は人前に出るのを好まぬ彼女が、その日ばかりは、まるでわがことのように誇らしげな表情をしていたのを覚えておる。彼女の白い首筋で輝く5ミリ珠のチョーカーは、まるで彼女の清らかな心を映しているかのようだった。そして、時折揺れる7.5ミリ珠のイヤリングが、彼女の優しい微笑みに華を添えていた。
「先生の奥様、本当に上品でいらっしゃいますね。あの真珠も、奥様にとてもよくお似合いですわ」
訪れた客の一人が、そう囁くのを聞いた時、わしは自分の作品が褒められるよりも嬉しかったものじゃ。
また、一人息子の雄輔(ゆうすけ)が結婚した時もそうじゃ。小夜子は、この真珠を身に着けて、黒留袖姿で式に臨んだ。母親としての喜びと、一抹の寂しさとが入り混じった彼女の表情を、この真珠は静かに見守っていた。披露宴の席で、新郎の母として挨拶に立った小夜子の姿は、凛として美しかった。その胸元で輝く真珠は、彼女の言葉に、より一層の重みと温かみを与えているように見えた。
もちろん、いつも晴れがましいことばかりではなかった。わしら夫婦も、人並みに喧嘩をすることもあった。わしの頑固で偏屈な性格が、優しい小夜子を怒らせてしまうことも、一度や二度ではなかった。
ある時など、わしが陶芸に没頭するあまり、小夜子との約束をすっぽかしてしまい、彼女をひどく悲しませてしまったことがある。その日から数日間、小夜子は口もきいてくれず、そして何よりも、この真珠を着けてくれなくなったのじゃ。いつも彼女のドレッサーの定位置にあった桐箱が、まるでその存在を主張するかのように、固く閉ざされていた。
わしは、さすがに反省し、どうしたものかと思案した。そして、小夜子が一番好きだった、季節の魚を使った料理を心を込めて作り、不器用ながらも謝罪の言葉を述べた。すると小夜子は、しばらく黙ってわしの顔を見ていたが、やがて小さくため息をつき、ふっと微笑んだ。
「もう、玄さんはしょうがないわねぇ」
その翌日、彼女の首には、再びあのチョーカーが輝いていた。その時の安堵感といったら、なかった。この真珠は、わしらにとって、仲直りの印でもあったのじゃ。
思えば、小夜子はこの真珠を身に着けている時、いつもより少しだけ背筋が伸び、自信に満ちた表情をしていたように思う。それは、ミキモトというブランドが持つ力なのか、それとも、わしが贈ったという事実が彼女にそうさせていたのか。おそらく、その両方であろう。
わしが作る料理を、小夜子はいつも「世界一美味しいわ」と言って食べてくれた。その言葉が、わしの創作意欲をどれほど掻き立てたことか。彼女がこの真珠を身に着け、わしの作った器に盛られた料理を味わう。その光景こそが、わしにとって至福の瞬間であった。美しい器、美味い料理、そしてそれを愛でる美しい人。その三位一体の調和こそが、わしの求める美の世界そのものだったのじゃ。
この真珠は、そんなわしら夫婦のささやかな、しかし、かけがえのない日々の記憶を、その一粒一粒に宿しておる。それは、どんな名画や名器にも劣らぬ、わしにとっての至宝なのじゃ。
第三章:最後の輝き、託された思い
歳月は容赦なく流れ、わしら夫婦も次第に老いを重ねていった。あれほど元気だった小夜子も、晩年は病気がちになり、床に伏すことが多くなった。それでも、彼女の傍らには、いつもあの桐箱が置かれていた。
体調が良い日には、小夜子はベッドの上で上半身を起こし、わしに桐箱を開けさせた。そして、か細い指でそっと真珠に触れ、飽かず眺めているのだった。その時の彼女の目は、まるで少女のように澄んでいて、そこには若い頃と変わらぬ、真珠への憧憬と愛情が宿っていた。
「玄さん…この真珠、やっぱり綺麗ねぇ…」
掠れた声で、彼女はよくそう呟いた。
「ああ、お前によう似合うとる」
わしがそう言うと、彼女は嬉しそうに微笑むのだった。その笑顔を見るたびに、わしの胸は締め付けられるような思いがした。
ある晴れた午後、いつものように小夜子が真珠を眺めていた時、ふと、彼女がこう言った。
「玄さん、この真珠…私が死んだら、どうするの?」
わしは言葉に詰まった。そんな縁起でもないことを、なぜ言うのかと。しかし、彼女の目は真剣だった。
「…お前が元気になったら、またこれを着けて、わしの個展に来てくれればええ」
それが、わしの絞り出した答えだった。
小夜子は、力なく首を振った。
「ううん…たぶん、もう長くないと思うの。だから、聞いておきたいのよ」
そして、彼女は続けた。
