三十六歌仙の一人・中納言家持・仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室で伊達徽子(のりこ)自筆「百人一首」茶道具・和歌番号-6

三十六歌仙の一人・中納言家持・仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室で伊達徽子(のりこ)自筆「百人一首」茶道具・和歌番号-6 收藏

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仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室・伊達徽子(のりこ)・自筆「百人一首」のうち、中納言家持の和歌

元々は、茶会の「茶掛」として掛軸に表装されておりました。

海外展示の際に「額縁」に装丁されたものです。

自筆下部の印は、伊達斉邦の正室で綏姫(まさひめ)の落款・「綏」と「徽子」(印譜)


原本自筆上部には、「東風厚薄無随例到衡門」《東風(とうふう)厚薄(こうはく)無(な)く例(れい)に随(したが)いて衡門(こうもん)に到(いた)る》漢詩の意味は「春風はえこひいきなく吹き渡り、例年のように、わび住まいのわが家の門にもやってきた。」というものです。 この漢詩は、中国・中国,宋末(1274年頃)の詩人・真山民(しんさんみん)宋末時代に戦乱を逃れ、人に知られることを求めず、自分で山民と称した。最も有名な漢詩が「新春」でなかでも「東風厚薄無随例到衡門」の漢詩は年賀状などでしきりに用いられていた。 伊達斉邦の正室で嫁いだ後も綏姫(まさひめ)と称された伊達徽子(のりこ)は、和歌や漢詩の素養もある教養のある女性として知られておりますが、「百人一首」を記す際、漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明欄に記載。

出品した「百人一首」自筆の内容(原文の読み下し文)は次の通りです。


「中納言家持(ちゅうなごんやかもち)」


「「かささぎ(鵲)のわた(渡)せるはし(橋)にお(置)く霜の

            しろ(白)きを見れは夜そふけにける」


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」(教科書仕様)としております。


(原文の現代語訳)

「中納言家持(ちゅうなごんやかもち)」


「かさゝぎ(鵲)が翼をつらねて渡したという橋、宮中の御階(みはし)に降りている霜が

      白いのを見ると、もう夜もふけてしまったのだった。」



現代語訳の出典:「小倉百人一首」鈴木日出男(東京大学名誉教授)

備考1:三十六歌仙の一人「中納言家持(ちゅうなごんやかもち)」は、「大伴家持(おおとものやかもち)」のこと。神亀四年(727)冬頃、大宰帥に任ぜられた父に随い、筑紫に下向する。当時大宰府には山上憶良・沙弥満誓ら文人が集い、筑紫歌壇を形成した。少年期から坂上郎女をはじめ多くの女性と歌を贈答した。天平十二年(740)以前に内舎人(うちどねり)に任ぜられ、同年十月末、藤原広嗣の乱を発端とした聖武天皇の関東行幸に従駕。同年末の恭仁京遷都に伴い、単身新京に移住した。平城還都後の天平十七年(745)正月、従五位下に叙される。翌十八年六月、宮内少輔より越中国守に遷され、同国に赴任した。越中では下僚の大伴池主とさかんに歌を贈答し、また異郷の風土に接した新鮮な感動を伝える歌を詠んだ。天平二十年四月、元正上皇が崩御すると作歌はしばらく途絶えるが、翌二十一年四月、聖武天皇の東大寺行幸における詔を機に再び創作は活発化し、「陸奥国より黄金出せる詔書を賀す歌」など多くの力作を矢継ぎ早に作った。天平勝宝三年(751)七月、少納言に遷任され、まもなく帰京。天平勝宝九年(757)六月、兵部大輔に昇進。天平宝字二年(758)六月、右中弁より因幡守に遷任される。同年八月、恵美押勝(藤原仲麻呂)の後援のもと、淳仁天皇が即位。翌宝字三年正月、因幡国庁における宴で歌を詠む。神護景雲四年(770)六月、民部少輔に遷任されて帰京。同年八月、称徳天皇が崩じ、道鏡は失脚。同年十月、光仁天皇即位と共に正五位下に昇叙されたのは、実に二十一年ぶりの叙位であった。以後は聖武朝以来の旧臣として重んぜられ、中務大輔・左中弁・左京大夫・衛門督などの要職を歴任、官位も急速に進み、宝亀九年には正四位下に昇った。宝亀十年(779)二月、参議に任ぜられ、議政官に名を連ねた。天応元年(781)四月、桓武天皇が践祚し、その同母弟早良親王が立太子すると、春宮大夫を兼ねた。同年十一月、従三位。天応二年六月、陸奥按察使鎮守将軍を兼任し、蝦夷の反乱で揺れていた陸奥に赴任する。延暦二年(783)七月、陸奥にあって中納言に任ぜられる。翌年二月、持節征東将軍を兼ねる。


