天智天皇の和歌・仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室で伊達徽子(のりこ)自筆「百人一首」冒頭の和歌(和歌番号)1

天智天皇の和歌・仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室で伊達徽子(のりこ)自筆「百人一首」冒頭の和歌(和歌番号)1 收藏

当前价格: 26000 日元(合 1344.20 人民币)
剩余时间:15187.617835

商品原始页面

成为包月会员,竞拍更便捷

出价竞拍

一口价

预约出价

收藏商品

收藏卖家

费用估算

拍卖号:u1194888546

开始时间:08/02/2025 16:44:32

个 数:1

结束时间:08/04/2025 19:43:25

商品成色:二手

可否退货:不可

提前结束:可

日本邮费:买家承担

自动延长:可

最高出价:

出价次数:0

卖家账号:源氏物語の世界 收藏卖家

店铺卖家:不是

发货地:宮城県

店家评价:好评:727 差评:1 拉黑卖家

卖家其他商品: 查看

  • 1、【自动延长】:如果在结束前5分钟内有人出价,为了让其他竞拍者有时间思考,结束时间可延长5分钟。
  • 2、【提前结束】:卖家觉得达到了心理价位,即使未到结束时间,也可以提前结束。
  • 3、参考翻译由网络自动提供,仅供参考,不保证翻译内容的正确性。如有不明,请咨询客服。
  • 4、本站为日拍、代拍平台,商品的品质和卖家的信誉需要您自己判断。请谨慎出价,竞价成功后订单将不能取消。
  • 5、违反中国法律、无法邮寄的商品(注:象牙是违禁品,受《濒临绝种野生动植物国际贸易公约》保护),本站不予代购。
  • 6、邮政国际包裹禁运的危险品,邮政渠道不能发送到日本境外(详情请点击), 如需发送到日本境外请自行联系渠道。
仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室・伊達徽子(のりこ)・自筆「百人一首」のうち、天智天皇の和歌

元々は、茶会の「茶掛」として掛軸に表装されておりました。

海外展示の際に「額縁」に装丁されたものです。

自筆下部の印は、伊達斉邦の正室で綏姫(まさひめ)の落款・「綏」と「徽子」(印譜)


原本自筆上部には、「東風厚薄無随例到衡門」《東風(とうふう)厚薄(こうはく)無(な)く例(れい)に随(したが)いて衡門(こうもん)に到(いた)る》漢詩の意味は「春風はえこひいきなく吹き渡り、例年のように、わび住まいのわが家の門にもやってきた。」というものです。 この漢詩は、中国・中国,宋末(1274年頃)の詩人・真山民(しんさんみん)宋末時代に戦乱を逃れ、人に知られることを求めず、自分で山民と称した。最も有名な漢詩が「新春」でなかでも「東風厚薄無随例到衡門」の漢詩は年賀状などでしきりに用いられていた。 伊達斉邦の正室で嫁いだ後も綏姫(まさひめ)と称された伊達徽子(のりこ)は、和歌や漢詩の素養もある教養のある女性として知られておりますが、「百人一首」を記す際、漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明欄に記載。

出品した「百人一首」自筆の内容(原文の読み下し文)は次の通りです。


「天智天皇(てんじてんのう)」


「「あき(秋)の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)をあらみ

            わかころもて(衣手)はつゆ(露)にぬれつゝ」


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」(教科書仕様)としております。


(原文の現代語訳)

「天智天皇(てんじてんのう)」


「秋の田のほとりにある仮小屋の、その屋根を葺(ふ)いた苫(とま)の編み目が粗(あら)いので、

      私の衣の袖(そで)は露に濡れていくばかりである。」



現代語訳の出典:「小倉百人一首」鈴木日出男(東京大学名誉教授)