「この真珠はね…玄さんが私にくれた、一番大切な宝物だから…だからね、私が死んだ後も、誰か…これを本当に大切にしてくれる人に、使ってほしいの。仕舞い込んだままじゃ、真珠が可哀想だわ…」
その言葉は、わしの胸に深く突き刺さった。美しいものは、人に愛でられ、使われてこそ、その命が輝く。それは、わしが陶芸家として、常に心掛けてきたことでもあった。小夜子は、それを分かってくれていたのじゃ。
「…分かった。お前の気持ちは、よう分かった」
わしは、そう答えるのが精一杯だった。
それから数日後、小夜子は、まるで眠るように静かに息を引き取った。わしの腕の中で、彼女は最期まで、あのミキモトの真珠のことを気にかけていたように思う。彼女の細い指が、最後にそっと桐箱に触れたのを、わしは見逃さなかった。
小夜子が逝ってしまってから、わしはしばらくの間、あの桐箱を開けることができなかった。それを見るたびに、彼女との思い出が鮮やかに蘇り、どうしようもない寂寥感に襲われたからじゃ。
しかし、ある時、ふと思い立って桐箱を開けてみた。中の真珠は、小夜子が最後に触れた時のまま、静かに輝いていた。その輝きは、少しも衰えることなく、むしろ、彼女の魂が宿ったかのように、より一層深く、清らかに見えた。
「そうか…お前は、こうして輝き続けるのだな…」
わしは、そっと真珠に触れた。ひんやりとした感触が、心地よかった。
小夜子は言った。「誰か、これを本当に大切にしてくれる人に使ってほしい」と。その言葉が、今、わしの心の中で重く響いておる。この真珠は、もはやわし一人の思い出の品ではない。小夜子の願いを乗せた、未来へ繋がるべきものなのじゃ。
このF3915のチョーカーとイヤリングには、そんな物語が秘められておる。それは、海の底で育まれた奇跡の輝きと、一組の夫婦のささやかな愛の歴史。そして、それを次の世代へ託そうとする、ささやかな願い。これほどの物語を持つ宝飾品が、そうそうあるものだろうか。
第三部:手放すということ、繋ぐということ
第一章:葛藤と決意
小夜子が逝ってから、幾度かの春が巡ってきた。鎌倉のわしの工房「星岡窯」の庭にも、桜が咲き、そして散った。季節は移ろい、人の世もまた、とどまることを知らぬ。わし自身も、もう齢八十をとうに超え、いつお迎えが来てもおかしくない身じゃ。
このミキモトの真珠セットは、小夜子の形見として、わしが大切に手元に置いてきた。時折、桐箱を開けては、その変わらぬ輝きに触れ、過ぎ去りし日々を懐かしむ。それは、わしにとって慰めであり、同時に、一抹の寂しさを伴う行為でもあった。
「美しいものは、使われてこそ命が輝く」
それは、わしが口癖のように言い、そして信じてきたことじゃ。わしの作る茶碗や徳利、皿や鉢も、ただ飾られるのではなく、日々の暮らしの中で人に愛され、使われることで、初めてその真価を発揮する。料理を盛り、酒を注ぎ、時には欠けたり、傷ついたりしながらも、持ち主の人生に寄り添っていく。それこそが、工芸品の本懐じゃ。
この真珠もまた、同じであろう。小夜子も、そう願っていたはずじゃ。「仕舞い込んだままじゃ、真珠が可哀想だわ」という彼女の言葉が、今も耳に残っておる。わしがこれを手元に置いている限り、この真珠は再び誰かの肌を飾り、その人生を彩る機会を失ってしまう。それは、この美しい真珠にとっても、そして小夜子の願いにとっても、本意ではあるまい。
しかし、いざ手放すとなると、やはり躊躇(ためら)う気持ちがないわけではない。これには、わしと小夜子との、かけがえのない思い出が詰まりすぎている。これを手放すことは、まるでわし自身の半身を切り離すような痛みを伴うのではないか…そんな感傷が、わしの心をよぎる。
弟子や、懇意にしている数少ない知人に譲ることも考えた。だが、どうも腑に落ちぬ。彼らがこの真珠の価値を理解せぬわけではないだろうが、もっと…もっと、この真珠が持つ物語の深さ、ミキモトというブランドの歴史、そして何よりも、小夜子の想いまでをも受け止めてくれるような人に託したい。そのような人物が、身近にいるだろうか。
そんな折、例の骨董屋「珍品堂」の主人、古角がひょっこり顔を出した。わしが縁側でぼんやりと真珠の箱を眺めているのを見て、例の古狐のような目で言った。
「先生、そのお品、もしや手放されるおつもりで?」
わしはギクリとしたが、隠しても仕方あるまい。
「…フン、まあな。わしが持っていても、宝の持ち腐れじゃ。それに、女房もそれを望んでおるだろう」
