平成4年(1992)に、新人物往来社から出版された『歴
史研究」1月号・特集 織田信長と特製『信長攻略 M A P』
の2点セットである。
【歴史研究「織田信長」について】
『歴史研究』本号の特集は「織田信長」23本もの歴史
家や会員諸氏の信長研究の成果が結集している。の信長の
先祖・出自、軍事改革の合戦歴、居城の変遷、政治・経済
政策、人間的魅力、魔性や病など多岐にわたり、執筆者の
ユニークな視点や史料分析があり実に多彩である。今から
31年も前の本誌は、ちょうど発行部数も限られた時期の
人気号で、古書店でも見かけない、今や入手困難な一書と
なっている。
【ポケットサイズの信長攻略 M A P について】
特製『信長攻略 M A P 桶狭間の戦い 人生大逆転街道』
(木瓜道・永楽道・揚羽道)は、表と裏計18面を丹念に
小さく折り畳んである。桶狭間古戦場公園・桶狭間伝説地、
大高城跡公園・丸根砦跡・鷲津砦公園・鳴海城跡公園・丹
下砦跡(成海神社)・中島砦跡・戦死者を葬った七つ塚・
那古野城(現・名古屋城一角)・清洲城、戦勝祈願の白鳥
山法持寺、信長塀の熱田神宮、信長が戦勝返礼に千本松寄
進の日置神社、尾張三英雄ゆかりの日吉神社、信長からく
り人形上演中の万松寺、ほかにも正覚寺や榎白山神社、長
福寺、など50カ所以上。さらに御当地の飲食店15も紹
介。すべて写真入り。 片面見開き中央には、多数のイラス
ト入りの名古屋戦国地図がドカンとある。三街道は「出世
勝運」「大願豪運」「恋愛昇運」ルートと命名し、歴女ウ
ケもバチバチだ。興味ある方は、手に取って御覧あれ!
【どうする家康! 信長との天下布武への道①】
織田信秀が当主のみぎり、幼少の竹千代(元康・家康)
は織田の人質であった。一説によると、竹千代はその頃、
信長と出会う。信秀死後、信長は尾張制覇の戦いに明け暮
れていた。弘治元年(1555)、信長は尾張下四郡の守護代
・織田信友(清洲城主)を倒し、新たな牙城とした。二年
後、母と重臣が信長を暗殺未遂、その罪で弟・信行を誅殺
した。永禄2年(1559)、尾張上四郡の守護代・織田信賢
(岩倉城主)を放逐、尾張統一を成し遂げた。
翌永禄3年、信長の上昇運気を根絶やしにすべく、今川
義元の2万5千の大軍で尾張に侵攻。織田勢は、2~3千の
兵力で、雨の中、桶狭間の今川本陣を奇襲し義元の首をあ
げる。間髪入れず、今川の人質として従軍していた松平元
康(家康)へ同盟を申し入れる。その後、信長は東三河は
元康が裏切らない限り侵入の心配はないと判断。小牧山を
居城に、道三から譲り受けた美濃攻略に専念した。
進境著しい木下藤吉郎(羽柴・豊臣秀吉)を先兵として
、
元康との関係を強くするために、信長は女(むすめ)を
元康の嫡男・信康と婚約させた。元康は家康と改名し
今川との絶縁宣言。信長は、家康を弟のように接した。
家康も同じ心根であった。
美濃の国盗りに木下藤吉郎は〝武〟の蜂須賀小六と〝知〟
の竹中半兵衛を得た。半兵衛の調略により、西美濃三人衆
(稲葉良通・氏家直元・安藤守就)らを信長方につけた。さら
に藤吉郎は、要所・墨俣城(一夜城)を築き、美濃攻めの準
備を万全に整えた。その頃、家康は、家臣団を二分させた
三河一向一揆に苦しむも鎮圧。分断を乗り超え、家臣の団
結は一層強固になった。その勢いで、家康は東三河をも制
圧し、三河一国の大名となり、勅許を得て徳川と改姓し、従
五位下三河守と相成った。
永禄10年、織田方は、稲葉山城攻略、斎藤龍興を追放
し美濃一国を平定。信長は岐阜と改め、小牧城から居城を
移した。岐阜の名の由来は、中国の文王が、八百年の天下
泰平の世を実現した岐山の「岐」と、学問の祖・孔子の出
身地の曲阜の「阜」を合わせ名付けた。
武田信玄は、信長に請われ、同盟関係にあったにもかか
わらず信長の拡大に腹を立てた。信玄は、嫡男正室の実家
今川を滅ぼすために領駿河に侵入した。その機に家康も遠
江占領し今川は完全に見放された。元亀元年(1570)家康
は、渾身の力で、武田の西上を阻止するために浜松城へ本
拠を移した。律義な家康は、同年の近江・姉川の戦いに、
信長を助けるために出陣した。そして、元亀3年12月の
三方ヶ原の戦いへと繋がる。家康は信長のために、あえて
大きな犠牲を払わされることを拒まなかった。「忍耐」こ
そが家康の真骨頂だが、その苦難の峰はその後続く。どう
する家康、どうする家康・・・。
【目次】
●「織田信長の基礎知識」(編集部編)
●「小牧長久手の戦いと閨兄弟」(川口素生)
●「信長の妻たち」(三木知子)
●「織田氏の先祖は忌部氏か」(丸山 隆)
●「軍事改革者の長篠合戦」(小沢和也)
●「織田信長ー夢幻の如く」(谷口潔輔)
●「信長の名物狩」(野口裕喜)
●「鉄砲隊の三段戦法と巨大鉄船の創始者」(石原鐵之助)
※指揮者はイタリア人だった
●「信長の魅力と功績」(高木嘉正)
●「信長は病気か」(加藤 昇)
●「みずからを神にした信長」(境 淳伍)
●「信長の加冠」(斎藤 馨)
●「稲葉山落城は永禄七年か十年か?」(村上喜代志)
●「信長公は本当に鬼なのか」(川畑健太郎)
●「信長と雨」(岩瀬 優)
●「信長の幸運あれこれ」(畑中 輝)
●「織田信長を描いた小説」(宮内君枝)
●「織田一族の先祖」(重村英雄)
●「地名から推理する安土築城の謎」(片山廣道)
●「信長のキリシタン厚遇政策」(大島克弘)
●「信長政権における楽市楽座令」(佐藤 寛)
●「信長北畠攻めと木造兵庫介」(藤井滋生)
●「織田信長」(後藤広喜)
●「長篠城址史跡保存館」(歴史研究会)、他。
【状態と発送に関して】
『歴史研究』織田信長(1992)は、多少読んでいるが
「上」レベル。『信長攻略 M A P』は「美品」であ
る。発送は当方の指定でよろしければ、送料はサ
ー
ビスいかします。