備考1:「天智天皇(てんじてんのう・てんちてんのう)は、第38代天皇。推古34年(626年)~天智天皇10年12月3日(672年1月7日)。舒明天皇の皇子。母は斉明天皇。一般には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)として知られる。「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かつらぎ)。漢風諡号である「天智天皇」は、代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船によって撰進され、「殷最後の王である紂王の愛した天智玉」から名付けられたと言われる。その皇統は壬申の乱によってひとたび途絶えたが、奈良朝末期、志貴皇子の子白壁王が即位して(光仁天皇)復活し、その子桓武天皇が平安京を開くに至る。以後も皇位は天智天皇の系譜が引き継がれることとなった。「新古今和歌集」に一首、「玉葉集」に一首、「新千載和歌集に一首」採られている。後撰集の「秋の田の…」の歌は百人一首にも採られた。


「額縁入原本」


(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」



写真によって大名の正室らしい品格のある書の勢いと速さを確認することができる。
仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室・伊達徽子(のりこ)の書体は、漢文と違った和歌の素養を発揮しなめらかで、やわらかな書体は茶室の雰囲気を重厚なものにさせた。下の印は、伊達斉邦の正室で伊達徽子(のりこ)の落款。
原本自筆上部には、「東風厚薄無随例到衡門」《東風(とうふう)厚薄(こうはく)無(な)く例(れい)に随(したが)いて衡門(こうもん)に到(いた)る》漢詩の意味は「春風はえこひいきなく吹き渡り、例年のように、わび住まいのわが家の門にもやってきた。」というものです。



参考資料:「天智天皇(てんじてんのう)」


出典・財団法人小倉百人一首文化財団・所蔵




「百人一首」原本の和歌番号100(順徳院)に記されている仙台藩の藩印

写真右下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第12代藩主・伊達斉邦の正室・綏姫(まさひめ)の印。「綏」(まさ)は、「綏姫(まさひめめ」の略。「綏姫(まさひめめ)」「徽子(のりこ)」は伊達徽子のこと。
原本自筆上部には、「東風厚薄無随例到衡門」《東風(とうふう)厚薄(こうはく)無(な)く例(れい)に随(したが)いて衡門(こうもん)に到(いた)る》漢詩の意味は「春風はえこひいきなく吹き渡り、例年のように、わび住まいのわが家の門にもやってきた。」というものです。新春正月に歌われる有名な漢詩です。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


「額縁裏面ラベルと仙台城復元写真」


上段が、額縁裏面ラベル。下段の写真は仙台城の復元写真)。

仙台第12代藩主正室・伊達斉邦の正室で伊達徽子(のりこ)・自筆(直筆)「百人一首」を出品
自筆者に関する説明 自筆「百人一首」自筆には、「綏」と「徽子」の落款がある。 仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室の伊達微子(のりこ)は、嫁いだ後も綏姫(まさひめ)と称された。 伊達徽子(のりこ)の父は仙台藩11代藩主・伊達斉義。ただし夫の12代藩主・伊達斉邦は伊達宗充の子で血縁関係はない。文政6年(1828)~文久元年(1861)伊達徽子は39歳で没した。このため、出品した「百人一首」は、まだ若いころの自筆であることがわかる。筆致に若い女性特有のやわらかい筆跡がみてとれる。
自筆 自筆切の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。日本の和紙の場合、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がることが断層画像写真によって鮮明となります。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。今回出品した原本は日本の和紙とは異なり布の繊維をすり潰して微細化したものであることがわかりました。この技術の製法はオランダの風車による製紙「zaansch bord」という厚手の紙であることがわかりました。このことから当時の12代仙台藩主伊達斉邦が長崎・出島のオランダ商人を通し 入手したものであることがわかりました。原本は茶会用の掛軸から外され海外展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

寸法 「百人一首」原本の大きさ タテ23.7センチ ヨコ16.4センチ。額縁の大きさは、タテ40.0センチ ヨコ30.0センチ。額縁は新品です。

解読文 出品した書には、「原文の読み下し文・現代語訳文」(解読文)を掲示し、平易に解読し読むことができるようにしております。

稀少価値 所蔵経緯(来歴)
1・自筆「百人一首」には、仙台藩12代藩主・伊達斉邦の正室の伊達微子(のりこ)の押捺がある。

HP 伊達徽子(のりこ)・自筆「百人一首」の和歌の書を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

ツイッター「源氏物語の世界」 も合わせてご覧ください。


出价者 信用 价格 时间

推荐