古角は、しばらく黙って真珠を見つめていたが、やがてこう提案した。
「先生、でしたら、などに出品されてはいかがですかな? 今の時代、そういう形で、本当に価値の分かる方が、全国…いや、世界から見つけてくださることもありますぞ」
「じゃと?」
わしは眉をひそめた。そんな若者のやるような、顔も見えぬ相手とのやり取りなど、性に合わぬ。しかし、古角は続けた。
「先生のこの真珠への想い、そして奥様との物語を、きちんと伝えれば、きっと心ある方が手を挙げてくださいます。写真も、私が先生の意向を汲んで、この真珠の美しさが最大限に伝わるように撮りましょう。そして、説明文は…先生ご自身がお書きになるのが一番かと」
その言葉に、わしは少し心を動かされた。自分の言葉で、この真珠の物語を語る。そして、それを読んだ誰かが、共感し、この真珠を新たな人生の伴侶として迎え入れてくれる。それは、あるいは、弟子や知人にただ譲るよりも、より多くの可能性を秘めているのかもしれぬ。
「…ふむ。まあ、貴様の言うことにも一理あるか」
わしは不承不承といった体で頷いた。だが、心のどこかでは、新しい縁への期待が芽生え始めていた。小夜子の真珠が、新たな物語を紡ぎ始める。それは、寂しいことではなく、むしろ喜ばしいことなのかもしれない。
決意は固まった。このF3915、ミキモトのあこや真珠セットを、という未知の海に送り出す。そして、この真珠にふさわしい、新たな持ち主との出会いを待つのじゃ。
第二章:新たな持ち主への手紙
さて、この長々とした駄文を読んでくださっておる貴方。おそらく、このミキモトの真珠に、何かしら心惹かれるものがあってのことと推察する。わし、北大路玄奘が、この場を借りて、未来の持ち主となるかもしれぬ貴方に、一言申し上げておきたい。
この真珠は、単なるアクセサリーではない。それは、日本の誇るべき職人技の結晶であり、ある夫婦の愛の記憶であり、そして、持ち主の品格を静かに物語る、小さな芸術品じゃ。
もし、貴方がこの真珠を手にするならば、どうか大切にしてやってほしい。それは、高価なものだから、というだけではない。この真珠には、作り手の魂と、かつての持ち主の温かい想いが込められておるからじゃ。
手入れについて、少しばかり玄奘流の蘊蓄を垂れさせてもらおうかの。真珠は、酸や汗、化粧品に弱い。使った後は、必ず柔らかい布で優しく拭いてやるのじゃ。昔ながらの鹿のセーム革などが良いが、なければ専用のクロスでも構わぬ。決して、ゴシゴシと擦ってはならぬぞ。赤子の肌を労わるように、そっと、な。
そして、保管する際は、他の宝石と一緒にせず、専用のケースに入れるか、柔らかい布で包んでやること。乾燥しすぎても、湿気が多すぎてもいけぬ。桐の箱は、その点、真珠の保管には適しておる。
だが、何よりも大切な手入れは、「身に着けること」じゃ。真珠は、人の肌の脂や水分を適度に吸収することで、その輝きを保つと言われておる。仕舞い込んでいるだけでは、かえって光沢を失ってしまうこともある。だから、特別な日だけでなく、時には普段使いにも、この真珠を愛用してやってほしい。
この5ミリ珠のチョーカーは、貴方の首元を清楚に飾り、7.5ミリ珠のイヤリングは、貴方の顔周りを優しく照らすであろう。それを身に着けた貴方は、きっといつもより少しだけ背筋が伸び、自信に満ちた気持ちになるはずじゃ。それは、ミキモトというブランドが持つ確かな品質と、この真珠が持つオーラが、貴方に力を与えてくれるからに他ならぬ。
どのような装いに合わせるか、それもまた楽しみの一つじゃろう。
フォーマルな席ではもちろんのこと、例えば、上質なシルクのブラウスに、このチョーカーをさりげなく合わせるのも粋じゃ。あるいは、シンプルなリトルブラックドレスに、このイヤリングで一点の輝きを添えるのも良い。和装ならば、訪問着や色無地の襟元を、この真珠が上品に引き立ててくれるであろう。
わしは、この真珠が、貴方の人生の様々な場面で、良き伴侶となることを願っておる。喜びの時も、少しだけ気持ちが沈んだ時も、この真珠の清らかな輝きが、貴方の心を慰め、励ましてくれることを。
MIKIMOTOという名は、もはや日本だけでなく、世界中で最高級真珠の代名詞じゃ。それは、創業者・御木本幸吉翁の「世界中の女性を真珠で飾りたい」という夢と、それを実現させた日本の職人たちの弛まぬ努力の賜物。この真珠を身に着けるということは、その歴史と誇りを、貴方自身が纏うということでもあるのじゃ。
