
寸法 横約87×縦幅約30cm。
やや厚い和紙本。墨書き・肉筆。裏打ちなし。
江戸期の古い加藤嘉明(左馬助)宛て太閤秀吉感状写本です。
加藤嘉明(左馬助)に宛てて書かれた太閤秀吉の感状の写しと見ています。
紙行きや筆使いから江戸期に書かれたものと判断しています。
「其方事 先年江州柴田合戦之□一番槍を仕付□為御褒美御知行一□□□
御加増□□後□朝鮮□船切□無比類働・・・などと書かれ、最後に太閤秀吉 御朱印
五月三日 加藤佐馬助殿」とあります。
加藤嘉明が賤ケ岳の戦いでは、一番槍を奮い、度重なる朝鮮出兵では、順天、蔚山城
を落とすなど活躍し、加増により10万石とすることが書かれているようです。
太閤の朱印はないことから、江戸期に書かれた写しと思います。
天正13年(1585)3月、秀吉が関白になった際に、嘉明も従五位下左馬助(さまのすけ)
を拝領し、以後は左馬助と称したそうです。
安土桃山期の武家資料としてお願いします。
加藤 嘉明(かとう よしあきら)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将、大名。
豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍の1人。伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主。
通称は孫六、後に官位と同じ左馬助と改める。諱の嘉明も後の名乗りで、初めは茂勝(繁勝)
と名乗っていた。
時代古び、うすヤケ、擦れ穴を裏から補強箇所1、軽いたたみ跡など少しはあります。
地元初出しの江戸期の古い加藤嘉明(左馬助)宛て太閤秀吉感状写本ですので、時代古び、
それなりの時代傷み、たたみ跡など承知で分かる方お願いします。
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