「額縁入原本」


(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」



写真によって大名の正室らしい品格のある書の勢いと速さを確認することができる。
仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室・伊達徽子(のりこ)の書体は、漢文と違った和歌の素養を発揮しなめらかで、やわらかな書体は茶室の雰囲気を重厚なものにさせた。下の印は、伊達斉邦の正室で伊達徽子(のりこ)の落款。
原本自筆上部には、「東風厚薄無随例到衡門」《東風(とうふう)厚薄(こうはく)無(な)く例(れい)に随(したが)いて衡門(こうもん)に到(いた)る》漢詩の意味は「春風はえこひいきなく吹き渡り、例年のように、わび住まいのわが家の門にもやってきた。」というものです。



参考資料:「中納言家持(ちゅうなごんやかもち)」


出典・財団法人小倉百人一首文化財団・所蔵




「百人一首」原本の和歌番号100(順徳院)に記されている仙台藩の藩印

写真右下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第12代藩主・伊達斉邦の正室・綏姫(まさひめ)の印。「綏」(まさ)は、「綏姫(まさひめめ」の略。「綏姫(まさひめめ)」「徽子(のりこ)」は伊達徽子のこと。
原本自筆上部には、「東風厚薄無随例到衡門」《東風(とうふう)厚薄(こうはく)無(な)く例(れい)に随(したが)いて衡門(こうもん)に到(いた)る》漢詩の意味は「春風はえこひいきなく吹き渡り、例年のように、わび住まいのわが家の門にもやってきた。」というものです。新春正月に歌われる有名な漢詩です。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


「額縁裏面ラベルと仙台城復元写真」


上段が、額縁裏面ラベル。下段の写真は仙台城の復元写真)。

仙台第12代藩主正室・伊達斉邦の正室で伊達徽子(のりこ)・自筆(直筆)「百人一首」を出品
自筆者に関する説明 自筆「百人一首」自筆には、「綏」と「徽子」の落款がある。 仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室の伊達微子(のりこ)は、嫁いだ後も綏姫(まさひめ)と称された。 伊達徽子(のりこ)の父は仙台藩11代藩主・伊達斉義。ただし夫の12代藩主・伊達斉邦は伊達宗充の子で血縁関係はない。文政6年(1828)~文久元年(1861)伊達徽子は39歳で没した。このため、出品した「百人一首」は、まだ若いころの自筆であることがわかる。筆致に若い女性特有のやわらかい筆跡がみてとれる。
自筆 自筆切の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。日本の和紙の場合、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がることが断層画像写真によって鮮明となります。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。今回出品した原本は日本の和紙とは異なり布の繊維をすり潰して微細化したものであることがわかりました。この技術の製法はオランダの風車による製紙「zaansch bord」という厚手の紙であることがわかりました。このことから当時の12代仙台藩主伊達斉邦が長崎・出島のオランダ商人を通し 入手したものであることがわかりました。原本は茶会用の掛軸から外され海外展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

寸法 「百人一首」原本の大きさ タテ23.7センチ ヨコ16.4センチ。額縁の大きさは、タテ40.0センチ ヨコ30.0センチ。額縁は新品です。

解読文 出品した書には、「原文の読み下し文・現代語訳文」(解読文)を掲示し、平易に解読し読むことができるようにしております。

稀少価値 所蔵経緯(来歴)
1・自筆「百人一首」には、仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室の伊達微子(のりこ)の押捺がある。

HP 伊達徽子(のりこ)・自筆「百人一首」の和歌の書を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

ツイッター「源氏物語の世界」 も合わせてご覧ください。


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