これは、わしから貴方への、ささやかな手紙のつもりじゃ。この真珠が、貴方の元で新たな物語を紡ぎ、そしていつの日か、また次の世代へと受け継がれていくことを、心から願っておる。これは単なる商品ではない。人と人、時代と時代を繋ぐ、美しい「縁(えにし)」なのじゃから。
終章:オークションの鐘が鳴る
古角の助けを借りて、への出品準備は着々と進んだ。わしは、小夜子が大切にしていた桐箱から、改めてチョーカーとイヤリングを取り出し、柔らかな布で丁寧に拭き清めた。その一粒一粒が、まるでわしに何かを語りかけてくるかのようじゃった。
「F3915【MIKIMOTO】淑やかなる品格 あこや真珠5mmチョーカー&7.5mmイヤリングセット 18.57G」
古角が提案したタイトルを、わしは少しだけ手直しした。「淑やかなる品格」という言葉は、まさにこの真珠と、そして小夜子を表すのにふさわしいと思ったからじゃ。数字や記号だけでは伝わらぬ、この真珠の本質を、少しでも多くの人に感じ取ってほしかった。
写真撮影は、古角に任せた。奴は骨董屋だけあって、物の見せ方を心得ておる。自然光の下で、真珠の「照り」と「干渉色」が最も美しく見える角度を探り、何枚もシャッターを切っていた。わしは、その様子を黙って見ていたが、ファインダー越しに見える真珠の輝きが、まるで小夜子の微笑みのように見えて、少し胸が熱くなった。
そして、この長々とした物語のような説明文じゃ。古角は「先生、これでは小説ですよ」と苦笑しておったが、わしはこれで良いと思った。この真珠の価値は、スペックだけでは語り尽くせぬ。その背景にある物語、想い、そして美意識こそが、本質じゃからな。これを読んで、心ある人が一人でも現れてくれれば、それで満足じゃ。
出品の手続きが終わり、オークションの開始時刻が迫る。まるで、娘を嫁に出す父親のような、寂しさと期待が入り混じった複雑な気持ちじゃ。
「さて…」
わしは工房の縁側に腰を下ろし、庭を眺めた。紫陽花が雨に濡れて、その青や紫の色を一層深くしておる。その花びらに宿る水滴が、まるで小さな真珠のようにきらめいていた。
「この真珠を手にする者は、どのような料理を最も好むであろうか…」
結局、わしの思考はいつも食い物に行き着く。だが、それもまた一興。
春ならば、京都・錦市場で手に入れた極上の筍と、鳴門の若布(わかめ)を使った炊き合わせ。その繊細な味わいと、この真珠の清楚な輝きは、さぞや見事な調和を見せるであろう。器は、わしが焼いた薄手の染付の小鉢が良い。
夏ならば、清流で獲れた若鮎の塩焼きじゃな。蓼酢(たでず)を添えて、キリリと冷やした純米吟醸と共に味わう。鮎のはらわたのほろ苦さと、真珠の奥ゆかしい光沢。まさに日本の夏の粋じゃ。緑釉の大皿に、勢いよく盛り付けたい。
秋ならば、丹波の松茸を使った土瓶蒸し。蓋を開けた瞬間に立ち上る芳醇な香りと、透き通った出汁の滋味。そして、首元で静かに輝く真珠。これ以上の贅沢があるものか。志野の土瓶と猪口で、ゆっくりと味わいたい。
冬ならば、下関の天然とらふぐの薄造り(てっさ)じゃろう。菊の花のように美しく盛り付けられた半透明の身を、自家製のポン酢でいただく。その淡白ながらも奥深い旨味と、真珠の冷ややかな輝きは、冬の静謐な美しさを象徴するようじゃ。備前の大皿に、余白を生かして盛り付けたい。
…いかんいかん、また妄想が過ぎたわい。だが、この真珠を身に着ける人が、そのような美しい食の記憶をも紡いでくれたなら、わしは陶芸家としても、食い道楽としても、本望じゃ。
「フン、わしの手から離れるのは少々寂しいが、これもまた縁。達者でな、小夜子の真珠よ」
わしは空に向かって、そう呟いた。
やがて、オークションの開始を告げる鐘の音が、わしの心の中に鳴り響いたような気がした。この小さな桐箱に秘められた海の宝石が、新たな主との出会いを求めて、今、静かに旅立っていく。その旅路が、幸多かれと願うばかりじゃ。
このF3915のミキモト真珠セットを手にする貴方。貴方は、ただの宝飾品を手に入れるのではない。貴方は、日本の美の歴史と、ある夫婦の愛の物語、そして北大路玄奘という偏屈な老人のささやかな願いを受け継ぐことになるのじゃ。どうか、その重みと喜びを胸に、この真珠と共に、素晴らしい時を刻んでいってくだされ。
(了)


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