写真は、平成16年(2004)に、小学館から出版された週刊名城をゆくシリーズ28号
「萩城 岩国城」(8月24・31日号・定価560円)を流用してあるが、落札後、発送するの
は、平成27年に復刊出版された隔週刊の号であることをお断りしておく。表紙を少し変
えて内容は、週刊も隔週刊もまったく全ページ同じである。ひと言、説明しておくと、週刊
は50号以上出版されたが、隔週刊はそのうちのよく売れた30号分にしぼって復刊され
た。ちなみに復刊されなかった号は、現在、入手困難な分、古書店では高値となってい
る。城の規模、縄張り、築城秘話、ゆかりの武将・各種人物伝などのさまざまな内容は、
貼付写真の具体的な目次の詳細から御想像して下さい。
【萩城】
山口県の古都・萩は、美しい緑と掘割が織りなしいる。今もまぶしい白壁は、幕末当時と
変わらない。この地が、毛利家(長州藩)の拠点となったのは、関ヶ原合敗戦戦にである。
毛利氏は、鎌倉時代からの名族で、この地に領地を賜り芸州吉田城を拠点としていた。
三本の矢の逸話で有名な毛利元就は、一代で10カ国で120万石の大名にのし上がっ
た。領土拡大後、居城は広島へ移った・・・・。
しかし、石田三成に、豊臣恩顧の西軍大将に担がれたのが仇となり、敗戦後、家康
の命で防長2国36万石に減封された。新たな牙城の萩は、一方を日本海に面し、三方
が山に囲まれ、鎌倉と同じく守りやすく攻めにくい要害の地であった。時は流れて幕末、
文久3年(1963)に、藩主・毛利敬親のみぎり、海防上の理由から、藩庁を兼ねた居城
を萩から山口へ移転している。萩は列強諸国の艦砲射撃にあったら、たちまち城は破壊
され炎上する。萩は、吉田松陰をはじめ、高杉晋作や久坂玄瑞、桂小五郎らが青春を
謳歌した町でもあった・・・・・。
【岩国城】
吉田松陰は、弟子たちにこう説いた。
「地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ぜんと欲せば、まず地理を観よ」
賢人・牧口常三郎の人生地理学にいわく、土地には、その土地に生きる人々にふさわ
しい治世や産業振興がある。人の人相や宿命がちがうように、土地にも気候や風土の
ちがいがあり、その道理に合った政治が求められる。吉川広家は、本家筋の毛利家か
ら冷遇されながらも、新領地での町づくり人作りに励んだ。関ヶ原敗戦後、吉川家も、
米子城からこの地に3万石で封じられていたのだ。
慶長6年(1601)、広家はこの地をあてがわれると、すぐに岩国築城を開始した。
麓に平時の館を構え、山上には戦時の横山城が築いた! 石高は少なくとも、常に
和戦両面で領民を守る姿勢を打ち出したのだ。本丸には四重六層の唐造りの天守
が建造された。 しかし、完成からわずか7年後、元和元年(1615)の一国一城令に
より、横山城の破壊を幕府から命じられた。その後、明治維新までのこの城の紆余
曲折は、本書を御覧あれ!
本の状態は、個人所蔵の「美本」レベルである。あまりに神経質な方は御遠慮し
て下さい。発送はゆうパケット210円です。