海兵隊、 警察官、レーサーと過去に様々な経歴を持つ 男が余方もない賭けをする。 デンバーからカルフォル ニアまでをわずか15時間で走りきるというのだ。 平均 時速200キロ、 白バイを蹴散らし、パトカーをひっくり 返し、何かに取り憑かれたように大地を駆け抜けてゆ く。警察の無線を盗聴し、 男の手助けをする盲目のデ ィスクジョッキー、激しいロックの音楽とエンジン の音がハイウェイを横切る。 だが、いつしかラジオの 声はくもり始め、やがて途絶える。 男はバニシング・ ポイント(消失点) に向かってアクセルを踏み込んで いた。 運命に逆らい、社会に逆らい、スピードの中に 何かを見つけようと走り続けるその姿は、現代の車に 乗った孤独なカウボーイのように映し出される。 アメ リカン・ニューシネマ特有のテーマと壮絶なカー・ チェイスの娯楽性が見事に融合した作品である。
20th Picture copyright 1971 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.
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デンバーからサンフランシスコまで、 普通に車を走らせるとどの くらいかかるものなのか、ぼくは知らない。 コワルスキーのように、 15時間で行ってみせるというのはそうとう無茶なことなのであろう。 加速装置にレーシング・タイヤをつけ、時速260キロを出せる白の1970 年型チャレンジャーは、 目的地に向かってひた走りに走る。
白バイを蹴散らし、 パトカーをひっくり返し、 警官に追われるハ メとなる。 いってみれば "全編がカー・チェース” みたいな設定の 映画である。
しかし、カーチェースを扱ったアクション映画ということだけ では片づけられないところに 「バニシング・ポイント』 の面白さが ある。この作品の背後から1970年代初頭のアメリカがチラホラと顔 をのぞかせ、そこに興味をそそられる。
それにしても、コワルスキーは15時間で走ってみせる、 という無 謀な賭けをなぜしたのだろうか。 そのことはストーリー的には明ら かにされない。 そこに不満を見いだした批評もあるが、 警察の無線 情報と、 回想の断片が挿入され、 コワルスキーの前身が次第に明ら かにされることによって、 何となくわかった気になってくる。
コワルスキーにはベトナム戦争の海兵隊員、 サンディエゴの警察 官、ストックカーレースのドライバーという前歴のあったことが わかる。それぞれのキャリアにおいて、 彼は豊かな素質を示したが、 苦い経験もした。 恋人との思い出も辛いものになっている。
これらの回想場面はもっと長かったが、フィルム編集段階でだい ぶ短縮されたそうだ。 そのためになぜ無謀な行動をとるのかわかり にくくなったというマイナス面もあるが、 彼の心理上での動機をあ まり深追いせず、 観客になんとなくわからせるということで今日的 になったというプラス面もある。
ともあれ、ベトナム戦争から帰還したコワルスキーは、体制から はじき出された負け犬だったのである。こうしたアンチ・ヒーロー 的な存在は、ベトナム戦争さなかの1960年代から70年代初めに かけて作られた、いわゆる 《ニュー・アメリカン・シネマ> と呼ば れる一連の作品の青春像に多くみられるものだった。
この映画において、追う者、つまり敵はもっぱら警察という体制 である。 海賊放送の盲目の黒人DJ、スーパー・ソウルを襲撃する白 人も、実はコワルスキーにパトカーをひっくり返された警官である。 一方、逃走するコワルスキーを応援する人々―スーパー・ソウ ル、ヘビ取りをする老人、バイクを乗り回すヒッピー、全裸の娘
は、コワルスキー同様に体制からはみ出した人間か、反体制の行動 をとる者たちだ。 ヘビを崇拝する宗教グループもヒッピー風である し、コワルスキーが車から叩き出してしまうホモの2人連れも、1970 年代初めのアメリカでは社会のアウトサイダーだった。 つまりこの 映画を図式としてとらえると、 体制と反体制が浮かび上がってくる。 コロラド州デンバーからサンフランシスコへ走る白いチャレンジ
ヤーは、 途中、 ユタからネ バダの砂漠を経てカリフォ ルニアへ入っていく。 それ はかつて西部開拓者たちが 通ったトレイルだったかも しれない。 実際、 低く垂れ 込めた白い雲は、ジョン・ フォード映画でおなじみの ものだし、西部劇で見なれ た風景にもしばしば出会う。
「黄金の西部を駆け行くドライバーに2台の凶悪なパトカーが迫る」 「あゝ危うし、 我らがスーパーヒーロー」「地上最後の自由な魂の消 滅だ」 スーパー・ソウルは、ラジオを通じてそう言ってコワルスキ ーの危機を訴える。
西部開拓に象徴される自由のアメリカ、 大いなるアメリカが、 ま さにパニッシュ (消滅) しようとしていることをも、この映画の作 家たちは訴えようとしているのである。
さらに、この主人公の名がスミスとかウィリアムズとかではなく、 いかにも東欧系移民の子孫らしいコワルスキーであり、それを応援
するのが黒人であることは、 “マイノリティ民族 = 社会ののけ者” という状況までも暗示しているよう に思えてくる。 この映画の作られ た1970年代初頭という時代背景を 考えるとき、そんなふうに深読み 出来ることがぼくには面白いのだ。 ちなみにコワルスキーを演じる バリー・ニューマンはユダヤ系の 俳優である。 '69年の『弁護士』(日 本未公開)で注目され、その後も 『ザルツブルグ・コネクション』('72)、 『シティ・オブ・ファイヤー』('79) やテレビシリーズに出ていたが、 '80年代以降はこれといった作品を 聞かない。
スーパー・ソウル役のクリーボン・リトルは、その後に『プレー ジング・サドル』 ('74) があるが、ブロードウェイの舞台でも評判が 高い。 『頭上の敵機』 ('49) でアカデミー助演賞を獲得しているディ ーン ジャガーの演じるヘビ取りの老人の、いかにも土地の者らし い存在感も得がたいものだ。
さて最後に、監督のリチャード・C・サラフィアンだが、 彼はア ルメニアの血を引く。 テレビシリーズから映画に進出し、この作品 以前に『野にかける白い馬のように』 ('69)、 以後に 『荒野に生きる (71)、 『ロリ・マドンナ戦争』('73)、『キャット・ダンシング』('73) と、ニュー・シネマの時期に意欲的な仕事を見せたが、 近作『クラ イシス2050』 ('90) には往時の覇気は感じられなかった。 『バグジー』 ('91) には役者として出演していた。
( 筈見有弘)
リチャード・C・サラフィアン監督主要作品
3野にかける白い馬のように バニシング・ポイント 13 ロリ・マドンナ戦争 79 サ ンバーン
バリー・ニューマン主要作品
バニシング・ポイント 2 ザルツブルグ・コネクション
<太字作品はフォックスビデオより発売中>
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